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大変な目にもあったNY行き。フィリップ・リムやトム・ブラウンなどとともに名が知れ渡った
ー独学で技術を身につけた先には、ニューヨークのファッションブランドを包括的に支えるまでのものがあったと。ですがニューヨークに来た当初は、契約予定のブランドからビザが下りず、大変な目にあったとか。
大丸:独学で服作りのスキルを身につけたあとに文化服装学院へ入り、卒業後はパリコレにも参加する日本のメゾンブランドで6年間パタンナーとして働きました。そこを退社してフリーランスで仕事をしていたときにニューヨークのラグジュアリーブランドからヘッドハンティングを受けて、それでニューヨークへ行きました。ですが、同時多発テロの影響でビザが下りず、東京の家も引き払った状態でしたので、仕方なくアジア人3人がシェアしていたブルックリンのアパートに転がり込んだのがニューヨークでのスタート地点になりました。

大丸:当時は知り合いもおらず英語も喋れない。その中の一人から、「知り合いのファッション学校を卒業したての子が服を作って欲しいって言ってるよ」と聞き、暇だしやってみようとKマートというスーパーで99ドルのミシンと定規を買って、洋服を作って渡しました。それまでは日本で服作りを生業にしていたのでその仕上がりにびっくりされ、また一着頼まれては作って、その人がさらに違う人を紹介して、というのが連鎖してニューヨークでの服作りが始まりました。そのなかにはフィリップ・リムやトム・ブラウンなどもいて、当時知り合った多くの人と現在も一緒に仕事をしています。この連鎖が15年間続いているだけで、有難いことに自分から営業したことはないです。
ー改めて、それはドラマみたいなお話ですよね。彼らとはどのようなやり取りをされていたんですか?
大丸:希望どおりに作ることもありますが、慣れてくると「それは普通に着れないからビジネスにならないよ」と伝えることも多くなりました。オートクチュールならば良いですが、別軸で売れるものを作っておかないとビジネスになりません。クライアントの中にはレディー・ガガの衣装を作るような「誰が着るの?」というアパレルブランドもあります。でもそれならばそちらに振り切るべきで、中途半端はよくないとアドバイスをすることもあります。

大丸:やっぱり普通に着れないと既成服ではないじゃないですか。メットガラの衣装や政治家の方が特別な式典で着る洋服はその人がその場で輝くように作るべきですけど、量産して売るのであれば、買ってくださったお客さまがそれぞれにかっこよく見えなきゃいけない。うちも組織でやっていますので、彼らが売れないと持続できなくなってしまいます。早く売れるようにしてあげるのが僕の役目かなとも思っています。
ーそうやって関係を作り、ニューヨークのファッション業界から信頼されていったと。今もお忙しいですよね。
大丸:今が人生で一番忙しいかもしれません。コロナが落ち着き、業界がやる気に満ち溢れていて、依頼がたくさんあって。新しい仲間も募集していますので、興味のある方はぜひご連絡ください。
