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心でも身体でもない場所から、創造性やリアリティーが「やってくる」
―出戸さんと勝浦さんにまずお聞きします。郡司さんの著作と出会った経緯を教えてください。
出戸:初めはどこかで『やってくる』の書評を読んだのがきっかけだったと思います。なんとなく面白そうな本だなと思って手に取ったんですが、10ページも読まないうちに、ひょっとするとこれはとんでもない本なんじゃないかと思って。それで、全て読み終わる前にバンドのみんなに勧めました。自分たちがぼんやりと考えていたことが、すごく明晰に書かれていると感じたんです。
勝浦:その後すぐに僕も読んでみたんですが、まさに出戸くんと同じ思いを抱きました。以前自分が経験した不思議な感覚が、「やってくる」体験だったんじゃないかとも思うようになって。
―どんな経験ですか?
勝浦:昔、リー・ペリーの来日公演を観に行ったときのことです。はじめのうちは気持ちいい音楽だな〜くらいに思っていたんですが、突然ステージから巨大な波が押し寄せてきたんですよ。比喩とかでなくて、今まで経験したことのない本物の「波」だったんです。自分の中の心でも身体でもない場所をいきなりグワッと掴まれて、海に浮かびながら波に乗せられているような感覚が続けてやってきたんです。
―クリシェじゃなくて、物理的なリアリティーを伴っている「波」を感じたということですか?
勝浦:そう。音楽的に面白いと思ったとかそういう範疇を超えた体験で、これが本当の「グルーヴ」というやつなのかなと思って。つまらない言い方をすれば催眠状態だったということだと思うのですが、自分にとってはとても大きな出来事で、今まで理性で捉えていたのとは別の世界があるということに気付かされたんです。
出戸:当時、驚いた樣子でその体験を話してくれましたよね。

勝浦:以前から僕はバンドと並行して精神科医として仕事をしているんですが、その体験をしてから数年後に過食症の患者さんと話していたときの気づきを経て、いろんな患者さんの話をそれまでは感じられなかったリアリティーを伴って聞くことができるようになりました。その患者さんが、「自分の心の中にある隙間を埋めるために食べるんだ」と言ったのを聞いたときに、ハッとひらめいて。もしかするとその「隙間」というのは、僕があのとき「波」を感じ取ったのと同じ場所なのかもしれないなと思ったんです。
郡司さんの言い方を借りるのならば、それまで「人工知能」的な生き方をしてきた自分がその限界の向こう側に触れるような体験をしたことで、想定もしていなかった外部があることに気付かされたということです。
郡司:とても興味深いエピソードですね。過食症や拒食症の起こるメカニズムについてはまだはっきりとわかっていないんですが、ひとつの仮説として提唱されているのは以下のようなものです。
人間というのは、自分の像を鏡などを通じて見ますよね。けれどそれはあくまで一人称的な、自分から見た顔なり身体のイメージです。一方で、二枚重ねの鏡を通して側面を見たり、後ろからカメラで撮った写真を見たり、つまり断片を重ね合わせることで三人称的なボディイメージも構築しているわけです。
そして、その三人称的なイメージと一人称的なイメージとの間のリンクが切れてしまうと、ダイエットを重ねて痩せてしまった一人称の像をいくら見ようとも、三人称的イメージがかつてのままなので、もっと痩せなければという気持ちに抑制が効かなくなってしまうんですね。
この仮説を発展させると、てんかんの患者さんが発作のときに経験する体外離脱感もうまく説明してくれるんじゃないかとも考えています。そこでは、ある特定の座標から眺めた一人称的なイメージの暴走が起こっていて、それらをなんとかひとつのイメージに留めようとするために、自分を身体の上から俯瞰するような映像が立ち上がってくるんではないだろうか、と。
勝浦:なるほど……。
郡司:他方で、脳科学の分野でも、体外離脱実験というのがあるんです。すごくシンプルな実験で、自分の背中の映像を後ろからカメラで撮ってもらって、ヘッドマウントディスプレイでその様子を被験者自身が見ているという状況の中で行われます。そこで、後ろから誰かに背中を触ってもらうと、自分の身体が体外に離脱しているような感覚を得られるというものです。
けれど、僕自身も研究室で再現してみましたが、どうもそこにリアリティーが感じられないんですよね。そうやって論理的な手順によって提出されたイメージと、実際に人間が体験している体外離脱時のイメージには決定的な違いがあるのではないだろうか、と。つまり、ここでいうリアリティーもまた、全くの外部からやってくるものなのではないかと思ったわけです。
勝浦:とても興味深いです。