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変化を望まずに毎日を過ごしている。それが凄くカッコよく思えた。
ー共催には、苫小牧に根ざした飲食店の方々のお名前がラインナップされていますよね。コロナ禍の間に苫小牧で過ごして、苫小牧への視座の変化のきっかけになった方々なんですか。
加藤:そうですね。語弊を恐れずに言えば、コロナ禍の最中で出会った苫小牧の人達は、変化を望まずに毎日を過ごしているように見えて。それが凄くカッコよく思えたんですよ。僕は「1から10まで変えてやる」と思いながら音楽を作ってきたので、コロナ禍以前は変化を望まない生き方が、緩やかに何かを諦めているように見えていたんです。だから苫小牧の空気に馴染みきれないところがあったし、正直、一番居心地のいい場所ではなかったんです。でも今は、すでにここに在るものを大事にして遊んだり暮らしたりする、その「ありもの」の受け入れ方がめちゃくちゃクールに見えて。それが面白かった。



ー諦観の塊に見えていた営みが、どうして今クールに感じられたんですか。
加藤:なんだろうな……僕も歳を重ねたらこういう生き方をするのがベストなんだろうなっていう気持ちでもないんですよ。というよりは、今あるものを大事にする生き方も楽しいんだっていう気持ちも理解できるようになったのかな。諦めの意味合いじゃなくて、変わらないものや生きる安心感を生活に組み込むことって、すごく幸せなことじゃないかっていうことですね。それに、それを望んでも、できない場所とか人のほうが多いんじゃないかっていうことも思ったんですよ。
ーそうですね。生活を脅かす要因が増えるばっかりの時代に。
加藤:昔の俺はそういう緩やかな暮らしを形式的にしか見られてなかったっていうことだと思います。でもコロナ禍をきっかけにして地元の風景に一歩入ってみたら、一人ひとりの営みが緩やかに変化し続けている風通しのいい空間、ツアーで行ったどこの街にもない時間があったんです。自分が見落としてきたものを痛感したところがありました。
ー幸福の在り方は様々で、一人ひとりがそれを握りしめて生きているということが鮮明になっていったっていうことなんですかね。
加藤:そうなんでしょうね。バンドがどうとか、東京がどうとか、そういうことに興味すらない人達とも接する時間が長かったから。苫小牧のダンケンっていう55歳のニュージランド人の友達に苫小牧のスナックに連れて行ってもらって、ママに「どんな音楽やってんの?」って聞かれて、ちゃんと「パンクっすね」と言える自分でいられたり、ママに聞かせたら「いい音楽だと思うけど、これテレビでかからないでしょ」って言われる、みたいなのもよかったんですよ(笑)。初めましての1対1でもちゃんと伝わるんだと実感したし、肩をグルグル回しながらオルタナティブだパンクだと叫ばなくてもいいじゃないか、ちゃんと人に伝えられる音楽を作ってこられたんだから、もっとシンプルに人と対峙していければいいんだと思えましたね。
