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BABYMETALから考える、「ロッキズム」とジャンルのオーセンティシティ

2025.11.21

#MUSIC

ヒップホップの真正性はどこにあるか

つやちゃん:ヒップホップとロックというのは、やっぱりルーツが違うわけじゃないですか。カルチャーのルーツに立ち戻って考えると、ヒップホップにはDJ文化があるから、音源を流してやるライブじゃないと生まれ得ないエネルギーも絶対あると思うんです。そこを考えずに「ライブはバンドセットを組んだ方がいいんじゃない?」みたいな安直な発想になっているケースも多いんじゃないかなと思い、そこに対する疑問はありますね。

ヒップホップの嚆矢のひとつとされるThe Sugarhill Gang“Rapper’s Delight”は、Chic“Good Times”のベースラインのループの上で展開される。

伏見:どこを真正性=オーセンティシティと取るのかは、カルチャーによって違いますよね。各ジャンルにオーセンティシティみたいなものの線があること自体は悪いことじゃない気がしていて、その線があるから、そこを超えたときの面白さも出てくると思うんですよね。だから、ロックフェスでヒップホップアクトがバンドを入れるのは、戦略としてありなんですよ。ただ、それを、ヘッズが聴くようなライブでやると、それは違くない? と感じられる。

ヒップホップにだって、作る人が偉い信仰というか、自分で歌詞を書かなきゃいけないという考えは根強いし、そこには必然があるんじゃないかと思っています。そういう意味では、ヒップホップの中にもある種のロッキズム、オーセンティシティ主義みたいなものがあると思うんですけど、それってどう思いますか?

つやちゃん:それはありますね。リリックを自分で書くのもそうですし、ループミュージックとして、反復するビートに、自分の生きてきたルーツから出てくる「訛り」みたいなものをどう乗せていくかというところが、ヒップホップのオーセンティシティだと自分は思っています。あと、ヒップホップに限らずいわゆるダンスミュージックは、その反復性が一番大事で気持ちいいところなので、そのループによるグルーブがバンドセットで崩れていくのが、生理的にあまり気持ちよくないケースが多いと思っていますね。

伏見:中村拓哉氏の『日本語ラップ 繰り返し首を縦に振ること』という本を面白く読んだんですけど、ヒップホップがなんで作詞を自分でしなきゃいけないのかということの理論的なバックグラウンドを、宇多丸といとうせいこうの対比で書いているんです。要は、ヒップホップは一人称の文化で、他人との差異化じゃないんだ、ということなんですね。いとうせいこうは「他の人と違うことをする」というカルチャーの中でヒップホップもやってきた人だけど、対して宇多丸は、ヒップホップはあくまでも「俺はこうだ」で出来ていて、俺を見せる場というのがヒップホップだと。「俺はこうだ、お前はどうなんだ?」というのを突きつけられた人がまた新しい「俺」を出すというのがヒップホップのカルチャーだから、一人称であることが大事、つまり自分で作らなきゃいけない、という話に、なるほどと思って納得したんです。

中村拓哉『日本語ラップ 繰り返し首を縦に振ること』(書肆侃侃房、2024年)
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