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踊ることの諸相と、「逃げ場」としての音楽
つやちゃん:春ねむりさんがこの前新しいアルバムを出して、そのリリースパーティーに行ったんですけど、今回のアルバムはちょっとレイブサウンドの要素が入ってきてるんですよ。あんまり今までの春さんの作風になかった感じで、今回変化したなと思ってアルバムを聴いたんですけど、ライブに行ったらやっぱりすごくダンサブルになっていて。春ねむりさんは「言葉の人」っていうイメージが一般的にもあると思うんですけど、言葉の人である以上に、ダンスすること、踊ることでみんながつながっていくような感じの場の空気になっていて、それはそれですごく大事なことだなと思ったんです。言葉を介さずにただ一緒に踊ることで見えてくるものだったり、つながるものってあるなというのも、お話を聞いていて思いました。
風間:すごくいい話ですね。ダースレイダーが“レイシストは踊れない”っていう曲を出していて、それがすごく端的に表してるっていうか。一方、今のポジティブな話のあとにネガティブな話で恐縮ですけど、例えばサウンドデモやプロテストレイブがあると、SNSではそこに参加している人たちを揶揄するような形のポストもあったり、例えばハラスメントの被害を受けた人が開放的に踊っているところ見て、「この人は本当に悲しんでるの?」みたいなふうに揶揄するポストもあったりする。それは、踊るということへの忌避感、もしかしたら恐怖感に近いのかな? 踊るっていう行為自体が、プリミティブだからこそ、思想的に相入れない人からすると、恐ろしいものに見えるというか。それで、いまどんどん踊るというその行為自体の神格化が、両方から行われてるというか……。
つやちゃん:(踊ることが)すごくいろんな意味を持つようになってきてる。そう簡単に踊れなくなってきた時代ですよね。
風間:音楽とか文化的なものの機能や役割も変わってきてるし、そこ(=政治的なこと)から離れるような動きも増えてきているとは思うんですよね。ちょっと退避的な音楽であったりとか、「グッドミュージック」みたいなもの、ある種の「逃げ場」みたいな役割が求められるようなこともあるんじゃないのかな、っていうのも思いますよね。
島岡:そうですね。