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西寺郷太が筒美京平に感じた対等な関係。そこに人生相談の鍵がある

2025.11.20

#OTHER

1990年代音楽業界の強烈なダメ出し

西寺:あと、自分がミュージシャンになりたての頃はめちゃくちゃアドバイスされたんですよ。90年代のレコード会社には勢いがあって、A&R(※)は自分が担当するアーティストを売れば翌年の予算も増えるし、お互い必死だった。僕がワーナーと契約した時、同期にKIRINJIがいて、ちょっと後にクラムボン。花*花やコブクロもいて、僕らが契約終了する直前にはRIP SLYME、KICK THE CAN CREW、スケボーキングもいた。

※アーティストを発掘し、作品づくりを企画・監督するスタッフ

そういう時代だったから、もう若いミュージシャンはダメ出しというか、「もっとこうせぇ!」みたいに言われるんですよ。特に歌詞を伝える、わかりやすくインパクトを残すことに関しては強く言われました。正直嫌でしたね。大学を卒業してすぐにインディー・チャートで上位を占めてメジャーと契約したわけですから自信満々だったんです。下手したら30代の業界人ですら古臭い考えの持ち主達だと、アドバイスを聞かないこともありました。でも、15年くらいして「あの人はこのことを言ってたのか」とわかることもいっぱいあって。思い返すたびに、偉そうですんませんでした、と思ってます(笑)。

西寺:だから、ミュージシャンをプロデュースする時は「俺も昔あれこれ言われるのは嫌やってん。こんなこと言うやつしょうもないと思ってたけど、今になってわかることもあるし、俺は言われてよかったこともあるよ」と伝えるようにしてます。こういうプロセスを経てこのアドバイスをしている、ということを一応言いますね。

ー「あなたの気持ちも、もちろんわかってるよ」という。

西寺:めっちゃわかってるよ、と(笑)。例えば、数年前、HiHi Jetsの“NEVER STOP -DREAMING-”という曲を作った時、作曲はSANABAGUN.のキーボーディストで当時20代半ばの大樋ゆう大くんと一緒にやりました。作詞に関しては僕が一人でやる予定で完成していたんですけど、メンバーの猪狩蒼弥くんがどうしても自分でラップを書きたいと。でもレコーディングまで全然時間がなかったんですよ。彼のことをガリと呼んでるんですが、僕の誕生日の11月27日だったんでよく覚えてますけど、2人で一時間くらい話し合って。僕の考えも伝えて。「ガリ、俺、実は今日誕生日やねん」とか言って(笑)。結果的に「じゃあ、歌入れまでに間に合うなら書いてみたら」ということになったんですね。そうしたら素晴らしいラップを書いてきて、レコーディングでは二人のラップ詞を混ぜることが出来ました。

ー頭ごなしに「それは無理」と言うのではなく、西寺さんの経験やスケジュール的な事情も含めて説明して、その上でやってみてもらうと。

西寺:ガリの場合は、やっぱ才能もあるし、場数も踏んできてるからこのやり方でもよかったんですが、結局譲り合って作品のクオリティが下がるパターンも実はあるので日々気をつけてはいます。キャリア的にも、僕の周りにはアーティスト的に強靭な体力があるミュージシャンしか残ってないんです。短時間で恐ろしいくらいすごいことを成し遂げて当たり前みたいな世界でやってるので。音楽のことになるとどうしても厳しくなってしまいがちで。

ーある種の生存バイアス(※)ですね。

西寺:そうそう。でも「あぁ、できないんだな」と、途中から変に優しくなったことを相手に気づかれて傷つけたこともあります。そこはどうしようもないです。会社や社会でも、そういうことあると思うんですけどね。

編注:失敗した例や脱落した事例を無視し、成功した事例のみに注目して判断してしまう認知の偏り 

ーその人のためにもならないというか。

西寺:毎回悩むところです。

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