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その選曲が、映画をつくる

『メイ・ディセンバー ゆれる真実』実在の事件を安易なエンタメにしない誠実さ

2024.7.11

#MOVIE

「異化効果」をもたらす音楽の転用

こうした感覚は、ショット、編集、役者のセリフや身体の動き、あるいは一部の小道具に至るまで、実に細かな各要素によって醸成されているものだが、中でも最も鮮烈な効果を上げているのが、音楽の存在だ。

冒頭のタイトルバックから、ピアノとストリングスによるやけにかしこまったような、それでいてミステリアスで叙情的な音楽が付けられており、多くの観客は、これから始まる映画が湿潤な情感に満ちたミステリー作品であることを期待してしまうだろう。しかし、それにしたとしてもこのトラックは、2023年に制作された映画のスコアとしては妙に古めかしく聴こえないだろうか(音質の面でも、ところどころ音がひび割れてしまっているのがわかるはずだ)。

実をいえば、この曲を含め、本編で使用されている音楽のかなりの部分は、過去のある映画作品からの(再構成を経たうえでの)転用なのだ。その作品とは、ジョセフ・ロージー監督による1971年公開の傑作メロドラマ『恋』である。ここで使われているのは、巨匠ミシェル・ルグランが同作のために書き下ろしたスコアなのだ。

過去の作品のサウンドトラックを新たな作品のために転用する例は、映画史を紐解いてみればそれほど珍しいものではない。だが、そうした用例においては、「過去」(当該過去作品自体を含め)の表象として記号的に引用される例がほとんどを占めてきた。たしかにロージーの『恋』は、本作と同じく年の離れた男女のロマンスとそれによってもたらされる悲劇を題材にしている。しかし、ここでの『恋』のスコアの転用の仕方は、単に題材が類似した作品との連関をほのめかすのとは、少し様子が異なるように感じられる。ヘインズおよび音楽担当のマーセロ・ザーヴォスが企図しているのは、シネフィルへの単なるトリビア的な目配せを超えた、もっと劇的な効果であるはずだ。

その効果とはまさしく、先ほど触れた「ボタンをかけ違えている」ような感覚への誘導と持続にほかならないだろう。

象徴的なシーンがある。冒頭のホームパーティーの中、冷蔵庫を開けてホットドッグが足りないことに気付いたグレイシーの深刻そうな表情に被せる形で、この重厚なメインテーマの一部が鳴り響くのだ。それでいて、ホットドッグの不足は、その後の展開と具体的につながっているわけではない。このくだりは、端的にいって相当に滑稽である。些細な出来事に、いかにもミステリーの導入めいた音楽を流すというのは、いわゆる音楽の「異化効果」の確信犯的な転用というべきものだろう。

本作における音楽の使用法は、日常的な光景を奇特なものへと変幻させてしまう異化効果とミステリー惹起の機能を十二分に自覚しつつ(*)、その先にある劇的な結果の提示をあえて回避することで、ミステリーそれ自体を不安定な宙吊り状態に保ってしまうのだ。ハッとしたところで、だからといってその先に何か謎解きの核心めいた何か(=「真実」)が待ち構えているわけではないことを、音楽と映されるものの明らかな不協和が巧みに予告しているといえる。

*「(その形状から男根を想起させる)ホットドッグの不足」という、精神分析的な意味を見いだせなくもなさそうなモチーフに音楽を当てているのも、実に確信犯的である。

その後映画は、幾度となくエモーションに満ちたメロドラマの方へと進んでいこうとする(ように見える)。そして、それらの各場面で、やはり音楽が多義的な作用を司っているのがわかる。冒頭のホットドッグのくだりを経てもなお心のどこかで正道的なメロドラマ〜ミステリーの展開を期待してしまう私たちは、ルグラン(およびザーヴォスによる)いかにも情感豊かなトラックがここぞとばかりに現れるたび、(そうは意識せずとも)そっとポケットからハンカチを取り出す準備をしてしまうのだ。しかしながら、それと同時に、またしても確信犯的なミスリードへと誘われているかも知れないことへ、必要以上に敏感になっている自分自身を発見することだろう。

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