メインコンテンツまでスキップ
NEWS EVENT SPECIAL SERIES
その選曲が、映画をつくる

ボブ・ディランを再考。シャラメ主演の『名もなき者』と1965年の「事件」を論じる

2025.2.26

#MOVIE

「エレクトリック転向事件」再考

それにしても、今再び考えてみたいのは、本作の後半部で描かれるディランのエレクトリック化の流れと、その爆発点としての1965年の『ニューポートフォークフェスティバル』でのステージが、なぜこれほどまでの騒擾を引き起こしたのか、ということだ。

ロックの教科書風に言うならば、偏狭で原理主義的なフォークファンの規範意識と、そこからの逸脱を志向したディラン率いるバンドサウンドの軋轢が引き起こした出来事である、と説明するのが順当なところだろう。が、このような簡潔な見取りを置いてみるだけでは、今世紀を生きるポップミュージックの支持者にもはやなんらのリアリティを訴えかけることがないのも自明だ。他方で、その「自明さ」を裏返して見るのならば、1960年代半ばにディランが駆け抜けた対立の構図が、今やわざわざ歴史から掻き出して取り出してみるのも困難なほど、現代文化の奥深くに埋め込まれている、ということでもあるのではないだろうか。

1960年代初頭から半ばにかけてのアメリカ社会では、数年前までのマッカーシズムの嵐をくぐり抜けた左翼運動が、労働問題にとどまらず、公民権運動との連携や反戦運動等を通じて、その息吹を吹き返しつつあった。また、当時のフォークシーンでは、シーガーのような戦前からの伝統的左翼の流れを汲む人物がリーダーシップを握る一方で、グリニッジヴィレッジには多くのビート族らが屯し、党派的な政治性を超えたボヘミアニズムの教義を、身をもって実践していた。かたや、より大衆的な文化に目を転じれば、ティーンエイジャーの頃ロックンロールに熱狂した経験を持つ世代が消費社会の主役に躍り出ると共に、イギリスからやって来た同世代のビートバンドの音楽が、アメリカの市場を席巻する様子を目の当たりにしていた。

このような疾風迅雷たる状況が進行する中で、ディランはプロテストフォークの旗手としてそのアイデンティティを外部から固定化されることを拒否し、より根源的で新たな自由のあり方を追い求めるようになる。その自由へと至る道には、かつて自らがティーンエイジャーの頃に憧れたロックンロールの聖人たちがそうしたのと似て、エレクトリック楽器を交えたバンド形態で演奏される大音量のサウンドが、カーニヴァルのように、レビューのように鳴り響いているはずだった。ビートに身を委ね、エレクトリックギターの嘶きを空に放ち、言葉という言葉に、流れ連なるがままの響きを語らせることで、ディランは誰も到達したことのない自由の地へと至ろうとした。

記事一覧へ戻る

RECOMMEND

NiEW’S PLAYLIST

編集部がオススメする音楽を随時更新中🆕

時代の機微に反応し、新しい選択肢を提示してくれるアーティストを紹介するプレイリスト「NiEW Best Music」。

有名無名やジャンル、国境を問わず、NiEW編集部がオススメする音楽を随時更新しています。

EVENTS