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その選曲が、映画をつくる

ボブ・ディランを再考。シャラメ主演の『名もなき者』と1965年の「事件」を論じる

2025.2.26

#MOVIE

「擬態」はアメリカ音楽の伝統とも接続されている

本作が類稀な神話的ピカレスクロマンになりおおせている要因は、ディランという題材の特異さに加えて、当然ながら全編に流れる楽曲それ自身の魅力に負っている部分も大きい。ミュージシャンの伝記映画においては、彼 / 彼女を演じる俳優たちが実演を行うことは少なくなく、今作においても同様の手法が踏襲されている(※)。しかし、その達成度の点で、これほどまでに圧巻のパフォーマンスを見せる(聴かせる)例はそうないだろう。

※ジョニー・キャッシュをモデルとしたマンゴールド監督作『ウォーク・ザ・ライン/君に続く道』でも、主演のホアキン・フェニックスがキャッシュの歌唱を、助演のリース・ウィザースプーンがパートナーのジューン・カーターの歌声を、見事と評するだけでは足りない気迫と技術をもって再現している。

主演のシャラメは、予め用意されたプレイバックを使って演技を行うのを嫌い、劇中において歌唱はもちろん楽器の実演も行っているというが、その堂々たるなりきりぶりには、長年のファンである私も相当驚かされた。それは、バエズ役のバルバロ、キャッシュ役のホルブルック、シーガー役のノートンも同じだ。ありきたりな感想だが、改めて一流俳優達の習得力と集中力に平伏するほかない。

ここで再び気付かされるのが、そのような高度な擬態のありようもまた、単に「いかに本人と似ているか」という表面的な次元を超えて、極めて「ディラン的」であるということだ。同じく本編で描かれる通り、ディランは常に自らのアイデンティティを固定する(される)ことを嫌い、ウディ・ガスリーの音楽や彼のホーボー風ファッションを真似たり、「カーニバル出身」という法螺話を披露したり、様々な形で自らを「他者」へと移し替えてきた。

そもそも、ディランが愛したフォークミュージックそれ自体が、ある旋律や物語類型が数珠つなぎのように継承され、様々な改変や歌い替えを通じて発展してきた「オリジナルなき」文化でもある。さらに言えば、このようや継承や模倣の運動とそれに伴う「擬態」への欲望と実践こそは、ポピュラー音楽研究者の大和田俊之が自著『アメリカ音楽史』の中で鋭く指摘したように、フォークミュージックに限らない様々なアメリカンポピュラー音楽の歴史に流れ続ける根底的なエートスでもあるのだ。意図してかせざるか、本作『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』で俳優たちが行ったパフォーマンスは、そのようなアメリカ音楽の伝統とも太く接続されているのである。

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