INDEX
ファンタジックな物語、やや空回りの感も……
映画のあらすじを紹介しよう。
ある雨の日。デヴィッド(コリン・ファレル)は、不思議なレンタカー店で車を借り、友人の結婚式へと駆けつける。そこで彼は、同じく独りきりで式に参加しているサラ(マーゴット・ロビー)と出会う。
その場限りの会話を交わし、翌朝には各々帰路に着こうとする二人だが、なにやら様子のおかしいレンタカーのカーナビに誘われて、一生に一度の「美しい旅」へと繰り出すことになる。デヴィッドとサラは、現実を離れ、かつて自分たちが体験した人生の場面に再び立ち会いながら、過去の過ちや後悔と向き合い、現在の自分の姿を見つめ直す旅を続ける。
こう書き出してみただけでわかる通り、本作『ビューティフル・ジャーニー ふたりの時空旅行』は、現実と幻想が入り混じるマジックリアリズム的想像力に貫かれた作品だ。ドアを開けると、そこには別世界が広がり、時空を超えた超現実的な体験が主人公の二人を導いていく。こうした舞台設定、物語の構造は、まさに監督が敬愛するスタジオジブリ作品――特に宮崎駿監督作品の世界を彷彿させるものだ。
加えて、その視覚的イメージの面でも、現実と夢想の表象が溶け合いながら、見るものに対して没入感と浮遊感を同時に投げかける。このような両義性もまた、我々が親しんできたジブリ作品の特質に通じているわけだが、本作は、さらにそこへ自己言及的な構造――スタジオの中にひっそりと佇むレンタカー店を始めとした演劇的な舞台設定や、劇中劇の上演などを通じて、もう一捻りを加えようとする。
一般に、こうしたメタ的な構造は、熱心な観客に「考察」の楽しみを与える一方で、よほど上手に取り扱わなければ、ファンタジーの存在を無条件の前提とする構造が引き起こす一種の矛盾を自らがわざわざ指差し確認すること、さらに言えば、ただ「現実離れ」した白々しさを観るものに植え付けることにも成りかねない。もっと言えば、リアリティレベルの一貫性からの逸脱が、それが本来狙っているはずの劇的な効果に結びつかず、どうかすると単なる空想の遊戯に耽っている印象を強める危険性すら秘めている。

正直に述べると、本作『ビューティフル・ジャーニー ふたりの時空旅行』の画面からは、まさにそうした遊戯性への傾きを感じる瞬間も少なくない。スクリーン上のルックとしては、美術も、構図も、照明もごく練り込まれたものであることは理解できるのだが、その一方で、一枚絵的な美しさを大胆に超え出てみせる映画的なダイナミズムを(テーマの壮大さや、役者陣の芸達者ぶりに比して)はっきりと感じることは難しい。
プレスリリースによれば、ファンタジックな「絵」が必要になる場面でも、ポストプロダクション段階におけるVFXの使用をなるべく排し、撮影現場に設置したLEDパネルで仮想的な環境を作り出す先端技術=インカメラVFXが使用されているとのことだが、それらの存在にもかかわらず(それらの存在ゆえに、と言うべきかもしれないが)、個別的な画面のいかにも分かり易い「美しさ」は確かに担保されているように感じるものの、シーン内 / シーン間のシーケンシャルな一貫性という観点からみれば、やはりそれほど劇的な効果を上げているとは感じられない。つまり、画面を追うだけでは、大事な「何か」が動いてないように思えるのだ。