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スプリングスティーンとアメリカの時代精神
『ネブラスカ』が描き出そうとした世界は、ブルース自身の経験や個人的な関心と結びついたモチーフにだけとどまらない。そこで描かれているものは、より普遍的な時代精神と密接に結びついていたとも言える。
『ネブラスカ』の制作を開始する半年ほど前、つまり『ザ・リバー』のヨーロッパツアーからアメリカに戻った頃、ブルースはある不可思議な「偶然」を体験した。自伝から引用しよう。
アメリカに戻り、アリゾナ州の砂漠地帯を走っていたとき、フェニックスを過ぎた辺りで給油のためにガソリンスタンドに立ち寄った。売店のペーパーバックのラックをながめていると、ベトナム帰還兵のロン・コーヴィックによる回想録『7月4日に生まれて』がふと目に留まった。戦闘歩兵として東南アジアに従軍した著者の体験が綴られた、胸が張り裂けるような告白記だ。その一、二週間後、〈サンセット・マーキス〉に宿泊していると、世間は狭いという通説がまたしても立証される出来事があった。
(『ボーン・トゥ・ラン ブルース・スプリングスティーン自伝 下』P.48-49)
数日前からおれは、髪を肩まで伸ばした若い男が車椅子に乗ってプールサイドでくつろぐ姿を見かけていた。そんなある日の午後、その男が車椅子でおれのそばにやってきた。「やあ、ロン・コーヴィックだ。『7月4日に生まれて』という本の作者さ」そう聞いて、おれはこう返した。「その本ならちょうど読み終えたばかりだ。圧倒されたよ」
反戦活動家としても知られるコーヴィックは、深刻な問題に悩む多くのベトナム帰還兵について熱心に話し、ブルースを退役軍人センターへと案内した。この出会いをきっかけにブルースは、それまではどこかで直視することを避けてきたベトナム帰還兵の苦境に強い関心を持つようになった。程なくして彼はボビー・ミューラーという退役軍人とも出会い、それがきっかけとなって、ベトナム戦争退役軍人会のためのチャリティコンサートをロサンゼルスで開催することとなった。

かつてブルースは、政治や社会問題とは距離を取っていたが、1979年に反核を掲げるミュージシャン団体「MUSE」主催のベネフィットコンサートへの出演したことや、先のヨーロッパツアー中に東ベルリンを訪問した体験などを通じて、徐々に考え方を変えつつあった。彼はこの頃から、アメリカ史の本や、戦前期の左派の社会運動に深く関わったフォークシンガー=ウディ・ガスリーの伝記本を読んで歴史意識を獲得していった。このような経験を通じて、現在を生きる自分という存在や、アメリカという歴史的な共同体のアイデンティティについて深く考えるようになり、そうした意識が曲作りにも反映されていくことになった。
更に、カントリーミュージックやブルース、ゴスペルを探求するとともに、ハンク・ウィリアムズ以前の時代に遡り、アメリカンミュージックの深遠な過去の遺産にも触れていった。実際にその頃から、ガスリーの“我が祖国(This Land Is Your Land)”がレパートリーに加えられることになった。彼は言う。
おれはウディ・ガスリーになるつもりはなかったが――ピンクのキャデラックが大好きだからだ――それもやらなければならないことがあった(同P.51)
曲作りでおれがますます関心を持つようになったのは、(略)政治的なことと個人的なことが交わり、澄んだ水が歴史の濁った川に流れ込む場所だ(同P.55)
