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『エディントンへようこそ』を映画音楽とともに読解。アメリカーナの亡霊、心理的恐怖

2026.1.6

#MOVIE

賛否両論を巻き起こす、アリ・アスター監督の新作『エディントンへようこそ』。世界中の観客を戦慄させてきた新時代のホラー映画の旗手は、今回、これまでと大きく異なる点を打ち出しました。

音楽家・千葉広樹の連載「デイドリーム・サウンドトラックス」第4回は、音楽を切り口に『エディントンへようこそ』にある監督の意図、3作連続でアリ・アスター作品に参加したボビー・クーリックの劇伴がもたらす心理的恐怖について考えていきます。

現実世界の「恐怖」をアリ・アスターが扱ったということ

人間の感じる「恐怖」、あるいは不条理そのものを一貫して表現してきた映画監督、アリ・アスター。最新作『エディントンへようこそ』でも同様の側面はあるものの、注目すべきは、その描き方が大きく変化している点です。

本作の舞台は、COVID-19によってロックダウンされたアメリカ・ニューメキシコ州のエディントンという小さな町。保安官のジョー・クロス(ホアキン・フェニックス)と市長テッド・ガルシア(ペドロ・パスカル)の「マスクをするか、しないか」という小さな対立から物語は動き出し、SNSをトリガーにして収拾のつかない事態に発展します。

あらすじ:物語の舞台は2020年、ニューメキシコ州の小さな町、エディントン。コロナ禍で町はロックダウンされ、息苦しい隔離生活の中、住民たちの不満と不安は爆発寸前。保安官ジョー(ホアキン・フェニックス)は、IT企業誘致で町を「救おう」とする野心家の市長テッド(ペドロ・パスカル)と「マスクをするしない」の小競り合いから対立し「俺が市長になる!」と突如、市長選に立候補する。ジョーとテッドの諍いの火は周囲に広がっていき、SNSはフェイクニュースと憎悪で大炎上。同じ頃、ジョーの妻ルイーズ(エマ・ストーン)は、カルト集団の教祖ヴァーノン(オースティン・バトラー)の扇動動画に心を奪われ、陰謀論にハマっていく……

本作を観て驚いたのは、現実世界の目を背けたくなるような実態、そして私たちが身を置く社会構造が生み出す不安や恐怖そのものが描出されている点です。過去のアリ・アスター作品では、ここまで直接的に現実世界を反映したものはなかったはずです。

監督自ら「実存的なホラー映画」と表現した『ヘレディタリー/継承』(2018年)、独自の宗教観を持つ閉鎖的な共同体を寓話的に描いた『ミッドサマー』(2019年)、一人称的なストーリーで主人公の内面の恐怖と混乱を描いた『ボーはおそれている』(2023年)——これらはファンタジー的なニュアンスを多く含んだものでした。

映画『ヘレディタリー/継承』予告映像

一方、『エディントンへようこそ』は脚本段階で、監督自身が青春時代を過ごしたニューメキシコの保安官や役人たちをはじめとする土地の人々と話すことに多くの時間が費やされ、彼らの物の見方を知ることが作品のヒントになったと明かされています。こうしたプロセスを経たことで、現実世界に根を下す作品が形成されていったであろうことが窺えます。

アリ・アスターは、本作の制作背景にあった動機をこう語ります。

誰かを悪者として描くことも誰かを称賛することもなく、僕らが暮らす国のように感じられる映画を作りたかったんだ。不協和音の中で、それぞれの楽器が等しく重要だと思えるようになったら良いと思う。僕たちは意見の違いはあっても、結局のところはお互いに関わり合うことになるし、関わり合う方法を見つけていくしかないからね。

『エディントンへようこそ』プレス資料より
ロックダウン中のエディントンで「マスクをするか、しないか」で論争するジョーとテッド / © 2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.

音楽が描き出すアメリカーナの亡霊、心理的恐怖

ジョーとテッドがそれぞれ掲げる正義の対立、コミュニティや家族間の分裂と緊張、SNSがもたらす混沌、陰謀論が忍び寄る不穏さ……そうした日常に潜む不協和音のような不安や恐怖は、音楽でも見事に表現されています。

全体的に非常に遅いテンポのサウンドトラックは、人間の呼吸や心拍数と同調するように淡々と抑制を効かせた不穏な映像に沿って展開し、クライマックスに向かってミニマルなパーカッションのリフレインで観客の心理的不安を煽りながら、暴走して歯止めの効かない状況を表すような音楽へと推移していきます。

ダニエル・ペンバートン、ボビー・クーリック『エディントンへようこそ』サウンドトラック

本作の音楽を手がけたのは2人の作家。ダニー・ボイルやリドリー・スコットといった大監督との仕事もこなすダニエル・ペンバートン、そして3作連続でアリ・アスター映画の音楽に携わるボビー・クーリックです。

構造的な旋律、開放的な和音でオーソドックスな映画音楽的な印象を残すペンバートンのスコアは、アーロン・コープランドやウォルター・ピストンといったアメリカ西部の風景、開拓時代の精神を思わせる20世紀前半のアメリカを代表する作曲家を彷彿とさせるもの。ニューメキシコの荒涼とした風景、作品の背景にあるアメリカという国の社会や精神、歴史や文化を表象しているようなペンバートンの楽曲は、失われつつある「良きアメリカ」を亡霊として召喚したかのように作品に存在します。

映画『エディントンへようこそ』サウンドトラック収録曲(作曲:ダニエル・ペンバートン)

対して、『ミッドサマー』と『ボーはおそれている』でアリ・アスター作品に渦巻く不穏さ、不条理さ、心理的恐怖にサウンドで貢献してきたボビー・クーリック。この若き天才によるサウンドは、本作のサウンドトラックの注目すべきポイントです。

アリ・アスター作品における陰の立役者、ボビー・クーリック

ボビー・クーリックは、The Haxan Cloak名義としても活躍するイギリス出身の音楽家・プロデューサー。過去にはビョーク、Father John Mistyなどのプロデュースを手がけ、後にアカデミー賞作曲家のアッティカ・ロスに見出されマイケル・マン監督の『ブラックハット』(2015年)にて映画音楽デビュー。その後、アスターの過去2作品、『ミッドサマー』『ボーはおそれている』の音楽を手がけています。

https://open.spotify.com/intl-ja/album/5HL96qiKDj00wQuVwBKaLZ?si=TmhYhDtTSpChMIBNteQe3A
ボビー・クーリック『ミッドサマー』サウンドトラック

『ミッドサマー』では、スウェーデンの民謡的な旋律と不穏なストリングスの和音、そして美しくダークな電子音で不穏と狂気、共同体の陶酔という恐怖を描き、『ボーはおそれている』では、弦楽器に加え管楽器や打楽器、あるいはギターやコーラスなど、オーケストラサウンドによって主人公・ボーの混乱、妄想、錯乱を表現し、自己の内面的不安を体現するかのようなダイナミックな音楽を形作りました。

https://open.spotify.com/intl-ja/album/1BSLSIGfZlfvLI7dTpaWdi?si=zEUGQq0VSTesVcAXW_vh_A
ボビー・クーリック『ボーはおそれている』サウンドトラック

本作においてクーリックは、コープランド的な西部アメリカを匂わせる開放的な和声に対し、ストリングス、電子音のモジュレーション、打楽器の残響、半音で揺れる低音、独特な長い休符(音の間合い)、不協和音、ミニマルな繰り返しという要素を対比構造的に組み入れ、閉塞感や息苦しさを生み出しています。

そうしたサウンドトラックの構造に加えて特筆すべきなのは、クーリックの低音の扱い方です。人間が不安や緊張を感じると言われる20〜60Hz程度の低周波を巧みに音楽に織り込み、皮膚感覚で心理的恐怖や不安を伝える——半音で揺れる低音、弦楽器の不協和音、打楽器の残響などを用いた内省的で実験的なクーリックの音響は、いわばこの映画内の心理状況そのもののように響きます。

https://www.youtube.com/watch?v=7FDoDwLWmpk
映画『エディントンへようこそ』サウンドトラック収録曲(作曲:ボビー・クーリック)

エディントンという小さな町の中で起きる混沌、不穏、分裂、緊張といった感情と空気感は、スコアによって補強されている。

つまり、アスター映画の「恐怖」や「不安」という感情の大部分を担っているのは、クーリックの音楽といっても過言ではないのです。

https://www.youtube.com/watch?v=KhvTt6_sKGc
映画『エディントンへようこそ』サウンドトラック収録曲(作曲:ボビー・クーリック)

私たちはこの混乱と不安、崩壊していく秩序の当事者であるということ

こうした2人の作家が共同でサウンドトラックを手がけていることは、アリ・アスター監督が『エディントンへようこそ』で現実世界の様相を強く反映させたことと無縁ではないでしょう。ダニエル・ペンバートン、ボビー・クーリックという2つの作家性が織りなす二重構造は、巨大なアメリカ社会とエディントンという小さな町という本作の対比構造とも重なります。

ジョーの妻ルイーズと義母ドーンはともに陰謀論に傾倒している / © 2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.

先行きの見えない不安、SNSによってもたらされる秩序の崩壊、ロックダウン下の小さな町に漂う不穏な静けさ、そして破綻の予感——映画内に大きく横たわり、サウンドトラックとともに登場人物たちを覆い尽くすこうした閉塞感は、現代のアメリカ社会の歪んだ様相や心理そのもの。それは先に引用した「僕らが暮らす国のように感じられる映画を作りたかったんだ」という監督の言葉によって裏付けられます。

そして「ようこそ」とエディントンに招き入れられた私たちは、閉塞する現実世界の縮図を目の当たりにし、ペンバートンのアメリカーナの亡霊のごとき映画音楽的サウンドと、クーリックの「暗い音響」が醸成する心理的恐怖に巻き込まれてしまう……。

観客を当事者であるかのように没入させる映画体験において、やはり本作でも音楽は大きな役割を担っていると思います。

https://www.youtube.com/watch?v=a-Al7hPpKZA
映画『エディントンへようこそ』サウンドトラック収録曲(作曲:ダニエル・ペンバートン、ボビー・クーリック)

この映画のもっとも恐ろしいところは、その恐怖が現在進行形のものであることです。アリ・アスターは、本作について以下のように語っています。

この映画を無理やりに要約するとしたら、小さな町にデータセンターが建設される物語なんだ。巨大テクノロジー企業と資本家がすべてを掌握し、人々は政治的な争いに魅了される。新型コロナウィルスの流行以降、さらに悪化し、崩壊寸前の社会システムの中で僕らは生きざるを得ない状況だ。その上、僕らはシステムを変えるための手段を奪われている。

データと情報の管理は権力者の特権で、人々が疑念や怒りを権力者ではなく隣人に向けるなら、彼らの特権はさらに強化されるだろう。僕たちが権力の暴走に対抗する力になることができる、という民主主義の考え方は、パンデミックによって完全に終わってしまったのかもしれない。

『エディントンへようこそ』プレス資料より

インターネットによる静かな支配が進む日常、SNSが引き金となって巻き起こる軋轢や暴力の連鎖、スマートフォン上の出来事と感情、倫理観の処理速度の間に生まれる誤差、そして次第に現実世界が呑み込まれていく不条理……本作からはそうした状況を傍観者のように扱ったり、冷笑する態度は感じられません。

おそらくアリ・アスター自身が当事者としてこうした混乱に身を置き、皮肉を交えながらも、問題提起を試みたのが『エディントンへようこそ』という映画なのでしょう。当事者的な視点、能動的に観客に働きかけようとする意図は、過去のアリ・アスター作品には希薄で、そこに現実世界の置かれた状況の深刻さを読み取ってしまいます。あのアリ・アスターが? と当惑してしまうのです。

本作で何らかの答えや解決の糸口が示されることはなく、それゆえに陰惨で、不快感すらあるかもしれません。ですが、だからこそリアリティーがあるように思うのです。

最後に主演のホアキン・フェニックスの言葉を引用します。

観客がこの映画を観て、今の世界を理解してくれることを願っている。

『エディントンへようこそ』プレス資料より

『エディントンへようこそ』

2025年12月12日(金)より全国公開中

監督・脚本:アリ・アスター
出演:ホアキン・フェニックス、ペドロ・パスカル、エマ・ストーン、オースティン・バトラー、ルーク・グライムス、ディードル・オコンネル、マイケル・ウォード
配給:ハピネットファントム・スタジオ

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