賛否両論を巻き起こす、アリ・アスター監督の新作『エディントンへようこそ』。世界中の観客を戦慄させてきた新時代のホラー映画の旗手は、今回、これまでと大きく異なる点を打ち出しました。
音楽家・千葉広樹の連載「デイドリーム・サウンドトラックス」第4回は、音楽を切り口に『エディントンへようこそ』にある監督の意図、3作連続でアリ・アスター作品に参加したボビー・クーリックの劇伴がもたらす心理的恐怖について考えていきます。
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現実世界の「恐怖」をアリ・アスターが扱ったということ
人間の感じる「恐怖」、あるいは不条理そのものを一貫して表現してきた映画監督、アリ・アスター。最新作『エディントンへようこそ』でも同様の側面はあるものの、注目すべきは、その描き方が大きく変化している点です。
本作の舞台は、COVID-19によってロックダウンされたアメリカ・ニューメキシコ州のエディントンという小さな町。保安官のジョー・クロス(ホアキン・フェニックス)と市長テッド・ガルシア(ペドロ・パスカル)の「マスクをするか、しないか」という小さな対立から物語は動き出し、SNSをトリガーにして収拾のつかない事態に発展します。
本作を観て驚いたのは、現実世界の目を背けたくなるような実態、そして私たちが身を置く社会構造が生み出す不安や恐怖そのものが描出されている点です。過去のアリ・アスター作品では、ここまで直接的に現実世界を反映したものはなかったはずです。
監督自ら「実存的なホラー映画」と表現した『ヘレディタリー/継承』(2018年)、独自の宗教観を持つ閉鎖的な共同体を寓話的に描いた『ミッドサマー』(2019年)、一人称的なストーリーで主人公の内面の恐怖と混乱を描いた『ボーはおそれている』(2023年)——これらはファンタジー的なニュアンスを多く含んだものでした。
一方、『エディントンへようこそ』は脚本段階で、監督自身が青春時代を過ごしたニューメキシコの保安官や役人たちをはじめとする土地の人々と話すことに多くの時間が費やされ、彼らの物の見方を知ることが作品のヒントになったと明かされています。こうしたプロセスを経たことで、現実世界に根を下す作品が形成されていったであろうことが窺えます。
アリ・アスターは、本作の制作背景にあった動機をこう語ります。
誰かを悪者として描くことも誰かを称賛することもなく、僕らが暮らす国のように感じられる映画を作りたかったんだ。不協和音の中で、それぞれの楽器が等しく重要だと思えるようになったら良いと思う。僕たちは意見の違いはあっても、結局のところはお互いに関わり合うことになるし、関わり合う方法を見つけていくしかないからね。
『エディントンへようこそ』プレス資料より

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音楽が描き出すアメリカーナの亡霊、心理的恐怖
ジョーとテッドがそれぞれ掲げる正義の対立、コミュニティや家族間の分裂と緊張、SNSがもたらす混沌、陰謀論が忍び寄る不穏さ……そうした日常に潜む不協和音のような不安や恐怖は、音楽でも見事に表現されています。
全体的に非常に遅いテンポのサウンドトラックは、人間の呼吸や心拍数と同調するように淡々と抑制を効かせた不穏な映像に沿って展開し、クライマックスに向かってミニマルなパーカッションのリフレインで観客の心理的不安を煽りながら、暴走して歯止めの効かない状況を表すような音楽へと推移していきます。
本作の音楽を手がけたのは2人の作家。ダニー・ボイルやリドリー・スコットといった大監督との仕事もこなすダニエル・ペンバートン、そして3作連続でアリ・アスター映画の音楽に携わるボビー・クーリックです。
構造的な旋律、開放的な和音でオーソドックスな映画音楽的な印象を残すペンバートンのスコアは、アーロン・コープランドやウォルター・ピストンといったアメリカ西部の風景、開拓時代の精神を思わせる20世紀前半のアメリカを代表する作曲家を彷彿とさせるもの。ニューメキシコの荒涼とした風景、作品の背景にあるアメリカという国の社会や精神、歴史や文化を表象しているようなペンバートンの楽曲は、失われつつある「良きアメリカ」を亡霊として召喚したかのように作品に存在します。
対して、『ミッドサマー』と『ボーはおそれている』でアリ・アスター作品に渦巻く不穏さ、不条理さ、心理的恐怖にサウンドで貢献してきたボビー・クーリック。この若き天才によるサウンドは、本作のサウンドトラックの注目すべきポイントです。