うまく説明できないけど、いい映画だった。そういった感想を素朴に抱くことができるのは、いい映画の証なのかもしれない。
三宅唱監督の最新作『旅と日々』も間違いなくそういった類の映画と言えるのは、おそらく本作が劇的なドラマやセリフによって言語的に展開される作品ではないからでしょう。
そういう作品にこそ音楽を通じて向き合ってみたい——。音楽家の千葉広樹の連載「デイドリーム・サウンドトラックス」第3回は、音楽を切り口に『旅と日々』が描き出したものについて考えていきます。
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寡黙なドラマ、鮮烈な「情景」、そこに身を置くシム・ウンギョン演じる主人公
三宅唱監督の最新作『旅と日々』は、3つのパートで形成されています。つげ義春の『海辺の叙景』『ほんやら洞のべんさん』をそれぞれ原作とした前半と後半、その中間部のオリジナルパートという構成です。
セリフも少なく、わかりやすく劇的なドラマが繰り広げられるわけではありませんが、それゆえに味わい深く豊かな作品となっています。
その中で強烈な印象を残すのは海辺の風景や雪景色といった「情景」、つまり映像そのものです。圧倒的なショットの数々は、原作を忠実にトレースしたものも含め、観客に多くのことを物語ります。本作はドラマやテーマ性で観客をリードするのではなく、映像そのもので感じさせる作品と言っていいかもしれません。
本作に向き合うにあたっては、情感豊かな映像(情景)と主人公・李(シム・ウンギョン)の視点、という構図を意識するといいかもしれません。では、両者はどのような関わりを持っているのか。
前半の夏パートでは、李は『海辺の叙景』を劇中映画化する脚本家としてメタ的な視点から作品に参加し、中間部で徐々にその存在が映画の中で前景化、後半の『ほんやら洞のべんさん』をもとにした冬パートでは中心人物として描かれていきます。


まず重要なのは、来日した韓国人脚本家の李の視点・主観が形を変えながらも、作品の主体として一貫して描かれていること。しかもその構図の見せ方が決してわかりやすいものではないのも興味深いです。
夏のパートでは鉛筆を走らせるを走らせる様子から李の視点をメタ的に描出し、中間部では「視点」を切り取るメタファーとしてフィルムカメラが持ち込まれ、その後の冬パートでの李の「主観」が徐々に際立っていく——。
こうした映画のありように、鮮烈な「情景」に溶け込む主人公・李の主体としての「主観」、という全体の構図を見ることができるわけです。

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情景と紐づく環境音、心象風景を描き出す音楽
その「情景」と「主観」の間にあるのが、音・音楽である、というのが私の解釈です。
結論から言うと、この映画における「音楽」の役割はノスタルジーを喚起するトリガーであり、李の「心象風景」そのものなのだと考えます。しかし映像(情景)と音楽(心象風景)は乖離することはありません。約90分にわたって映画的なリアリティーと親密な関係を保持し続ける。
そこで大きな役割を果たしたのが、環境音と言って間違いないです。
波の音や風の音、木々のさざめき、虫の声、雨音、しんしんと降り積もる雪の音、ラジオ、サイレン、踏切の音、空調の音、街の喧騒、扇風機の音……一般的に、こうした音を日常生活で意識的に聴取することは少ないはずですが、本作にはそうした生活上で認知しづらい領域の音までも、かなり意図的に散りばめられています。
観客があたかも李の旅と日々を追体験するように「情景」と「主観」に没入できるのは、本作にさまざまな環境音、生活音が濃密かつ効果的に用いられているからなのかもしれません。

その環境音と対比するように、音楽は機能しています。つまり、音楽は人物の記憶やノスタルジーを補助する役割を担っているのではないかと思うのです。「情景」と紐づく環境音、「主観」と結びついた音楽という構図が見て取れる。
「情景」と紐づき、リアリティーを担保する環境音、「主観」と結びつき、ノスタルジーを喚起する音楽。その双方を映画全体で対比的、構造的に用いることで異化作用が生み出されているのがわかります。
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「オフの音」として音楽を捉えることで、本作の奥行きを気づかせる
「情景」と紐づく環境音、「主観」と結びついた音楽という構図から本作を観ると、音楽はほぼシーンとシーンの切れ目(「情景」の移行)、ドラマが展開するタイミング(「主観」の移ろい)でしか使用されていないことに気がつきます。
特に印象的なのは中間部、李によるナレーションが韓国語で挿入されるシーン。
監督の依頼で つげ義春のマンガ
「海辺の叙景」を原作に脚本を書いた
書いてから数年経ったが
いまだに旅について考えている
故郷を離れて以来 私は
ずっと旅の途中にいるようだ
三宅唱監督『旅と日々』より
このシーンでは、『海辺の叙景』をもとに脚本を執筆する李の「旅」への感慨とともに人生への追憶、郷愁、つまりノスタルジーが表面化します。そこに寄り添う音楽の存在は、控えめながら非常に効果的です。
ここに限らず本作における音楽は、スクリーン上では音楽が鳴っていて観客には聞こえているものの、登場人物たちが実際に耳にしているのではない、という類のものです。これはミシェル・シオンが『映画にとって音とはなにか』(1993年、勁草書房刊)のなかで、映画における音を「オフの音」「インの音」「フレーム外」の3つに大別したうち「オフの音」にあたります。
この「オフの音」としての音楽の多用は、本作における音楽の機能、心象風景を具体化する装置としての側面を際立たせます。
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夏のパートと冬のパートで音楽の使われ方に違いが
もう少し細かく、どのように本作で音楽が用いられているか見ていきます。
李が脚本家として物語の後景、黒子的な存在に回る前半の夏のパートと、李の存在が前景化する冬のパートでは、音楽の使われ方が変化していることに気が付きます。


夏パートで音楽が使われるシーンでは、渚(河合優実)ら登場人物たちの記憶の残り香(情感)、記憶の残像(情景)が見え隠れし、観客の感覚も過去に引っ張られるように、ある種ノスタルジックに映像が展開されます。
映画の冒頭、海辺に向かって車を走らすシーンでも、博物館の写真が映されるシーンでも、音楽が流れた瞬間に時間が過去に向かって逆走していくような不思議な感覚があります。渚と夏男(高田万作)が海辺を臨む高台で互いの過去、生き方を語り合った先でそれぞれの帰路に着くシーンも同様です。
一方で、冬パートでは旅の風景と溶け込むように、李の心象風景がそのまま立ち上がるように音楽が流れます。

ここでもやはり重要なのは、本作の主体が李である、ということです。
つまり、劇中作という立ち位置にある夏パートでは、旅を思う李の心象風景が登場人物にトレースされるように立ち現れ、冬パートでは実際に物語の主体として旅をする李の心象風景がダイレクトに映し出される——。
こうしたことから、本作の「音楽」の役割はノスタルジーを喚起するトリガーであり、李の「心象風景」であると解釈するわけです。


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三宅唱監督とHi’Specが織りなす、映画と音楽のマジック
音楽の役割をこのように仮定すると、サウンドトラックの楽曲構造やサウンドそのものとの符合も見出せます。
まず和声的には、基本的に3つの音を重ねたトライアドコード、ひとつのキーの中の音のみで構成されたダイアトニックコードで作られているシンプルな構成。この和声構成は安心感を醸成し、ノスタルジーを喚起する手助けをするように機能しています。
楽器編成もシンプルで、サウンドの大半をピアノとチェロが占めます。それも生々しく演奏者の感情表現が込められたようなものではなく、無意識下のイメージ、あるいは記憶の中の音楽がそのまま形を成したようなサウンド。これは李の心象風景を描くという本作の音楽の役割とも合致します。
そしてHi’Specというヒップホップを出自に持つトラックメイカーが、ビートのループによって楽曲のリズムを構成していない点。
その意図を読み解くなら、打楽器的なループが観客の感覚をクオンタイズし、定型化された時間感覚が生まれることを避けた、ということなのではないかと思います。そこにはサウンドトラックのどの曲もテンポがゆったりとしていることも関係しているでしょう。三宅唱監督、Hi’Specが音楽を手がけた前作『夜明けのすべて』もビートレスな音楽で構成されていましたが、今作ではより効果的であるように感じます。
本作の音楽がノスタルジーを喚起する装置であると位置付けると、シンプルな楽曲構造と楽器編成、定型化を避けたリズム構成は『旅と日々』という映画において高い次元で機能しています。そこには三宅唱監督のディレクションもあったかもしれませんが、Hi’Specという音楽家の心象風景、ノスタルジーも反映されているかもしれません。
音楽が映画の良質さを後押しし、映像が音楽の魅力を引き立たせる。その相互関係はとても映画音楽的で素晴らしいです。
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旅から日々へ。映画『旅と日々』に込められた生きることへの願い
この映画を通じて、観客は李の旅と日々を追体験することになります。「旅」とは何か。それは本作のテーマのひとつですが、この映画ではより広い意味での「旅」を描いています。
渚と夏男が海辺を旅行で訪れたことはもちろん、李が日本で脚本家として仕事しながら韓国人としてサバイブする日常も旅であり、李が旅先で触れたべん造(堤真一)の人生すらも旅と言えるかもしれない。

そしてノスタルジー。ノスタルジーは過去の記憶であり、過去の情景でもある。ノスタルジーや旅を通じて、自らの日々や人生を内省する中で「私とは何か」を観客含め各々が見つめていく——。
そうしたこと自体は映画という文化が描き続けてきたもので、ありふれたことかもしれません。しかし、つげ義春というとてつもない強靭な原作をあえて日常に取り入れて描く。ここにこの映画のユニークさがあると思います。
本作は、旅を経て、李が脚本家としての日々に戻っていく場面でエンドロールを迎えます。
そこで使用される楽曲でのみ、打楽器的なループが導入されているのです。時間感覚を定型化するループは、シンプルに「日々」のメタファーでしょう。この旅から日々へという美しい流れは、まさに『旅と日々』という主題そのものを表しているようであり、そこに希望のようなものも感じました。

簡単に結論づけることは難しいですが、人は旅から何かを得て、日々の推進力に変えていくことができます。それは言ってしまえば、日々へのモチベーションのようなものかもしれません。しかし私たちは、李の旅と日々を追体験することで前向きな何かが湧き上がることを確かに感じられる。
『旅と日々』は、そうした生きることへの願いが込められた映画なのかもしれません。
『旅と日々』
2025年11月7日(金)TOHOシネマズ シャンテ、テアトル新宿ほか全国公開
監督・脚本:三宅唱
原作:つげ義春「海辺の叙景」「ほんやら洞のべんさん」
出演:
シム・ウンギョン
堤真一
河合優実
髙田万作
佐野史郎
斉藤陽一郎
松浦慎一郎
足立智充
梅舟惟永
製作:映画『旅と日々』製作委員会
製作幹事:ビターズ・エンド、カルチュア・エンタテインメント
企画・プロデュース:セディックインターナショナル
制作プロダクション:ザフール
配給:ビターズ・エンド