いつからか、注文も支払いも機械で完結できるようになり、居酒屋のメニューを眺めてラインナップを吟味することも、近所のコンビニ店員とちょっとした会話を交わすことも珍しくなってしまった。大きなイベントが必要というわけではないけれど、「生産性」という大義名分のもと、ささいな余白も失った生活はなんだか少し物足りない。
ソロアーティスト・xiangyuの1stアルバム『遠慮のかたまり』は、どうでもいいことを理由もなく愛でる自由を歌う作品だ。テーマは、アルバム名の通り「遠慮のかたまり」。かつてデビューEP『はじめての○○図鑑』で、いつも行ってるコンビニエンストアの見慣れた店員との以心伝心のやりとりを歌った彼女は、またしても、誰もが知っている「食卓に食べ物が一つだけ残っている」光景をテーマに対話を重ね、初のアルバムを完成させた。
自身の音楽は「メッセージを伝えるためのものではない」と笑い飛ばすxiangyuだが、根底には知らないことを一つでも多く知りたいという好奇心と、どうでもいいことが当たり前に存在できる世の中への強い思いがあった。アルバムテーマとの出会いや自身の音楽活動の信念、初めてフィーチャリングゲストを迎えて行われたアルバム制作について伺った。
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『遠慮のかたまり』は前作EP『OTO-SHIMONO』が引き寄せた出会いがきっかけで生まれたアルバム
ー改めて1stアルバムのリリースおめでとうございます。セルフタイトルを掲げるアーティストも多いなか、『遠慮のかたまり』というテーマを1stアルバムのタイトルにしたのがxiangyuさんらしいなと思いました。資料によると、現代美術家の光岡幸一さんが教えてくれたようですが、まず、このテーマに出会ったきっかけを教えてください。
xiangyu:そもそものきっかけは、落とし物をテーマにしたEP『OTO-SHIMONO』(2023年11月リリース)をリリースした時でした。EPを通して、現代美術家の光岡幸一さんが私のことを知ってくださったみたいで。光岡さんのファンだったことと、当時J-WAVEのラジオ番組で東京の面白い場所などのイベントを紹介するコーナーを私が担当させてもらっていたので、光岡さんの個展が東京で開催されるタイミングで取材に伺ったら、すごく仲良くなったんです。
その縁で、後日彼が渋谷でやる展示のトークショーに誘ってもらいました。てっきり、展示の話をするんだろうなと思ってたんですけど、全然そんなことなくて(笑)。「落とし物」を音楽に昇華していることが、似たような着眼点で美術作品に落とし込んでる彼に刺さったらしく、「美術作品よりも世の中に届きやすい手法でやってるのがすごい」と褒めてもらったんです。その時に「この人は(感覚が)めっちゃ近い人なんだな」と思いました。

2018年9月からライブ活動を開始したソロアーティスト。2019年5月に初EP『はじめての○○図鑑』をリリース。2023年11月には、Gimgigamをサウンドプロデュースに迎えてアマピアノやゴムなどのジャンルを取り入れたEP『OTO-SHIMONO』を発表。音楽以外にも、ファッション、アート、映画出演、執筆など多方面で活動の幅を広げ、2022年には映画『ほとぼりメルトサウンズ』で主演と主題歌を担当し、初の書籍となる『ときどき寿』を出版。2025年4月に1stアルバム『遠慮のかたまり』をリリースした。
ー前作のEPのリリースを通して、近い視点を持つ人に出会えたんですね。「似たような着眼点」とは具体的にどんなものだったんでしょう?
xiangyu:「こういう写真を集めてるんですけど」って、食べ物が1つだけ残ったいわゆる遠慮のかたまりの写真を光岡さんが何百枚も集めているのを見せてもらって。「シャンさんだったらこの写真で何をしますか?」と聞かれたんです。食卓の知ってる「あの」光景に遠慮のかたまりという名前があることも知らなかったからすごく衝撃的で、「私だったら音楽にします」とその場で言ったら、「じゃあ、なんか一緒にやります?」という流れに自然となりました。
ーそういう口約束でアルバムが生まれることってあるんですね(笑)。最初からアルバムにするアイデアもあった?
xiangyu:最初は“遠慮のかたまり”っていう名前で1曲だけ作ろうかなとか思ったんですけど、『OTO-SHIMONO』と同じ手法で、収録曲が全部テーマから派生した食べ物関連のまとまった作品になったらおもしろそう、みたいなことをぼんやり思ったことは覚えてます。
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xiangyuの「そんなものに名前があったんだ図鑑」に新しく加わった、遠慮のかたまり
ー遠慮のかたまりをおもしろいと思ったのは、その現象に名前があるということですか? それとも遠慮のかたまりが発生する現象ですか?
xiangyu:名前があることです。「あのパーツに名前あったんだ」みたいなことを調べるのが好きなんですよね。食パンの袋についてる青いやつにクロージャーって名前があることとか、肘をぶつけてビリビリするのはファニーボーンって言うんだなとか。ファニーボーンのことは曲にしたんですけど、そういう自分の性質があるからこそ、「めっちゃよく知ってるあの光景を『遠慮のかたまり』って呼ぶんだ」ってことが単純に超おもしろくて、みんなに知ってもらいたいとか思うよりも前に、作品にしたいなと思いました。
ーxiangyuの「そんなものに名前があったんだ図鑑」があったとしたら、それに新しく入ってきた言葉が遠慮のかたまりだったっていうことなんですかね?
xiangyu:そうそうそうそう! まさにそんな感じ。それに「遠慮」の「かたまり」っていう言葉自体、控えめな感じが日本っぽいなと思ったんですよね。他の国でも似た言葉があるのか気になって調べてたら、日本国内でも地域差があることがわかったんです。遠慮のかたまりは関西圏で広く使われている言葉で、他には「関東の1つ残し」とか青森・津軽地方では「津軽衆」という言い方もある。しかも、津軽地方の人は、「遠慮深い」という自覚があるからこそ勇気をもって食べる人を「津軽の英雄」と呼ぶらしいんです。同じ日本人でも、文化が違えば、言い方が変わるのがおもしろい。
ーそこにあるものをあると認めて、それに至る過程や関わる人の思惑を想像する『遠慮のかたまり』は、前作の『OTO-SHIMONO』の延長線上にあるテーマだと思います。今回は遠慮のかたまりという言葉の存在に惹かれた一方で、前作のEPを作るきっかけは、「道にありえないものが落ちている現象」のおもしろさだったのでしょうか?
xiangyu:そうですね。靴がかたっぽだけ道に落ちてることあるじゃないですか。ライブとかの遠征の車でぼんやり外を見てることが多いから、そういうのを見ると「何がどうやってここに来たんだろう」とか考えるのがすごい好きで。冬の街中に落ちている手袋がたまたまピースサインの形になってたらニヤッとする。自分だけの1人遊びを見つけるのが好きなんだと思います。

ーいつ頃から1人遊びをするようになったんですか?
xiangyu:学生時代、実家から文化服装学院まで毎日片道1時間半かけて通ってたんですけど、当時iPodを持ってなかったので、周りの人の会話を自然と聞くようになったんです。朝の殺伐とした通勤ラッシュのおじさんの独り言とか、平日の昼間のおばあちゃん同士の謎の会話とか。知らない人たちの話がなんだかラジオみたいで、「人の話を聞くのっておもしろいな」って気づきました。今でも電車やカフェで他人の会話に聞き耳を立てて勝手に楽しんでます。ゲームしたり、本を読んだりするように、私は人の話を聞いているだけなんですよね。
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音楽を始めたことで、苦手だった人とのコミュニケーションが楽しくなった
ー音楽を聴いたり、本を読んだりすることは、好きなものに触れるという自分の選択だけど、会話ってどの方向に行くかわからないじゃないですか。その意外性をおもしろがることができる人なのかなと思いました。
xiangyu:確かにそうかもしれない。電車とかで人の会話を聞いていると、「この人こんなこと考えてんだ」ってふと気づいたりして。それに、例えば夜の帰宅ラッシュで「この人これから家帰るのかな? それとも遊びに行くのかな?」って勝手に想像するのがめっちゃ楽しいんですよね。そういう時間がずっと好き。
ーxiangyuさんが作るものは、人との関係性で生まれるものなのかなと思うんですよね。リリースコメントにあった「良いor悪いじゃなく、食べ頃はとっくに過ぎてても最後の一つに対する向き合い方は人それぞれで」という言葉が個人的にすごく印象に残っているんですが、遠慮のかたまりが冷めてるのは、出来合いのご飯をUber Eatsで頼んで家で一人で食べる冷たさとは違うと思うんです。人が集まっているからこそ、遠慮のかたまりは冷めてるし一つだけ残っている。光岡さんがいなかったらこのアルバムもできてなかったかもしれないし、デビューアルバムも違う形になってたと思うんですが、人との関わりは、xiangyuさんにとってなくてはならないものだと思いますか?

xiangyu:なくてはならないんだって改めて気づいたんだと思います。元々、人は好きで興味もあるし、いろんな人と話したいってずっと思ってたけど、コミュニケーションがめちゃくちゃ苦手だった。今のxiangyuしか知らない人からしたらびっくりするかもしれないけど、昔はほんと無理だったんです。でも音楽を始めて7年目くらいになるけど、その中で人との距離感とか付き合い方、気持ちの伝え方が少しずつ分かるようになってきた。お客さん含め、いろんな人と関わるのがどんどん楽しくなってきたんです。だから今回のアルバムは、そういう対話とか人との繋がりをすごく大事にした作品になったと思います。
前作のEPの時は、どちらかというと自分の中にある「おもしろい」をひたすら1人で突き詰めた作品だったんです。だから内向きだったし、誰かと一緒に作るとか、共有するっていう感じではなかった。でも今回は、完成する前からいろんな対話を重ねていって「自分がおもしろいと思うものを、他の人の視点でどう見えるか」をやりとりしながら作ったことが大きな違いかなって思います。
ーどのように対話を重ねていったんですか?
xiangyu:いろんな人に聴いてもらったり、フィーチャリングで自分が好きなアーティストと一緒に曲を作ってみたり。光岡さんとの会話もそうだし、ライブのお客さんの反応も参考にしたかな。地方にライブで行った時には「遠慮のかたまりに遭遇したらどうしてる?」って聞いて、いろんな人の価値観や考え方を吸収して、自分の中にためていきました。
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ちっちゃくてどうでもいいことが、マジで当たり前みたいな顔して存在できる世界の方が楽しい
ー遠慮のかたまりに共通感覚があるからこそ、初めましての人でも打ち解けることができますよね。xiangyuさんは自分の足で地方まで行って、遠慮のかたまりについて直接「どう思います?」って人と話してて。地道だけど、その場で生まれる会話や関係性を起点に、じわじわ広げて作品にも落とし込んでいくのがすごく人間らしいですよね。
xiangyu:全然知らない人たちの会話とか飲食店で聞こえてくる声とかも全部、自分なりに噛み砕いて、解釈して、曲に落とし込んでいったんです。私にはそれも一種のコミュニケーションだから。それが今回の制作でめっちゃ大きかったなって思います。

ー落とし物を見つけた人がインスタでxiangyuさんをメンションすることも増えましたよね。
xiangyu:めっちゃ増えた。前にも、「落とし物の曲を聴いてから、下を向いて歩くようになりました!」って言われたことがあって。いいのか悪いのかわかんないけど、すごい嬉しかった(笑)。
私はメッセージを伝える手段として音楽を作るタイプではないけど、自分が思ってるのは、世の中にあるちっちゃくてどうでもいいことだって、普通に存在していいってこと。そういうのがマジで当たり前、みたいな顔して生きていける世界じゃないと、私はたぶん無理なんですよね。今回のアルバムは、自分史上一番ふざけた作品だけど、それがちゃんと作品として成立することがすごく嬉しい。「道端にネギがあるからなんなの?」って言われて落ち込んだこともあるけど、私は路上のネギを見てキュンってしたし、このスタンスのままで居続けたい。ネギが落ちてたよって報告し合える世の中の方がやっぱり楽しいじゃないですか。自分の「なんか好き」をシンプルにシェアできる空気がもっと広がったら、超最高だなって思う。
ー今日の生活は、あらゆる時間がタスクをこなす時間になってしまっていると思うんです。すぐに忘れる豆知識やニュースを吸収したり、メールを返したり。現代社会で効率主義に全振りしないで、どうでもいいくだらないことを愛でることができるのは、1つの豊かさでもある気がします。
xiangyu:いつからか友達と遊ぶ時にドロケイをしなくなったじゃないですか。昔はドロケイで一日中遊べたのに。ただ友達に会いたいだけでも、ご飯を食べるかお酒を飲まないといけなくなった。何歳になってもそういうくだらなさを楽しめる人が好きだし、自分もそうありたいなって思います。

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知らないことを少しでも多く知りたい。xiangyuの原動力は好奇心
ーxiangyuさんの楽曲のテーマからは「なんで太陽は東から登って西に沈むの?」みたいな純粋な好奇心を感じます。それはどこから湧いてくるんでしょう?
xiangyu:なんでだろう。でも、死ぬまでに世の中のこと全てを知ることは無理じゃないですか。だからこそ、ちょっとでも多く知ってから人生を終えたいなってずっと思ってます。例えばキノコって、図鑑に載ってない種類がめっちゃあるらしいんですよ。書店で売っているキノコ図鑑の写真を撮ってる、マジの「キノコマスター」みたいな人に教えてもらったんですけど、「そんな人でもまだ知らないキノコがあるんだ」っていうことが超おもしろくて。


xiangyu:人間に対してもそうで、どれだけ仲良い人でも、今日と明日のその人は別かもしれない。だからちょっとでも理解したい、知りたいって気持ちが、多分自分の中で一番の原動力だと思ってます。
社会への不満とかをぶつけたいって感覚はあんまりなくて、それよりも「これなんだろう?」っていう好奇心の方が大きいんですよね。なんとなくSNSで呟くよりも、自分の中で一回噛み砕いて、「なんで」おもしろいと思ったのかをちゃんと理解してから、作品として出す方がしっくりくる。そういう姿勢が曲づくりのベースにある気がします。
ーxiangyuさんは元々、ミュージシャンを目指していたわけではなかった人ですよね。スカウトをきっかけに、ファッションのフィールドから転身されたということでしたが、これまでの経歴も影響しているのでしょうか?
xiangyu:自分は人前に出なくていいから、作品だけが世の中で一人歩きしてほしいっていう気持ちがずっとあったんです。だから、10代の頃からずっと洋服を作ってたんですけど、やっぱり1人でやるには限界もあった。コスチュームデザイナーのアシスタントもしてたので、自分が作ったものが別の誰かの名前で世の中に出ることがすごく苦しかった。「作ったのは自分なのに」って。そういうジレンマを抱えて、この状況をどうにかしたい気持ちが強くなった時、今のチーフマネージャーにあたる人(福永泰朋氏)から昔スカウトを受けたことを思い出して、「乗っかるしかないかも」って思ったんです。「あなたがやりたいことは服よりも音楽の方が伝えられるし、届く速度も速いよ」って言葉がすごく残っていたので、「じゃあ音楽にかけてみようかな」って思ったことが始まりでした。

ー冒頭の「美術作品よりも世の中に届きやすい音楽で表現してることがすごい」という光岡さんのコメントは、xiagnyuさんの音楽活動の答え合わせになってるのかもしれないですね。
xiangyu:そうかもしれないです。スカウトを受けた頃と表現方法は変わったけど、やりたいことは12、13年経った今でもずっと同じなんだなって、改めて思います。
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xiangyuの楽曲に欠かせないダンスミュージックの気持ちよさ
ーアルバムの制作面についても聞いていきたいですが、今回、光岡さんは、初めてマイク握って“ずっといるトマト”にラップでも参加してます。なぜ光岡さんに歌ってもらうことにしたんですか?
xiangyu:自然な流れでそうなったんです。彼の作品や文章を通して、ワードセンスが豊かな人だと思っていたので、(アルバムの)アートワークだけをお願いするのがすごくもったいなく感じていて。そこで、話の流れで「歌詞とか書いてみませんか?」ってフワッと聞いてみたら、「やります!」って即答してくれました。実際に送られてきた歌詞を見たら、<動かざる山の如し>みたいなパワーワードだらけだったんです(笑)。めっちゃおもしろかったし、私の中で光岡さんの声でその言葉たちが再生されたので、本人に歌ってもらうのが一番しっくりくると思いました。
ーそんな経緯があったんですね。一方、Gimgigamさんが担当したサウンドは、ダンスミュージックが特徴的です。遠慮のかたまりが日本人ならわかる共通感覚であるように、ダンスミュージックは歌詞がわからなくても楽しめるユニバーサルなジャンルだと思います。ダンスミュージックへのこだわりを教えてください。
xiangyu:ダンスミュージックの気持ちよさは、自分としても、チームとしても大事にしてます。歌詞の内容にはもちろんこだわるんですが、語感もすごく重要なので、気持ちよく聴こえるフレーズをいつも探しています。だから、言いたいことの語感が悪いと悩むことが多くて、そのバランスが毎回難しい。テーマには合ってるけど、ちょっと語感が悪いときは、どう直すか考えますね。逆に、言いたいことから少し離れてても、耳障りが良かったらそれはそれでありだなと思います。
