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美しいメロディーの背景にある「人間の不平等さ」への関心
―内向的なあなたが、ミャンマーという異国に6年(2006年〜2012年)も暮らして、NGO団体で活動しながら現地の人と交流したというのも驚かされます。何があったのでしょうか。
タマス:子どもの頃から人間の不平等さについて考えること多かったのですが、東南アジアを何度か旅行したときに極度の貧困を目の当たりにして、何か援助できないかと考えるようになりました。
特にインドネシアに滞在したとき、オーストラリアからそんなに遠くない国でこんなにも苦しんでいる人や、機会に恵まれてない人がいることにショックを受けました。それで大学で公衆衛生について学び、人道的な仕事に就きたいと思ったんです。そして、妻と一緒にボランティアに応募してミャンマーに行くことになりました。
―現地での生活はいかがでした? 当時、ミャンマーは軍事政権で、民主化を求めるアウンサン・スーチーさんが長期にわたって軟禁状態に置かれていましたね。
タマス:ミャンマーに移住した当初は、私たちがどこに行こうとしているのかチェックするために軍関係者が常についてきました。でも、私がオーストラリアに帰る頃には次第に開放的になり、未来に希望が持てるようになっていた。とても強烈な経験でしたが、素晴らしい日々でした。
―あなたがオーストラリアに帰国されたあとにミャンマーは民主化に向かいます。社会が変化する激動の時期に立ち会ったんですね。
タマス:帰国して10年くらい経ちますが、現在も1年に2回はミャンマーに行ってボランティアの仕事をしています。現地の人たちが苦しむ姿を目の当たりにし、国を少しでもよくしようと戦い続けている人たちと親交を深めてきたので、帰国後も彼らをサポートすることが大切だと思っているんです。

タマス:オーストラリアも日本と同じように、一見すると裕福な国であるにもかかわらず非常に苦しんでいる人たちがいます。一方で、極度の貧困に直面している人々にはチャンスすらない。
ミャンマーにおける貧困は、軍事政権によって苦しみが極端なレベルにまで引き上げられています。でもミャンマーの人々は、経済的な豊かさだけが人生の目標ではないことを理解しています。ミャンマーで暮らすなかで、そういった彼らの考え方に共感しました。
―ミャンマーで暮らしながら曲を書いたり、アルバムを制作されていましたが、異国での創作活動はいかがでした?
タマス:やはり、現実世界のプレッシャーや心配事からの逃避だったといえるかもしれません。音楽には自分だけの小さな世界があって、そこにいるあいだは外の世界のことを忘れることができる。
でもそうやって音楽の世界に没入して自分にとって大切なものを掴み取ろうとしても、そうする度にどこかに行ってしまうんですね。まるで逃げ水みたいに。メルボルンに帰ったいまも、私にとって音楽は現実のシリアスな問題から一時的にエスケープできる場所なんです。
