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コンビ仲が悪くてキツかったり、自分に自信が持てなくて負のループに陥ったことも
ーオリエンタルラジオはデビュー1年目から順調に売れていきます。
藤森:そこは相方も全く予期せぬ出来事だったみたいで、「お前と組んでよかった」と言ってくれました。最低でも5年から10年は下積みが必要と考えてたみたいなんですけど、僕は「意外とすぐ売れちゃうんじゃない?」と言ってたんです。そしたら本当に1年目で僕が言った通りになっちゃって。歯車がたまたま上手く噛み合ったんでしょうね。周りの環境もあったし、自分たちの努力の成果でもあったのかなと思います。
ー一方で、その頃の自分に向けた手紙には「側から見れば順風満帆な芸人人生のスタートだったと思いますが、その裏では大変な苦悩がありましたね」と書かれています。
側から見れば順風満帆な芸人人生のスタートだったと思いますが、その裏では大変な苦悩がありましたね。相方や事務所のおかげでたまたま手にした栄光。実力も実績もないところですぐに仕事は減り、劇場のお客さんも少なくなっていきました。周りからは一発屋と揶揄され、どんどん不安は募り自信もなくなっていました。次第にコンビ仲も悪くなり、喧嘩ばかりの日々でした。
藤森慎吾の手紙抜粋(「#あの頃の自分に届けたいコトバ」supported by FRISK より)
藤森:テレビに出るとか、有名になるという目標が、本当にすんなりクリアできちゃったんですよね。ゴールデンで番組を持たせてもらったり、『エンタの神様』でも毎週ネタをやらせてもらえたし、街を歩いてても声をかけてもらえるようになって。当然うれしかったんですけど、それを持続させるのも難しかったし、周りがどんな目で僕らを見ているのかが気になるようになったのも苦痛でした。

藤森:結局、僕らは武勇伝というネタだけで世に出たので、トークスキルもなければ大喜利もモノマネもできない。次第に「あいつら何が面白いんだ?」という風潮も出てきて、自分に自信が持てなくて負のループに陥りましたね。実力通りにしっかり番組も終わっていきますし、レギュラーも減っていって、怖かったです。このまま終わっちゃうのかな、忘れ去られるのかなと。
ー芸人人生の中で一番しんどかったのはその時期ですか。
藤森:しんどさも何種類かあって、仕事が減っていくのもそうだし、スケジュールが過酷すぎるとかもあるんですけど、コンビ仲が悪いときが一番キツかったですね。口もきかないし、喧嘩が絶えないという時期がデビューして3〜5年目くらい。一度売れたあとのくすぶっていた時期でした。いまだにその頃を思い返すと嫌な気持ちになります。
ー『オールナイトニッポン』生放送中に殴り合いの喧嘩になったこともありましたよね。
藤森:あれは氷山の一角というか(笑)。しょっちゅう殴り合いしてましたから。それくらい仲が悪かった。心身ともに疲弊しましたね。