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自分の「好き」を極めるだけでは伝統芸能は守れない。どれだけ世間に歩み寄れるかが大事
ーいわゆる伝統芸能に従事している方で、「型にはまり過ぎても良くない」という感覚があるのに驚きました。型にはまり過ぎても良くないと思うようになった出来事などがあるのでしょうか?
駒田:学生時代に、当時はやっていた”千本桜”を吹奏楽部の友達と放課後に耳コピして遊んでたことがあったんです。私は三味線で、その子はピアノ。自分の中で「三味線を通じて他の楽器とセッションできた」という成功体験につながって、すごく嬉しかったんですよね。耳コピした”千本桜”のフレーズも自分の三味線のレパートリーとして残るから表現の幅が広がったし、民謡以外の曲も弾けるんだなという気づきがあった。そこから古典以外の曲にも挑戦するようになったんです。
もちろん、民謡も大事で日々勉強中ですが、それとは別に「違う軸」も持ちたいという思いが芽生えたんだと思います。だって、私の演奏を見に来てくれた人に「次の曲は秋田県の民謡の”本荘追分”です」って言ってもわからない人にはわからないじゃないですか(笑)。
私は好きな楽器をやっているけど、好きな楽器がメインストリームではないという自覚もある。本当に奏者人口が少ないので、継承していかないと廃れてしまう。自分の好きを突き詰めてるだけじゃダメなんです。どれだけ世間に歩み寄れるかも大切だなって思います。
ー「伝統」と「しきたり」って紙一重だと思うんです。「このままでは良くない」と思って、声を上げたり仕組みを変えようとしても、社会の組織に属していると、長いものに巻かれてしまったり、大きなものに抗えなかったりすることもあると思うんです。
駒田:結局みんなやっていることが同じなんですよね。三味線を残したいと言いながら、みんな三味線を弾く上で好きなこと(民謡)ばかりを極めるのに躍起になっている。誰もが「伝統を残したい」という気持ちはあっても、それじゃあ残らないでしょって思ったんです。みんな同じでは文化は発展しない。同じフィールドで競い合って、仕事を奪い合っているようでは意味がないし、私はそういう世界とは違う場所で三味線を残していきたいと考えるようになりました。自分には自分の得意なジャンルがあるし、誰もやっていない土俵で勝負したかったんです。
ただ、そうやって民謡に真剣に取り組んでいる人たちを否定するわけではありません。上の世代の言葉にも耳を傾けながら、バランスを取って活動していくのは難しいですが。

ー三味線界からの反応はいかがですか? どの世界でも否定的な人はいるのかなと思いますが。
駒田:私の周りの師匠たちは比較的寛容な方が多かったです。ネガティブな人もいますが、全く気にならない。私がSNSに投稿したギターリフのカバー動画がうまくいったら真似する人も出てきたので、間違ってなかったんだなと思います。何をやっても結果が出ればいいんだと思います。田舎の高校だったので、
それに、三味線に詳しくないお客さんを目の前で演奏した時に一番楽しませることができる自信もある。「難しかったね」と思いながら帰ってほしくない。ステージに立ったら、技術よりもどれだけ楽しませられるかの方がよっぽど大事だと思うから。