いつの時代も、社会を映し出すように、そして救うように、新たな表現者が登場する。分断や排外主義が拡大する社会に必然の存在として表れたアーティスト、それがRol3ert(ロバート)だ。
2005年にアメリカにて生まれ、2歳から日本で育ち、2025年1月から本格的にソロアーティストとして活動をスタート。これまでリリースした“meaning”、“HOPE”、“Nerd”、“say my name”という4曲は、どれも歌詞は主に英語を用いて世界中の人へコミュニケーションを投げかけながら、日本語やJ-POP由来のメロディを交えることで音楽的なオリジナリティを発揮している。Instagramに投稿するカバー動画は世界中でバイラルし(400万再生を超えるものも!)、オリジナル曲は世界各国のプレイリストに入る状況で、すでに日本だけでなく韓国、台湾、タイ、インドネシア、フィリピン、アメリカ、ブラジルなどのリスナーやSNSフォロワーが多い。音楽業界内の評価も高く、本格活動から約7か月ながらすでに『FUJI ROCK FESTIVAL’25』や『SWEET LOVE SHOWER』などのフェスにも出演を果たした。
Rol3ertが世界中から支持される理由は、その歌で、今とこれからを生きるために必要な感覚を発信しているからだと、このインタビューを経て確信した。ここで彼が語ってくれた、「先導者として」などと意気込んだ言葉ではなく、ひとりの19歳としてナチュラル話す言葉は、今の時代を映し出している。そして、その眼差しを素直に音楽に落とし込む勇気も持っている。人種やジェンダーを超えて音楽を届けたいと強く願うのは、排外主義に対する綺麗事の提言などではなく、ひとりの人間として希望を持っていないと前には進めないから。その感覚をシェアしたいと、彼は心底願っているのだ。
インターネットにインタビュー記事が上がるのは、これが初とのこと。Rol3ertとはどういうアーティストなのか、ルーツから思考の深い部分までを伝えることのできるページを作らせてもらった。
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優れたライブパフォーマンス力の裏にあるもの

2005年生まれ、現在19歳。アメリカ出身、2歳から日本で育つ。グローバル照準のトラックメイキング、ポップとJ-POP由来の美しいメロディ、人々の孤独や悩みに寄り添う歌で、世界を魅了する。2025年1月「meaning」で本格始動。8月27日、新曲『say my name』を発表。19歳にして、グローバル音楽シーンに挑む、日本発の新たな才能として注目を集めている。
―7月に行った初のワンマンライブでも、『FUJI ROCK FESTIVAL‘25』でも、「本格活動して半年です」というMCに会場がどよめいていましたよね。私は普段から2000年代生まれのアーティストをたくさん取材させてもらっているんですけど、コロナ禍以前は、いいライブができるようになるためにはライブハウスでの下積みが不可欠だと考えられていたところ、コロナ禍以降に登場する2000年代生まれの方たちは、ステージの場数が少ないのにいきなりいいライブをやってのけるアーティストがいるなと思っていて。そういう人たちって、結局、中高生時代から現場にしろネットにしろ人前で歌う経験を積み重ねてきたか、もしくは、いろんなライブ映像を見まくっていて、そこから何をインプットして自分はどう表現したいのかという想像力・創造力が長けているか、そのどちらか、それとも両方だと思っているんです。Rol3ertさんはどうですか?
Rol3ert:ライブはめっちゃ見るほうですね。ライブに行くこともありますし、YouTubeで好きなアーティストのライブを見たりしています。一番印象に残っているのは、The 1975のマディソン・スクエア・ガーデンのライブ。小さい頃からお父さんがマイケル・ジャクソン、The Clash、アダム・ランバートとかを聴かせてくれていたんですけど、特にマイケル・ジャクソンはライブ映像をたくさん見ました。とにかく迫力がエグくて、リピートしていましたね。最近だと、お客さんがスマホで撮ったd4vd、keshiとかのライブを見るのが好きです。お客さんが上げている動画は逆にリアリティがあると思う。

―Rol3ertとして活動を始めるまでは、どんなふうに音楽に触れてこられたんですか? 高校生の頃からバンドをやられていたそうですけど、それも今のライブ表現に活きていそうですね。
Rol3ert:小1から中2、3まではバイオリンをやっていました。それが活きている部分もあるかもしれないです。中学2年生の頃にONE OK ROCKが好きだったり、マイケルを聴き返したりしていた時期があって、そこからジャスティン・ビーバー、テイラー・スウィフトとかのメジャーどころや、アヴィーチー、アラン・ウォーカー、カイゴとかのDJ系にどっぷりハマって、さらにどんどん洋楽を掘るようになって。そこから「自分で曲を書いてみたい」と思って、友達と4人組バンドを組みました。
―どういった要素が「自分で曲を書いてみたい」と思わせたのでしょう。
Rol3ert:音楽を聴いて黄昏れる瞬間ってあるじゃないですか。それがすごく心地よかったというか。でもその感覚は、人の曲だから、自分が作りだしたものではなくて。自分で感情の動きを作りたいなと思ったのが始まりです。最初は電子ピアノに付いている録音機能や、GarageBand(Appleが提供する無料の音楽制作アプリ)を使って曲を作っていました。ツインボーカルのベースボーカルとしてバンドを組んで、そのあとすぐに受験だったので中学のときはあまり活動してなかったんですけど、高校から本格的にやっていましたね。オリジナル曲も作って、SNSに動画を上げたり、5回くらいだけですけどライブハウスに出たりしていました。
―初のワンマンライブは、たった一人でピアノ弾き語りで演奏されていましたけど、Rol3ertさんの人生の中でピアノはどういうものだったんですか?

Rol3ert:母親の電子ピアノとグランドピアノが家にあって、ずっと家の中でピアノの音が聴こえてくる環境だったので、それが大きかったかもしれないです。兄もミュージシャンとかではないのに、自然とハモれるんですよ。母親はプロとかではなくアマチュアで自由にやっている感じなんですけど、この前「ピアノをするために仕事をしてる」って言ってました(笑)。でも自分はピアノの練習を全然やってこなくて、YouTubeの動画を見て、自分のやりたい曲だけ弾いて終わり、みたいな。本当に、適当にやってましたね。
―一般的に「練習」「努力」と呼ばれるものを、自分で「練習」「努力」と思わず、夢中になって時間を費やせられる人が一番強いんですよね。そういう人がプロになる。
Rol3ert:たしかに。楽しいと思っていればいいですよね。
―バンドはなぜ解散してしまったんですか?
Rol3ert:失礼に当たる部分があるかもしれないので、言い方が難しいんですけど……友達の楽しさと、上を目指す楽しさって、違うじゃないですか。みんな「上に行こう」って言ってはいたんですけど、口だけの部分があったというか。真剣に考えて、みんなに「辞める」って言ったという感じでした。去年の7月末に解散して、自分が辞めるって言ったからにはしっかりやらなきゃと思って、8月からSNSに動画を上げ始めました。
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人種やジェンダー関係なく音楽を届けたい
―逆にいうと、Rol3ertさんの中では「上を目指したい」という気持ちが強くあったということですよね。Rol3ertさんが目指すものとは?
Rol3ert:具体的なものはいっぱいありますけど――それこそ、マディソン・スクエア・ガーデンでライブがしたいとか。でも結局は、さっき言ったように感情の動きみたいなものを自分で作りたいので、それが自分だけで完結せず、人種やジェンダーとか全く関係なくいろんな人に届いたらいいなと思います。僕の音楽が、気持ちを落ち着かせられるものとしてみんなのそばにある存在になればいいなと思う。誰一人残さずに全員を取り囲みつつ、僕自身が音楽から感じた落ち着きや安心をみんなに届けたい。目指しているところはそこだと思います。

―まさに“meaning”では、<選べない 居場所や 形が nightmareに / 変わらないのに / 意味もない 形が 時には血を流す>と人種やアイデンティティについて歌っていますよね。全ての人に届けたいという想いは、Rol3ertさんのどういった考えや経験からくるものなのでしょう。
Rol3ert:人間って、結局、どこかしらで差別意識を持ってしまうとは思うんですよ。でも……同じ人間なのに違う見方がされてしまうじゃないですか。“meaning”で歌ったように、そこに変な意味が突きつけられちゃって、苦しんでいる人もいれば、負い目に感じちゃう人もいる。音楽って、俺が聴いてきたものもそうですけど、邦楽とか洋楽関係なくいいものがいいじゃないですか。だから俺の音楽自体がよければ、人種も何も関係ないと思っているし、限定せずにいろんな人に届いたら俺自身も一番幸せになるんじゃないかなと思って作っていますね。
―アメリカで生まれて、2歳で日本に移られてきたそうですけど、そういったご自身のアイデンティティや人生経験からの想いもありますか?
Rol3ert:差別を受けたわけでもないし、そこに負い目を感じたこともないので、それが今の音楽の書き方に影響していることはないと思います。でもこの前、シカゴにあるインターナショナルクラブという場所へ遊びにいったらいろんな人種の人がいて、すっごく息がしやすかったんですよ。言語もカルチャーも違う中で、一人ひとりのカルチャーを否定したりもせず、溶け込めることが心地よかったというか。そのときも、日本人だけに固執せずいろんな人に届けるってこういうことなのかなと思いました。