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宇佐美に見る“ありし日の大人”の姿

一見するとパワハラとも受け取られかねない厳しい訓練は、訓練生たちの実力を試すだけではない。「自分で追い込むには限界があるから、俺たちが追い込むんだ」と語る宇佐美には、指導者としての意志が垣間見える。その後の「俺たちは究極のドSとドMの関係なんだよ」と冗談めいたセリフを聞いたときは、宇佐美の娘・勇菜(吉川愛)のようにギョッとさせられたたが、その言葉の裏には救難員本人の安全を守るため、そして救助対象者の命を救うために、常に肉体的にも精神的にも限界を超えつづけなければならない航空救難団の厳しさが滲む。
学生たちと全力で向き合う宇佐美には、どこか「父」を思わせる瞬間がある。たとえば第1話。幼い頃に雪山で父を亡くした沢井は、自分だけが生き残ったことに深い後悔を抱えている。自分のせいで父が死んだのではないかという罪悪感から、命を犠牲にしてでも誰かを助けるべきだと涙する沢井に、宇佐美は「自分が救われたいだけじゃないのか?」と問う。そして「俺が必ずお前を一人前の救難員にしてやる」「だから、お前はお前を許してやってくれ」と迷いのない言葉で背中を押した。沢井を責めも突き放しもせず、「許してやってほしい」という宇佐美の言葉には、彼自身が背負う責任が見えた。
さらに、養護施設育ちの白河にスポットが当たった第3話では、相撲を通して、全力で彼の孤独を受け止めた。「俺たち教官だってな、お前たちのためだけにいるんだ。もっと甘えていいんだぜ。家族みたいに……よ」とはにかむ宇佐美に、少し気恥ずかしさを感じた人もいるかもしれない。「時代と逆行している」と言う人もいるだろう。だが、こんな時代だからこそ、宇佐美のように真正面から若者と向き合い、責任を引き受けようとする「大人」の存在はひときわ貴重に感じられる。もしかしたら、私たちは、“ありし日の大人”の姿を宇佐美に重ねているのかもしれない。叱ってくれて、支えてくれて、ときに寄り添ってくれた、子どもの頃に出会った誰かを。