今、大型の野外音楽フェスに現代美術の作品や作家が関わる機会が増えている。文化芸術のグローバル発信拠点へと日本を成長させることを目標として文化庁が始めたプロジェクト『MUSIC LOVES ART』は『SUMMER SONIC』とコラボレーションし、会場内にアート作品を展示する取り組みを通じてアートと音楽の協働や共生を目指している。
しかし、その実、『MUSIC LOVES ART』や文化庁が目指すグローバル展開の思想を元にした取り組みはおおよそ音楽に愛されるアートとは言い難い。2024年に万博記念公園に会場を移転した『サマソニ大阪』では、フェス本体が果たした音楽とアートの刺激的な出会いと、『MUSIC LOVES ART』の達成度の格差が浮き彫りとなってしまった。
両者のイベントを振り返り、アートと音楽が愛し合うために必要なことを考える。
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アートと音楽フェスの関わりーー2022年に始まった『MUSIC LOVES ART』
アートと音楽。ありふれたコラボレーションの掛け合わせだが、近年の日本では大型の野外音楽フェスに、現代美術の作品や作家が直接的に関わる機会が増えている。
とくに知られているのが『SUMMER SONIC』(以下、『サマソニ』)での取り組み。2022年に始まった『MUSIC LOVES ART』は、文化芸術のグローバル発信拠点へと日本を成長させることを目標として文化庁が始めたプロジェクトで、第1回はインディペンデントキュレーターの山峰潤也を迎え、小林健太、金氏徹平、レアンドロ・エルリッヒ、細倉真弓、イナ・ジャンの作品が会場に設置された。この年の展示を筆者は見れていないが、音楽的なリズムやグルーヴを造形に反映させる作品にフォーカスした企画者の意図はわかる。とくに写真家の細倉による、ミュージシャンやダンサーらが音楽を聴きリズムにのっている様子をとらえた無音の映像作品『I can (not) hear you』(2019年)は、ファッションや政治などにも接続する音楽の社会的性質を批評する作品になっていただろう。
近代以降の多層化・多面化する世界で形成されていった現代美術の醍醐味は、ある年代、ある地域、ある社会集団のツァイトガイスト(時代精神)を可視化・再編成し、ときにハチャメチャな飛躍をともなった批評(批判)として投じることにある。すなわち「アートと音楽」といった枠組みが与えられ、仮に刺激的なフレーバーとしての舞台美術やVJの役割を求められたとしても、それだけでは収まらない挑発を作品に組み込むことが現代美術の作法のエレガンスであり矜持だ。
前述した文化庁主導の『MUSIC LOVES ART』はその後も回数を重ね、今年は『MUSIC LOVES ART 2024 – MICUSRAT(マイクスラット)-』という名称で実施された(昨年からキュレーション担当も変更)。例年、『サマソニ』は千葉と大阪の2会場で同時開催されるので展示作品も会場ごとに異なる。そのため、ここで論じる対象は『サマソニ大阪』のみになる。
また今回の新たな取り組みとして、大阪では大阪市中心部の商業施設や民間企業の敷地内にパブリックアートを設置する取り組みも行われた。後者は「日本博2.0」の令和6年度採択事業で、関西経済連合会(関経連)や地元企業の協力を受け、来年に開幕が迫る『EXPO 2025 大阪・関西万博』に向けての機運醸成プロジェクトとして位置付けられている。
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踏み込みが足りなかった『MUSIC LOVES ART 2024 – MICUSRAT(マイクスラット)-』
万博を契機とした芸術文化関係者と関西政財界の橋渡し的役割を担っている市内での展示は、正直に言って面白味に欠ける。『六甲ミーツーアート』で芸術散歩公募大賞準グランプリを受賞した鐡羅佑の巨大なサンショウウオ彫刻や、中国留学経験をもつ太谷陽一郎の漢字をモチーフとするペインティングからは、現代的な都市文化とは異なる世界からやって来た異物としての存在感を読み取れる予感もあったが、キュレーションの踏み込みが物足りず、穏当だ。
純粋に作品として見応えがあるのは、REMAの砂を圧縮させたようなハート型の彫刻『The Ecosystem of Love from That Time.』。作家自身が抱く装飾へのオブセッションやジェンダー意識を反映したREMAの作品は、身体の隠喩としてもとらえられる彫刻の表面にトライバルタトゥーのような紋様や文字を刻み込んでいる。
また、FRP(繊維強化プロスチック)でつくられたとおぼしき台座のところどころには大きな穴が穿たれ、鑑賞植物が縦横無人に繁茂している。肉体なのか、皮膚なのか? 台座なのか、植木鉢なのか? 認知を撹乱させる多面性は、歴史的に男性性が際立つ彫刻のマッチョな物質性を批評するようで、見る者の思考を刺激する。こういった知的で遊戯的な体験が得られなければ、アートは面白くならない。
同作が展示された日本生命淀屋橋ビル地下1階サンクンガーデンに常設されたアントニー・ゴームリーの人体彫刻との対比も興味深い。世界的に著名な彫刻家の作品が、サンクンガーデンの端っこに地味に置かれている。これは施設利用者の安全性を考慮してのことだと思うが、その折衷的な姿勢はいかにも日本的だ。
『サマソニ大阪』会場である万博記念公園では、久保寛子、奥中章人、GOMAの作品が設置されている。ミュージシャンでもあり、本企画の目玉としてドローンを用いたパフォーマンスも行ったGOMAを除けば、久保の女性の手を模した立体作品のコンセプトは万博記念公園や『サマソニ』の文脈から遠く切り離されているし、奥中のバルーンインスタレーションはフェスの多幸感を演出するアクティビティ以上のものではない。
また、そもそも匿名の作り手のインスタレーションや造作物があちこちに設置されたフェス会場で、これらの作品を特権的に「アートである」と強弁することもできないだろう。残念ながら「MUSIC LOVES ART」と宣言できるほど、ここではアートは音楽から愛されていない。あるいは音楽から愛される状況を生むことに、本企画のキュレーターや文化庁はそれほど興味を持っていないのではないか、と疑問に思う。
GOMAのパフォーマンスにしても、ドローンに花火を装着して点火する日本初の試みが熱心にアピールされていたが、それよりもパフォーマンス後に空に描かれた関西経済連合会と文化庁のロゴの完成度の高さが印象に残っているのは皮肉だ。日本と比べて中国や米国で何十歩も先に進んでいるドローンパフォーマンスであるからこそ、ここでは立体的な空間(=空中)を用いた動く彫刻の一ジャンルとして定義するだとか、公共性に紐づいたパブリックアートの新しい提案として意味付ける、といった批評的なアチチュードを示すこともできたのではないだろうか?