<今日のご飯 何かな / 天ぷらと お豆腐と / ごまあえ ほうれん草 /おばあちゃんの 手作り / おはぎを 食べよう>(“Kabutomushi”)。
アメリカはデトロイト近郊の街で生まれ育ったメイ・シモネスは、こんな歌を歌う。日本人の母を持ち、日本語と英語を使いこなしながら、ジャズやボサノバ、チェンバーポップを織り交ぜた独特の音楽を生み出すシンガーソングライターだ。
『FUJI ROCK FESTIVAL ’25』ではRED MARQUEを沸かせ、2026年にはMen I Trustのサポートに加えて単独ツアーを控えるなど、日本でも注目が集まっている。そんな彼女の音楽の背景にあるものは何か。その活動を初期から追うライターの松永良平の取材に、日本語で応えてくれた。
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ミシガン州アナーバー出身で、日本人の母を持つ。4歳でピアノを始め、11歳でエレクトリックギターに転向。高校でジャズギターを弾いた後、バークリー音楽大学でジャズを中心にギター演奏を学ぶ。日本語の幼稚園の先生として働きながら、曲作りも続けた(歌詞は英語と日本語の両方で書かれている)。Red Hot Chili PeppersのFleaが絶賛するなど注目を浴び、『FUJIROCK FESTIVAL’25』では3日目のRED MARQUEEに出演。
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母の影響で『寄生獣』を読み、『Mステ』などを見て日本語に触れた少女時代
─日本語と英語の受け答えでは、英語のほうが早いですか?
メイ:やっぱり英語ですね。
─生まれも育ちもアメリカで、お母さんが日本人なんですよね。こうして日本語でコミュニケートできるのは、意識して生活のなかでも日本語をキープしていたから?
メイ:母が日本語を話せることが大事だと考えていて、ずっと練習していました。今ももっとうまくなりたいと思っていて、日本の漫画を読んだりしています。今は『君に届け』(椎名軽穂)を読んでるけど、すごくかわいい。あと母の影響で中学生のときに『寄生獣』(岩明均)を読んでみたり。好きな漫画は『よつばと!』(あずまきよひこ)です。
小さい頃は母に日本語を毎日勉強させられることが嫌だった時期もあったんです。友達はみんな外で遊んでるのに、なんで私だけこんな教科書見ながら勉強してるのかって(笑)。でも、中高生になったら、日本語を学んでいて本当に良かったと思うようになりました。
2つの言語しかしゃべれないけど、でも英語と日本語ができるだけでやっぱり世界が広がる。英語だけしかできなかったら、今の音楽も作れてないし、私はきっと全然違う人だったと思う。

─日本の音楽も聴いてました?
メイ:今は結構好きな日本のアーティストはいるけど、小さい頃はあんまり聴いてなかったですね。『ミュージック・ステーション』とか『紅白歌合戦』に出るようなアーティストしか知らなかったです。
─メイさんの音楽を対外的に発信した最初は2020年の春ですね。“Hfoas”という楽曲が3月15日に配信されました。
メイ:その前から自分で作曲はしていたけど、“Hfoas”は初めて日本語の歌詞を入れた曲です。それまでに作っていた曲はジャズの影響があんまり出ていなかったけど、“Hfoas”では結構ジャズの要素が強くあって。
そこで自分のスタイルが生まれたという感じです。それ以前は、もうちょっとニューソウルみたいな感じでした。そういう音楽は、今の私が作りたい音楽とは違う感じに思えてきたんです。
─幼い頃から自分の歌いたい曲を自分で作りたいというタイプでした?
メイ:ギターを始めた小学校5、6年生の頃にはもう作曲をしてました。そのときはNirvanaとかがすごく好きだったから、ロックっぽい曲を作りたかったんだけど、きっとあんまり良くなかったと思う(笑)。友達とバンドをやったりもしてました。
─高校まではミシガン州のアナーバーで過ごしたんですよね。行ったことがあるんですけど、デトロイト郊外の大学街で、いいレコード屋さんもあって。あの街で日本人とアメリカ人のミックスとして育つことは、特に意識するようなことではなかった?
メイ:そうですね。アナーバーはミシガン大学があって、いろんな国からの留学生も多いから、自分の人種を意識することもそんなになかった。
─ライブを見るとギターがすごくうまいとわかります。ギターで表現できるものが自分にはあるという自覚も早くからあったんですか?
メイ:うーん、そういうのは特になかった。すみません(笑)。普通にギターってなんかかっこいいから弾きたいと思ったんです。それでたくさん練習して、まあまあ弾けるようになった感じです。

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キャリアを方向づけた「ジャズ」との出会いで学んだこと
─ジャズとの出会いも、大きく影響しているのかなと思いますが。
メイ:そうですね。私が通っていた高校にすごくいいジャズのプログラムがあったんです。そこでジャズを勉強しました。
─音楽学校ではなく、普通の高校の授業でジャズを学べたということですか?
メイ:はい。私が通っていた高校には、たまたま少人数のジャズバンドのプログラムがあって。アメリカの高校では結構ジャズの授業はあるんですけど、ビッグバンドがほとんどで、カルテットやクインテットのジャズをやる授業は少ないんです。
授業の内容自体はみんなが勉強するようなものと同じです。チャーリー・パーカーについて学んだり、ジャズスタンダードをいっぱい練習したり、音楽理論を勉強したり、演奏を楽譜に書き起こしてそれをコピーしたり。
─日本の学校では専門的なコースでなければそこまで音楽の授業で習うことはないですよ。普通にカリキュラムに組み込まれているのは、すごくいいことですね。
メイ:うん、すごくいい。私はそうやってジャズを学べてすごくうれしかったです。
─ジャズを学ぶなかでの発見といえば、何を思い浮かべます?
メイ:最初に一番好きになったのは、グラント・グリーンっていうギタリストです。
─粘り強いシングルトーンの反復で有名なギタリストですよね。「Blue Note」にソウルジャズの名盤をたくさん残してる。
メイ:あとは、ウェス・モンゴメリー、ジム・ホール、ギタリスト以外にも、セロニアス・モンク、バド・パウエル、ジョン・コルトレーン、チャーリー・パーカー……。
─メイさんが高校に通っていたのは2010年代の後半で、その時期にはロバート・グラスパーやThundercatのようなジャズの新潮流もありましたよね?
メイ:その頃はあんまり聴いてなかったです。今はジャズギタリストのカート・ローゼンウィンケルやギラッド・ヘクセルマンとかすごく好きですね。
─ジャズってどういうところが面白いなと思います?
メイ:一人ひとりのミュージシャンのボイス、日本語でどう言うのかわからないけど、ミュージシャンの「声」がすごく大事。
─歌声という意味ではなく、その人の個性を表す音という意味でのボイスですよね。
メイ:そうです。自分のユニークなボイスがなかったら、もう意味がないって感じの音楽だと私は思います。それがジャズのすごくいいところ。
─高校卒業後は、ボストンのバークリー音楽院に進学しますが、かなりの決心が必要だったのでは?
メイ:わりと自然なことでしたね。親は「大学には行かないと」と言ってたし、じゃあどこに行けばいいのか考えてたんです。結構いろんな人にバークリーはすごくいいよと言われたので、そう決めました。
─入試はギターで? 最初からジャズ専攻? そもそも、どういう試験だったんでしょうか?
メイ:専攻は入試の時点では決めなくていいんですけど、オーディションで弾く楽器はあらかじめ決めないといけないんです。面接もあったけれど、きっと演奏のほうが大事だったと思います。
─バークリーでの授業は、高校時代のジャズカリキュラムとはまた違うものですよね。
メイ:結構、高校で勉強していたことを拡張した感じでした。高校で教わったことが、本当に役に立ったんです。
─その頃になると、作っていた曲も徐々に今の感じに近づいていた?
メイ:うん、そうですね。
