INDEX
徹底的にサウンドプロデュースを追求した『映帶する煙』

―キャリアを俯瞰してみると『袖の汀』はどこか危うさがあって、でも次の『映帶する煙』はその道を行き切る方向にはいかなかったですね。
君島:そうですね。『袖の汀』はちょっと違う場所かもしれない。
―『映帶する煙』の表題曲も“銃口”と同じような処理がされているかもと思いました。
君島:結果的に似てるんですけど、これは少しプロセスが違っていて。『映帶する煙』を作ったときにサウンドデザインのリファレンスがあって、ブレイク・ミルズとか、フィービー・ブリジャーズのプロデューサーのイーサン・グルスカが左右のチャンネルの限界より後ろで音を鳴らしていたんですね。
ギターをそこに飛ばして音場を広く確保できれば、ドラムも過剰なEQ処理せず、ナチュラルなサウンドが作れるんじゃないかって。1曲目はその結果から生まれた実験場のような音です。2021年から2022年は定位の研究をずっとしていました。ずっとミックスを自分でやってきたし、『映帶する煙』には自分の成長が見える処理が随所にあると思います。
―音場に対する関心、研究の背景にはどんな意図があったんですか?
君島:作品に収録される音の限界値を考えていて。自分の中にある手法のストック、サウンド処理の工程がプリセットに固まってきたのが嫌で、新しい方法論を作りたかったのと、「音をもっとよくしたい」っていうエンジニア、プロデューサー的な脳みそでこの作品は考えていました。
でも、クソつらかったですね……。制作中、何にもうまくいかない時間が来ちゃって、ミックスが全部よくなくて本当に落ちきって、酒を飲んで、気絶してみたいな2週間ぐらいがあって。廃人みたいになってました(笑)。
―それだけ曲作りよりもミキシング、エンジニアリング的なもの比重が高かった?
君島:そうですね。理由としては、デビューからのまとめを1stアルバムとして出す、って意味合いがあったからで。自分ができることを全部やりきらないと気が済まなかったし、半分以上昔の曲だったのも大きくて、ソングライティングではそんなに悩まなかったかな。
君島:それまでは、ガンガン音を重ねてからどう処理するかを考えていたけど、『映帶する煙』は最終的にこうしたいって処理が見えているから、サウンドのイメージに対してどう音を録っていくのかが難しかった。「1人でやることじゃねえ!」って思いながら、なんとか狙った形になったんですけど、マスタリングアップを確認して3か月ぐらいは聴き返さなかったですね。「もういい」ってなって(笑)。
―制作の過程で聴きすぎたのもあるでしょうし。
君島:やっぱ念が強すぎて。それに『映帶する煙』は「1曲1曲を聴いてください」って作り方だったから、僕の中で作品として貫いている流れはないんですよね。重いなって思います。
―本人的にはそうなんですね。“ぬい”の冒頭にギターのノイズが入っていますけど、これは?
君島:あれはギターを録ろうとしたら、勝手に入ってて「ええやん」って(笑)。
―意図していない音なのか。不思議と気持ちがほぐれるというか、よい作用があります。
君島:この音のエアー感のおかげで、曲との距離感が掴めるというか。このアルバムは今までに比べるとコントロールしようとしすぎているかもしれないです。よりサウンドプロデュースに頭を振り切ってたから、勝手に鳴っちゃった音に対して「これいいじゃん、採用」みたいことを徹底的にしてない。でもそうした結果、あり得ないぐらい病んだっていう。出したことで、すごくせいせいしましたね。
―“光暈”は合奏形態で再録されています。この曲はそのままつるっと出てきたと『袖の汀』の取材で話してくれましたけど、君島さんの意図が感じられないというか、不思議な曲で。
君島:そうそうそう。
―この曲は、海に行って作った曲という話もありました。海は命が生まれる場所であり、帰って行く場所とよく言われますが、その相反するものが一緒にある感覚、生と死の両方があって落ち着くような感覚は君島さんの音楽の故郷、原点なのかなと改めて思ったりしました。
君島:明るくも暗くもありますよね。希望があるのか、絶望があるのか。“光暈”はすごいところから歌ってくれてる感じがします。自分が作った歌なのに、歌われてる感じがする曲ですね。歌うと元気になります。