毎週火曜夜10時から放送中のテレビドラマ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(NHK総合)。『不適切にもほどがある!』(TBS系)でも注目された女優・河合優実が連続ドラマ初主演を務めたことでも話題だが、実は、既に2023年5月にNHK BSで放送されていた番組の再放送となっている。
満を持してNHK総合での放送となったのは、河合優実の人気拡大も影響してのことだろうが、放送当時から多くの視聴者から好評の声が聞こえた本作。
原作は同名エッセイ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』。人気作家・岸田奈美が、自身の家族の一言では説明できない情報過多な日々のことをつづったベストセラーで、2023年3月には文庫化もされている。
このエッセイを原作にした脚本(市之瀬浩子・大九明子・鈴木史子)を、映画『勝手にふるえてろ』(2017年)などを監督してきた大九明子が演出し、現実と想像の境界が曖昧な不思議なテイストでありながら、笑えて泣ける作品となっている。
そんな通称「かぞかぞ」について、ドラマ・映画とジャンルを横断して執筆するライター・藤原奈緒がレビューする。
※本記事にはドラマの内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
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出会ったすべての人への愛が滲み出ている原作

NHK BSで2023年に放送されたドラマ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』が7月9日からNHK総合にて再放送中だ。父は急逝し、母は突然病に倒れて車いすユーザーになり、弟はダウン症と、原作者の岸田奈美さんをモデルにした岸本七実(河合優実)の人生は波乱万丈で、第4話を終えた現時点では過酷ではあるが、エネルギーに満ちてもいて、見ているだけで元気をもらえる。また、七実、母・ひとみ(坂井真紀)、弟・草太(吉田葵)、祖母・芳子(美保純)、そして父・耕助(錦戸亮)という岸本家の人々のみならず、七実の友人・環(福地桃子)から宅配業者・陶山(奥野瑛太)、コンビニ店長・持田(名村辰)といった彼女の人生を行き交う人々に至るまで、一人ひとりが愛すべきキャラクターとして描かれている作品もそうは無いだろう。それは、「愛」に溢れているタイトルからもわかるように、原作に元々備わっていた性質と言える。なぜなら、日常で起こるあらゆるミラクルを発見し、心から楽しむことができている原作の文章からは、家族への愛のみならず、出会ったすべての人への愛が滲み出ているからだ。そこに映像作品ならではの魔法をかけたのが、映画『勝手にふるえてろ』などの大九明子だったのではないかと思う。本稿では、そんな「『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』の魔法」について考える。
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死者である父・耕助(錦戸亮)の姿が視聴者に見える意味

本作の素晴らしさは、現実の彼女たちの物語に、ドラマが、ドラマにしかできない方法で最大限に寄り添っていることにある。特に普段、私たちが見ることができない死者や過去を共存させることによって。
まず、本作と原作の決定的な違いは、死者である父・耕助が生きていることにある。もちろん、本当に生きているわけではなく、彼は、七実やひとみ、芳子には見えないが、草太と視聴者にだけ見える存在として描かれている。第1話の冒頭では、颯爽と現れる家族の面々に加え、耕助もサングラス姿で登場する。時に草太の動きを模倣するかのように動き、時に草太の身体を借りるようにして七実に語り掛ける。草太と言葉を交わし、ハグをし、ともに踊る。でも現実には耕助は存在せず、草太だけが1人踊っている。亡くなっているはずの父・耕助の姿を見ることができるにも関わらず、そのことについてはっきりとした言及がない序盤から、1人踊る草太の姿を通してその事実が明確に示された第2話終盤への展開には驚かされた。
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七実(河合優実)たちに寄り添う過去の物語

霊的な存在は、耕助に留まらない。彼女たちの過去の物語もまた、ある種の幽霊のように、ふとした拍子に現れ、彼女たちの現在に寄り添う。例えば、第3話において、祖母・芳子がちんすこうを食べる音に合わせて場面が変わり、一瞬だけ、若い頃の芳子(臼田あさ美)が何かを食べる姿が重ねられる時。あるいは、第4話において、大学生になり、次なる野望に夢中な七実が、以前は宅配業者の陶山が家のチャイムを鳴らすと玄関に飛んでいっていたのに、今はチャイムの音に気づきもしないことが、以前の彼女の姿を重ね合わせて対比的に示される時。同じく第4話で、母・ひとみが、心理カウンセラーという新たな夢を提示され、「夢」という言葉が呼び水となって、耕助の「夢ちゃう、そんなんすぐ叶えたる」という生前の言葉が重なる時。
「前のママが消えてしまう前に早くなんとかせな」「また昔みたいに戻れるようにがんばらな」と思う七実と違い、「そんなに昔はええもんか?」と第3話の冒頭でこちら側に問いかけ、「変わらんでええ。昔もええ、今もええ。一生懸命食べて、一生懸命生きてれば、それでええ」と締めくくる芳子。ほんの少し前も、少し前も、だいぶ前も、過去は皆、分断されることなく、その人の現在の中にちゃんとある。そして、ふとした瞬間に姿を現わすのだ。過去の自分や大切な人との思い出は、幽霊の耕助と同じように、失われることなくその人の内部に存在し続ける。
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彼女たちに魔法のように寄り添う人ならざるもの

誰しも、どれだけ笑顔を絶やさずにいようとしても、悲しみや葛藤は湧き上がってくる。そこに魔法のように寄り添うのも本作である。
例えば第2話において、ひとみが思うようにいかなくなった自分の身体を嘆き「もう死にたい」と口にする時は、帰宅途中に七実が風船をキュッキュッと鳴らす様子を並行して描くことで、その心の有り様を示していた。それは、友人・環の第1話での言葉を借りれば「空虚な出来事を可視化する風船」である。その果てに「ちょうちょ」ができあがって喜ぶ七実の姿を見せて明るく帰結したと思いきや、完成したそれを見せに病院に戻った七実は、母の絶望を目の当たりにして、風船を手放してしまう。風船は彼女の手元から離れ、ふわふわと揺れながら転がり落ちる。そこには、七実とひとみ双方の失意が込められているように思えた。
さらに、七実が第3話において父が亡くなった時のことを思い出す時、彼女は水のない場所で、泳ぐ仕草をしている。まるで記憶の海の底に潜っているかのように。本作において、泳ぐイメージ、あるいは水は随所に登場する。第2話で「ニューヨークに行く!」と勢い余ってその場から飛ぼうとした七実の足は、次のショットで固い地面ではなく、水面の上にあった。その足は実際には七実の足ではなく、環の足だったのだが、次のショットで七実は、環とプールサイドで弁当を食べながら、ニューヨークで大道芸人になる夢を語っていた。それはまるで、猪突猛進で少し危なっかしい七実を、人ならざるものがふわりと包み込み、着地させているかのようだった。その「人ならざるもの」は、ドラマそのものとも言えるし、彼女には見えていない幽霊の父の仕業と捉えることもできるだろう。
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この世界はこんなにも美しく、優しい
本作を観ていて、ドラマは「もう一つの現実」を見せられるということを強く感じた。決して平坦ではない道を行く家族に、時に幽霊として、時に過去として最大限に寄り添う、もう一つの「トゥルーストーリー(ほぼ)」にドラマはなることができる。そしてそれは、「この世界はこんなにも美しく、優しい」ということを教えてくれるのである。まるで草太が、桜の花びらを「ぶわっ」と言いながら手のひらから解き放つ、その一時の美しさに魅入られることと同じように。
ドラマ10『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』

NHK総合にて毎週火曜午後10時から放送中
公式サイト:https://www.nhk.jp/p/ts/RMVLGR9QNM/