「文化遺産として、どうしても記録映像を残しておかなければいけない」
坂本慎太郎のライブについて、映像ディレクター・大根仁はこう語る。その思いの結晶ともいえる『坂本慎太郎LIVE2022@キャバレーニュー白馬』が、2025年5月1日からNetflixで配信された。本作は、かつてゆらゆら帝国の日比谷野音ライブの映像もディレクションした大根が、自主制作したもの。さらに撮影には16ミリフィルムが使用されている。そうした事実からも、この作品に対する大根の熱量の高さが伺えるだろう。
今回、本作について大根にインタビューを実施。聞き手は、「キャバレーニュー白馬」をライブ会場に選ぶきっかけにも関わった音楽ライター、松永良平が担当。本作に対するモチベーションや、フィルムを使用した背景、ミュージシャン・坂本慎太郎に対する思い、ゆらゆら帝国時代からのつながりなどを聞いた。
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「坂本慎太郎のライブを記録に残す」。大根仁が抱えた使命感
─まずは、熊本県八代市のキャバレー、ニュー白馬でのライブ撮影に至る発端から話しましょうか。実は、僕もそのきっかけには少し関わっています。
大根仁:そうなんですよね。2020年の1月くらいですね。去年(2024年)に亡くなったフジテレビのプロデューサー黒木彰一さんとお食事する機会がありました。その場に松永さんもいらっしゃった。

映像ディレクター。1968年12月28日生まれ、東京都出身。深夜ドラマ『まほろ駅前番外地』(2013年)や『ゆらゆら帝国 2009.04.26 LIVE @日比谷野外大音楽堂』(2010年)などを手掛ける。2011年に『モテキ』で映画監督デビュー。その後、監督・脚本を務めた『バクマン。』『SCOOP!』『SUNNY 強い気持ち・強い愛』などが公開。近年は、ドラマ『エルピス―希望、あるいは災い―』(2022年)の演出、Netflixシリーズ『地面師』(2024年)の演出・脚本も担当。
─コロナ禍になる直前でしたね。大根さんは同い年で、すごく若い頃に同じような場所にいたということもあり、僕の著書『ぼくの平成パンツ・ソックス・シューズ・ソングブック』(2019年)を面白く読んでくださっていて、その著者である僕が黒木と友人だったので会いましょうという流れだったと思います。
大根:その席で、松永さんの故郷の八代市に、ニュー白馬という日本で唯一現存する素晴らしい雰囲気のグランドキャバレーがあると聞いたんです。そのときに松永さんは「そこで坂本慎太郎さんのライブを見たい。それが夢なんです」と言っていた。ニュー白馬については知らなかったので早速画像検索してみたら、確かにすごい。「そんなことがあったら最高ですね」と盛り上がったあの晩が最初ですね。
でも、実現まではそれから少し時を経ました。2022年、「Like A Fable」Tourの日程が発表されて、そこにニュー白馬が入っていた。「あそこじゃん!」と思いだしたので、最初は普通にライブを見に行こうと思ったんです。

─いち観客として。
大根:そうです。でも、なんかふと「そのライブ、撮りたい⋯⋯」と思ったんですね。坂本さんがソロでアルバムを4枚出して、ライブ活動を2017年に始めてからもずっと見てきて、僭越ながら言わせてもらうと、バンドとして仕上がってきたと感じていたんです。曲のバリエーションや演奏力、パフォーマンス、お客さんの熱量も上がっていた。「今の坂本バンドを撮りたい! このライブは絶対に映像として残しておかなきゃいけないんじゃないか!?」と、半ば天命のように思ったわけです。
─わかります。しかも最高のシチュエーションが用意された。
大根:ですが、坂本さんはゆらゆら帝国時代から、ライブ映像を記録して残すことにほぼ興味がない人だと存じ上げてはいました。でも今回はすごく撮りたかった。文化遺産として残しておきたいという思いがふつふつと浮かび上がってきた。それである夜、これはもう直接坂本さんに聞いてみようと思ったんです。それで「白馬、やばいですね。ライブ映像として撮りたいんですけど」とメールしました。
─返信は?
大根:案の定、ちょっと興味はない、と(笑)。でも何回かやりとりをして「じゃあ僕が自主制作として勝手に撮る。それなら許可いただけませんか?」と提案したんです。そしたら、勝手に撮る分にはいいですよ、と。つまり、あくまで僕の思いを受けての自主制作として許可をもらったんです。
ちょうどその頃『エルピス ―希望、あるいは災い―』(2022年)というテレビドラマを撮影していたんですが、ドラマ専門のカメラマンではなく、CorneliusのMVなども撮られている撮影監督の重森豊太郎さんに入ってもらってました。重森さんも坂本さんの音楽がすごく好きな方なので、現場で「今度、坂本さんのライブを撮ることにしたんです」と話したら、「俺、撮りたい」って言ってくれたんです。
─そのタイミングで『エルピス〜』を大根さんがディレクションしていたというのも、運命的ですよね。あのドラマ、映像もすごかったから。
大根:ニュー白馬の店内画像を見てもらったら、重森さんに「ここで坂本さん撮るんだったら16ミリフィルムが似合うんじゃない?」と言われたんです。僕にはまったくその発想はなかった。重森さんは基本的にデジタルではなく、フィルムのカメラマンなんですよ。16ミリの映像って確かに独特で、35ミリフィルムの美しさや解像度に比べると質は落ちるんだけど味わいは増す、みたいなところがある。確かに、アリかもしれない。でも、フィルム撮影はお金がかかります。そしたら、ちょうどKodakとイマジカが16ミリフィルムを存続させるために、映画や映像作品として成立するならばフィルム代や現像費などを支援する試みがあるということで、重森さんが問い合わせしてくれたんです。その結果、支援してくださると決まり、「よし!」と話が前に進みました。
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6台中2台しかカメラが回っていない場面も。16ミリフィルムでの撮影に奮闘
─とはいえ、まだまだ解決すべき課題も多かったのでは?
大根:16ミリフィルムカメラ自体、そんなに現場では使われない。さらに、カメラとカメラマンを集められたとしても、フィルムのチェンジをする助手も必要でした。
─僕も実際に現場での撮影を見るまでちゃんとわかってなかったんですが、カメラ1台につき3人がかりなんですよね。文楽の人形の遣い手みたいに3人がカメラに張り付いていました。
大根:まずフィルム1巻につき11分しか撮影できないんです。1巻終わったらチェンジしていかないと。しかも、そのやり方も独特で、ちゃんと黒い布を被せて露光しないようにしないといけないし、マガジンというフィルムケースに入れるのも職人技が必要。そういうことができる助手の方々も集めて、さらにクレーンやレールなどの特機スタッフも入れて、総勢30人のチームで撮ることになったんです。
あとは、東京中から今も動く16ミリフィルムカメラを6台かき集めて。事前に現地でロケハンもして、それで12月5日の本番を待つことになりました。

─実際にニュー白馬に行ってわかったことはありました?
大根:ステージがちょっと暗かったことですね。やっぱりキャバレーなので。でもフィルム撮影ではある程度の光量は必要なので、本番では『エルピス』で照明チーフの助手をやってくれていた近松光くんを連れて行って、サイドからの光量を足したんです。でも、とにかくまず場所を自分の目で見て、これは確かにやべえぞと思いました。ここで坂本さんが演奏すると思ったらよりテンションが上がりました。
─ライブ中は、大根さんは2階にいらしたんですよね。
大根:もともとは客席だったところを潰して調整室みたいにしてたのかな? そこをベースとして、モニターを見ながらカメラマンにインカムで指示をしました。それはライブ映像のスタンダードな撮り方ですけど、デジタルカメラならモニターもすごくきれいなわけですよ。16ミリってビジコンと呼ばれる古いモニターを使うんですが、画質が昭和の裏ビデオ並にガビガビで(笑)。本番中はその劣悪な画質しか見てなかったから、本当にちゃんと撮れてるのか、ちょっと不安ではありました。

─フィルムの交換のタイミングもカメラごとに把握していたんですか?
大根:坂本さんの曲は全部頭に入ってたので、曲ごとのディレクションやカメラワークはだいたいできてましたね。もちろん、「よーいスタート!」で最初から全部一斉に回しちゃうと1台も回ってない時間帯ができてしまうので、時間差でずらしてやりました。
実際、中盤では2台しか回ってない瞬間とかありましたから。そういうときは回ってるカメラの人に「今2台しか回ってないよ! 絶対に外さないで!」ってインカムで伝えたりして、そんなスリリングさもありました。
─最近のバンドのライブ映像って一般的には、カメラ台数も多く、カットも目まぐるしく切り替わる印象ですが、ニュー白馬では6台だけだし、11分ごとのフィルム交換という制約もあるから、わりと長回しが多いですよね。
大根:そうですね。限られている機材や環境だからこそやったことが功を奏したかな。さっき照明を少し足したと言いましたけど、お客さんにはわからないくらいの程度で、基本的にはキャバレーに元からある照明で何とかしました。
照明オペレーターも地元のイベントをやっている方に来てもらいました。照明をいじる卓のフェーダーとかもまったくなくて、バチーンって押すスイッチでしたからね(笑)。そのスイッチで背景の色が変わったり、両側の電飾柱が回り出したりしたんです。

─あの回転する柱もハイライトですよね!(笑)
大根:最高だったし、非常に手作り感がありました(笑)。もちろんみなさんプロが集まってやってるんですけど、ある意味プロっぽくない現場というか、自主制作感がすごい。
あと、東京のライブだと観客も「さあ見るぞ!」みたいに集中してる印象が強いですけど、あの日の白馬のお客さんは結構ゆるくて、演奏中もずっとしゃべったり、後ろのバーカウンターにお酒をどんどん買いに行ったり、コロナ後期ではあったんですが、ルーズでいいノリだったんですよね。その雰囲気もめっちゃ良かったんですよ。バンドの演奏も、客のノリの良さに呼応していて、撮りながら徐々に「これはいいものを撮れているぞ」と感じてました。モニターの映像はガビガビでしたが(笑)。
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大根仁の視点から見た、ゆらゆら帝国と坂本ソロの違い・共通点
─振り返ると、大根さんはゆらゆら帝国の最後の日比谷野外音楽堂のライブ(2009年4月26日)を撮影して、作品『ゆらゆら帝国 2009.04.26 LIVE @日比谷野外大音楽堂』として残されていますよね。
大根:ゆらゆら帝国を知ったのはバンドがメジャーデビューをしてからですけど、やっぱり『ゆらゆら帝国のしびれ』『ゆらゆら帝国のめまい』(共に2003年)が出たあたりで、「あれ? これなんかとんでもなくヤバいことになっているんじゃないか!」と本格的に感じ、ライブも都内近郊のライブはほとんど見てました。最後の野音を記録できたのは、ファンとしても映像ディレクターとしても、趣味と仕事が合致した瞬間でしたね。後期のゆらゆらは、自分が聴いて見てきた邦楽ロックの究極の形だと思ってました。
─あの野音ライブと今回のニュー白馬の撮影で、つながりを感じた部分もあったと思いますが。
大根:僕の中では2本の作品は完全につながってます。野音ライブは自主制作ではなかったですけど、あのときも予算はあんまりなかったですね(笑)。あれを撮ることになったのはライブの2、3カ月前に下北沢で飲んでたら、当時のゆらゆら帝国のA&Rだった薮下(晃正)さんと会って、映像を撮るんだけどディレクターが決まってないというので、「俺が適任です!」って手を挙げて、その場で決まったんです(笑)。ただ、その時点ではスペシャ(SPACE SHOWER TV)でダイジェストを1時間番組で流すという話でした。

─そうか。このときもそもそもリリース前提ではなかったんですね。
大根:でも結局、その翌年にゆらゆら帝国が解散してしまったわけです。あの野音のライブ映像はデジタルカメラで撮影したんですけど、照明も暗かったから無理矢理カメラの露出をあげて撮っていたんです。その結果、映像全体にざらつきが出て、デジタルなんだけど昔のフィルム映像みたいに見えたんですよ。
ライブをフルで撮った映像は僕がやった野音しかなかったし、たぶん坂本さんがそれを見て、この映像だったら残していいとおっしゃってくれたのかな? 坂本さんがライブ映像に興味がないのは、自分たちのライブに今のデジタルの明るくて生々しい質感が合ってないと思ってるからじゃないかなとも思うんですよね。

─その感覚、よくわかります。
大根:僕は本業としては映画やドラマを撮ってきたし、どの作品にも愛着はありますけど、マイベストはどれかと聞かれたら『ゆらゆら帝国 2009.04.26 LIVE @日比谷野外大音楽堂』を挙げていました。僕の中では完璧な作品なんです。特に”無い!!”の撮影や編集は2度とできない究極の形と思ってます。あれを越えることはできないんだろうなとずっと思ってたんですけど、でも今回のニュー白馬のライブ映像で、越えたというか並んだというか。またベストワークが更新されたと思ってますね。
─ちなみに大根さんから見た、ゆらゆら帝国と坂本慎太郎ソロとのライブの違いはどんなところでしょう?
大根:全然、別物だとは思ってますね。ネガティブな意味ではなくですけど、ソロになってから単純に音量が小さくなったという面もあります。後期のゆらゆら帝国のライブって、ステージと客席の間に独特の緊張感があったんですよ。盛り上がりはするんですけど、お客さんも「うぇーい」みたいではない、ピリピリした感じ。特に『空洞です』(2007年)以降のライブは、「次はどうするんだ? 何が出るんだ? どんなアレンジにするんだ? 一瞬も見逃さないぞ!」と、客席自体が身構えていたような印象があります。それは僕もそうでしたけど(笑)。
大根:ソロになってからのライブは、そういう意味でステージと客席の間の抜けがいい気がします。いつだったかソロになってからの坂本さんのインタビューで、ライブ中に後ろのほうでしゃべったりしてもらっても構わないし、ハコバン的な感じでやりたいと話しているのを読んだ記憶があります。あと、年齢に応じてちゃんと大人のロックになっていると思います。
―共通しているなという部分はありますか?
大根:ゆらゆら帝国の後期も究極のロックバンドだと思いましたけど、ソロはソロで世界中見渡してもこんなバンドは見たことがない感じになってますよね。同時代に坂本慎太郎バンドが見れるなんて、こんなに幸せなことはないなと感じてます。
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100年後にも残したい。文化遺産としての坂本慎太郎ライブ
─2023年には、ニュー白馬の映像がLIQUIDROOMで限定上映されてます(2023年5月17日 / 2回上映)。しかも3つのスクリーンを並べての3画面構成で!
大根:撮り終わって、この作品の出口をどうしようかずっと考えていたんですよ。とりあえずフィルムを何カットか現像してみたら、やっぱりすごく良かった。それを坂本さんに見せたら、なかなかいい反応で「フィルムの俺はイケてる」と思われたんじゃないかと邪推しています(笑)。
それで、ゆらゆらの野音の映像は『爆音映画祭』というイベントの定番メニューになってるし、ニュー白馬の映像をLIQUIDROOMみたいなライブハウスにお客さんを入れてスタンディングで見るような上映会をやりたいなと思って、坂本さんに提案したんです。最初はスクリーン1面だけの想定だったんですけど、編集していたらフィルム素材がめちゃくちゃいい。1面に収めるのはもったいないと思い、3面でやったら面白いんじゃないかというアイデアが浮かびました。
─そのためのスクリーンも新たに作られたんですよね。
大根:LIQUIDROOMのステージに両側を「ハ」の字にしてスクリーンを3つ置きたいと相談して自費で作りました。
─そもそも白馬の本編撮影がすでに相当な経費だったのに、さらにお金のかかる方向へ(笑)。
大根:どうかしてますよね(笑)。でも、何よりも自分が見たかったんです。初回の上映では、ライブの音も映像に張り付いているものではなく、実際に坂本さんのライブを担当されているPAの佐々木(幸生)さんに上映と同時にその場でミックスしてもらって、ライブさながらの音量で3面の映像を見る試みになりました。ただ、1回目の上映では若干のトラブルもありましたが。

─映像に不調があって、途中で止まったんですよね。でもそのとき、大根さんがマイクを持って謝罪と改善に向けたアナウンスして、映像が再開したときは、お客さんがめちゃくちゃ盛り上がりました。本当にライブでアクシデントがあって、そこからの奇跡的復活があったときみたいでした。
大根:そうでしたね。
─2024年4月13日のLIQUIDROOMでの再上映の際は、山口保幸さんが撮影された人見記念講堂でのライブ(2022年10月26日)とのオールナイト二本立てでしたが、奇しくもその数日前に亀川千代(ex. ゆらゆら帝国)の訃報が届いたこともあり、最後の最後に、また大根さんがマイクを取り、アンコールとしてゆらゆら帝国の野音ライブが上映されました。あれもすごいつながりというか、縁というか。
大根:明け方でしたね。”いまだに魔法が解けぬまま”と”無い!!”の2曲だけ流しました。
─あの構成ができたのも、大根さんだからですよ。誰か別の人では成立していません。
大根:そうかもしれないですね。あのときは前々日くらいに坂本さんに連絡して、最後に2曲だけ流したいとお願いしました。亀川さんのいいショットがめちゃくちゃ撮れていた2曲でしたし。あの日、明け方まで残って見ているなんて、絶対にゆらゆらも坂本さんも大好きな人たちじゃないですか。だからみんなでR.I.Pできたような、そんな気がしました。

─そして、あの上映会から約1年を経て、Netflixでの公開となりました。
大根:ちょうど僕が監督した『地面師たち』がNetflixで配信されて、専属契約のお話をいただきました。「次はどうしましょうか」と話している中で、「実はこういう作品を持っていまして、どうでしょうか?」とニュー白馬のライブ映像を提案したわけです。Netflix内にも坂本さんのファンがいらして「ぜひ配信したい」と言っていただきました。
─結果的に、2020年にニュー白馬の存在を知ってから5年がかりでここまで話が転がってきたというのは、こちらとしても感無量です。
大根:思い返せば松永さんの一言から始まったわけですし、松永さんの夢を叶えたというか、手のひらで転がされてきたような気もしますが(笑)。でもとにかくあのライブは一夜限りの奇跡だったし、それを残せたのはディレクター冥利に尽きます。「よくぞ決意した! 俺」と褒めてあげたいですね。例えば『T.A.M.I. Show』(1964年に行なわれたカリフォルニアでのコンサート)とか、よくぞあのイケイケのジェームス・ブラウンやローリング・ストーンズを撮っておいてくれたなと、後世の僕らが思うような映像ってあるじゃないですか。文化遺産というか、個人としてのメセナというか、100年後の人にもちゃんと見られたい、残しておきたいという気持ちで作りました。