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能 狂言『日出処の天子』観劇レポート 野村萬斎演じる厩戸王子の存在感、怖さと甘さ

2025.8.20

#STAGE

能 狂言『日出処の天子』。発表から40年が経った今も熱く支持される伝説的漫画作品の舞台化とあって、制作が発表された当初から話題となり、チケットは即完。たちまち追加公演も発表された。

原作の耽美な世界は、古典芸能にどのように翻案されたのか。2025年8月9日(土)公演の模様を、ライターの塚田史香がレポートする。

センセーショナルな名作漫画が能舞台に

8月7日から10日に、GINZA SIXの地下・観世能楽堂で能 狂言『日出処の天子』が上演された。山岸凉子の同名漫画を原作に、野村萬斎が構成・演出を手掛け、厩戸王子(うまやどのおうじ)役をつとめた。さらに大槻文藏が監修し、穴穂部間人媛(あなほべのはしひとひめ)役で出演している。

原作の漫画は、1980年4月号から1984年6月号まで雑誌『LaLa』で連載された。貴族たちが権力争いを繰り広げる飛鳥時代を舞台に、厩戸王子=聖徳太子と蘇我毛人(そがのえみし)の出会いから10年後までの関係が描かれている。厩戸王子に超能力者・同性愛者という設定を与える等、センセーショナルな要素を多分に含み、その後の少女漫画やBLに大きな影響を与えた作品だ。このたびの舞台は、登場人物たちの印象的な場面を軸に、新たな構成で展開する。

布都姫(鵜澤光 / 左)と蘇我毛人(福王和幸 / 右) / ©山岸凉子/OFFICE OHTSUKI / 撮影:瀬野匡史

近年人気の2.5次元舞台には、原作のビジュアルを忠実に再現する面白さがあるが、これに対して本作は、能楽のやり方、みせ方の延長線上に、能狂言の『日出処の天子』を作り出す。

会場に入ってまず目につくのは、舞台の奥、後座(※1)の前に置かれている衝立だ。高御座にも夢殿にも(※2)見立てられる造りだった。劇中では、それがさらにスクリーンとしても使用された。

※1 後座(あとざ)…能舞台の正面奥の、囃子方(=演奏者)が座る場所。

※2 高御座(たかみくら)は天皇が座る玉座、夢殿(ゆめどの)は聖徳太子を祀る法隆寺東院の本堂。

本公演のポスターには、次のキャッチコピーが添えられている。

“胞(はら)と宙(そら) 愛しき想いをいづくに放つぞ”

舞台は、まさにそのイメージに重なる演出で始まった。地謡(※3)、囃子が空気を変え、謡が表現する情景を、映像がより鮮明に伝える。

宇宙から子宮へ——厩戸の命が宿る。厩戸の母・間人媛は静かに現れ、舞台に畏れと戸惑いを残し緊張感を生む。やがて響くのは厩戸の産声……ではなく、笑い声だった。

※3 地謡(じうたい)…主に台詞以外の部分を謡って聞かせ、物語を進行する、コーラスでありナレーター。

野村萬斎の厩戸王子にドキッ

萬斎の厩戸は、姿そのものから厩戸に見えた。蘇我毛人と初めて出会う、池のシーン。福王和幸演じる毛人はスラリと背が高く、原作のままの気品をまとっている。そこに現れた厩戸が、ふり返った時のまなざしは、まさに漫画のページをめくり目にした、あのほほ笑みだった。ドキッとした。毛人は、あっという間に厩戸に心を奪われた。その心の動きが伝わってきて、思いがけず足場を失い落ちていくような怖さ、恋に落ちていくような甘さを、見ているこちらも味わうのだった。

厩戸王子(野村萬斎) / ©山岸凉子/OFFICE OHTSUKI / 撮影:瀬野匡史

その後も厩戸は、登場するたびに目が離せない存在感を放つ。皆が集まる場面では、柱にもたれて冷めた視線を投げるばかり。微笑んでいるようにも、蔑んでいるようにも見え、泣いていると言われたらそうも見えた。それでいてふとした表情に、可愛らしささえ感じさせた。

能狂言ならではの表現で躍動する、原作のキャラクターたち

能狂言らしさを強く感じたのは、厩戸の母・間人媛の場面だ。演じる文藏は能面をつけ、厳かな装束で登場する。間人媛は、原作では全編を通して要所要所に登場する人物だが、今回の舞台ではそれを凝縮。山岸凉子の繊細で洗練された筆致を、能の研ぎ澄まされた表現で辿るように、悲しみの輪郭を浮かび上がらせた。能の世界において、子をもつ母親は馴染みのある題材。しかし「母親は子を愛するもの」の前提を逸脱し、間人媛は、魑魅魍魎と言葉を交わす我が子を愛せずにいる。その苦悩が面を通して伝わってくる。

穴穂部間人媛(大槻文藏) / ©山岸凉子/OFFICE OHTSUKI / 撮影:瀬野匡史

毛人の妹・刀自古を演じたのは大槻裕一。橋掛りに現れた時は、愛らしい妹だった。しかし布都姫(鵜澤光)からの手紙を預かったことから、激しい感情と恐ろしい覚悟に飲まれていく。原作では段階的に変化していった彼女の明るさ、美しさ、絶望。舞台ではそれらをかいつまんだダイジェストではなく、その全て生きてきたかのような奥行きで演じてみせた。「兄上、兄上、兄上」という悲痛な声が耳に残っている。

刀自古(大槻裕一 / 左)、白髪女(月崎晴夫 / 右) / ©山岸凉子/OFFICE OHTSUKI / 撮影:瀬野匡史

かたや、泊瀬部大王(茂山逸平 / 9日のみ深田博治)と賊の者(高野和憲)の掛け合いは、「狂言」のイメージ通りの大らかなおかしみで楽しませる。物語においては残念な泊瀬部大王が、観客の心の拠りどころ。原作通りのキャラクター像で、狂言の強みをフルに活かし、大きな笑いを生みながら、物語を一気に押し進めた。

泊瀬部大王(茂山逸平 / 左)、賊の者(高野和憲 / 右) / ©山岸凉子/OFFICE OHTSUKI / 撮影:瀬野匡史

客席に涙を呼んだ厩戸の孤独

物語は、厩戸と毛人の対話でクライマックスを迎える。毛人は、厩戸の「不思議」を知りながらも翻弄され、同時に意図せず翻弄し、その心を引きずり出す。厩戸が思いのすべてを打ち明けた時、毛人はよろめくように一歩退いた。打ちひしがれる厩戸。声の震えを押しとどめ、「耐えられぬはずがない、いままでもそう(孤独)だったのだから」と絞り出す厩戸は、毛人よりずっと「人間らしく」見えた。客席のあちらこちらに、涙をおさえる人の姿があった。日が出ずる晴れやかさと、一見すると慈愛に満ちた光景。それでも宇宙でひとりぼっちという、厩戸の途方もない孤独は続く。

厩戸王子(野村萬斎 / 左)、蘇我毛人(福王和幸 / 右) / ©山岸凉子/OFFICE OHTSUKI / 撮影:瀬野匡史

原作漫画には、どの人物にも思い入れがあり、読み終えた時には整理しきれない程、いくつもの感情が渦巻いた。一方でこの舞台では、萬斎の厩戸がシテ(主人公)と位置づけられたことで、その孤独の根源、渇望し続けていたものをより深く感じた。

原作通りでありながら、新しく出会う『日出処の天子』。原作者である山岸凉子が生み出したキャラクターや物語の強度と、時空も夢現も自在に往来する能狂言の力があってこそ成立する舞台だった。今、再び原作をめくりたいと考えている。12月には追加公演も決定。前売りチケットは完売しているが、当日券のチャンスがあればぜひ足を運んでほしい。

能 狂言『日出処の天子』

2025年8月7日(木)〜8月10日(日)
追加公演2025年12月1日(月)・12月2日(火)
会場:観世能楽堂
原作:山岸凉子
演出:野村萬斎
作調:亀井広忠
監修:大槻文藏
出演:大槻文藏、野村萬斎ほか

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