能 狂言『日出処の天子』。発表から40年が経った今も熱く支持される伝説的漫画作品の舞台化とあって、制作が発表された当初から話題となり、チケットは即完。たちまち追加公演も発表された。
原作の耽美な世界は、古典芸能にどのように翻案されたのか。2025年8月9日(土)公演の模様を、ライターの塚田史香がレポートする。
INDEX
センセーショナルな名作漫画が能舞台に
8月7日から10日に、GINZA SIXの地下・観世能楽堂で能 狂言『日出処の天子』が上演された。山岸凉子の同名漫画を原作に、野村萬斎が構成・演出を手掛け、厩戸王子(うまやどのおうじ)役をつとめた。さらに大槻文藏が監修し、穴穂部間人媛(あなほべのはしひとひめ)役で出演している。
原作の漫画は、1980年4月号から1984年6月号まで雑誌『LaLa』で連載された。貴族たちが権力争いを繰り広げる飛鳥時代を舞台に、厩戸王子=聖徳太子と蘇我毛人(そがのえみし)の出会いから10年後までの関係が描かれている。厩戸王子に超能力者・同性愛者という設定を与える等、センセーショナルな要素を多分に含み、その後の少女漫画やBLに大きな影響を与えた作品だ。このたびの舞台は、登場人物たちの印象的な場面を軸に、新たな構成で展開する。

近年人気の2.5次元舞台には、原作のビジュアルを忠実に再現する面白さがあるが、これに対して本作は、能楽のやり方、みせ方の延長線上に、能狂言の『日出処の天子』を作り出す。
会場に入ってまず目につくのは、舞台の奥、後座(※1)の前に置かれている衝立だ。高御座にも夢殿にも(※2)見立てられる造りだった。劇中では、それがさらにスクリーンとしても使用された。
※1 後座(あとざ)…能舞台の正面奥の、囃子方(=演奏者)が座る場所。
※2 高御座(たかみくら)は天皇が座る玉座、夢殿(ゆめどの)は聖徳太子を祀る法隆寺東院の本堂。
本公演のポスターには、次のキャッチコピーが添えられている。
“胞(はら)と宙(そら) 愛しき想いをいづくに放つぞ”
舞台は、まさにそのイメージに重なる演出で始まった。地謡(※3)、囃子が空気を変え、謡が表現する情景を、映像がより鮮明に伝える。
宇宙から子宮へ——厩戸の命が宿る。厩戸の母・間人媛は静かに現れ、舞台に畏れと戸惑いを残し緊張感を生む。やがて響くのは厩戸の産声……ではなく、笑い声だった。
※3 地謡(じうたい)…主に台詞以外の部分を謡って聞かせ、物語を進行する、コーラスでありナレーター。
INDEX
野村萬斎の厩戸王子にドキッ
萬斎の厩戸は、姿そのものから厩戸に見えた。蘇我毛人と初めて出会う、池のシーン。福王和幸演じる毛人はスラリと背が高く、原作のままの気品をまとっている。そこに現れた厩戸が、ふり返った時のまなざしは、まさに漫画のページをめくり目にした、あのほほ笑みだった。ドキッとした。毛人は、あっという間に厩戸に心を奪われた。その心の動きが伝わってきて、思いがけず足場を失い落ちていくような怖さ、恋に落ちていくような甘さを、見ているこちらも味わうのだった。

その後も厩戸は、登場するたびに目が離せない存在感を放つ。皆が集まる場面では、柱にもたれて冷めた視線を投げるばかり。微笑んでいるようにも、蔑んでいるようにも見え、泣いていると言われたらそうも見えた。それでいてふとした表情に、可愛らしささえ感じさせた。