GRAPEVINEの進む荒涼とした道は、決してドラスティックではないものの、デビューから25年を経てまた新たな景色を見せ始めている。単なるサポートメンバー以上の関係性を築いてきた高野勲が前作『Almost there』で初めてプロデュースを担い、新作『あのみちから遠くはなれて』でも続投。GRAPEVINEの持つオルタナ感やライブバンドとしての魅力をさらに引き出した楽曲たちが収録された同作は新たな傑作であり、その予感はトーキングブルース風の“天使ちゃん”や、ポップなサウンドに河内弁が乗る“どあほう”といった、まさにこのバンドでしかありえない歪な個性を持った先行曲からも十分に伝わっていたはず。今回のインタビューでは彼らが通ってきたこれまでの道=過去曲にも言及しながら、メンバー3人に現在のモードを語ってもらった。
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「すごくいいのができたなと。なかなかちょっとこの感じを超えられないんじゃないかっていうぐらい」(田中)
ー前作に引き続き、高野勲さんプロデュースになった経緯と、その手応えについて教えて下さい。
田中(Vo / Gt):もちろん、手応えは感じています。もう20年以上ほぼメンバーとして一緒にやってきてるし、そもそもあの人は音楽的な幅が広くて、他の仕事でもバンマスみたいなことをたくさんやってらっしゃいますし、旗振りが上手と言いますか、アイデアをたくさん持ってらっしゃる。なので、前作の延長とは言っても、結局は出てくる曲次第なので、また別物にはなるでしょうし、という考え方ですかね。

西川(Gt):高野さんはGRAPEVINEを中から見てきた期間が長いから、我々に足らないものをよくご存知なので、それをちゃんと補ってくれることが一番大きいですよね。それは前作でプロデュースをお願いするときにも高野さんと話したことで。
亀井(Dr):高野さんの中で「(GRAPEVINEに)もっとこういうのをやらせたい」みたいなこともあったと思うし、前作で1つの作業の流れみたいなものができたから、今回はそこからさらに突っ込んだアレンジや違うアプローチの挑戦ができたんですよね。
ー以前は亀井さんがメロディーのしっかり立った曲を作って、それを軸にすることによって、遊びも含めた実験的なアレンジの曲が作れる、みたいな流れがあったと思うんですけど、今はむしろ実験性が強い曲の方が前に出たりもしていて、そういうバランスの変化はどう感じていますか?
田中:そこまで厳密に計算してやってるわけでもないんですけどね。でもまあ、いずれにせよいろんなアプローチをやりたいですし、勲さんもそれをさせようと考えてくれていて。なので、「君らこんなん好きでしょ?」みたいなものもあれば、「こんなのやったことなかったよね?」みたいなものもある。もともとはもっと歌メロ重視のいい曲になってたかもしれない曲が、アレンジで180度変わったりとか、そういうことも多々あります。その辺はバランスを意識してというよりも、「その曲をどう面白くやるか」みたいなことに重きを置いていた感じですね。

写真左から西川弘剛(Gt)、田中和将(Vo/Gt)、亀井亨(Dr)
1993年に大阪で活動開始。バンド名はマーヴィン・ゲイの「I heard it through the grapevine」から命名。東京に拠点を移し、1997年9月にミニ・アルバム「覚醒」でポニーキャニオンからデビュー。「スロウ」「光について」を含むアルバム「Lifetime」(1999)がチャート3位を記録するスマッシュ・ヒットとなった。2014年にスピードスターレコーズに移籍、これまでに5枚のフル・アルバムをコンスタントにリリースしている。現在のラインナップは田中和将(Vo/Gt)、西川弘剛(Gt)、亀井亨(Dr)、高野勲(Key)、金戸覚 (Ba)。3年ぶりとなるニュー・アルバムを9月27日にリリースし、全国ツアー「GRAPEVINE TOUR2025」を6月から開催する。
ー「やったことがないことをやる」で言うと、やっぱり“天使ちゃん”ですよね。前作も“雀の子”がリードで出て、「この曲がリードで出てくるんだ」ってびっくりしたけど、今回はそれをも上回るぐらいの驚きがありました。田中さんはどんな印象をお持ちですか?
田中:すごくいいのができたなと。なかなかちょっとこの感じを超えられないんじゃないかっていうぐらい。むしろこれを先に出しちゃったら、アルバムが普通に聴こえちゃうんじゃないかという懸念を抱くぐらい、よくできたと思ってます。
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GRAPEVINE新たな代表曲“天使ちゃん”の制作秘話
ーこの曲はセッションで作られているんですよね?
田中:そうです。しばらくセッションで作ってなかったので、まず「セッションで曲を作ろうか」っていう話が先にありまして。でもまあ、いつものようにダラダラとセッションをするのも非常にその……タイパが悪いという。なので、何かしらテーマを決めてやろうっていうところで、勲さんから「たまにはギターを持たずにトーキングブルース(※)やるのはどう?」という提案があったんです。
※語り口調で社会風刺や個人的体験をリズミカルに歌うスタイルのフォークソング。旋律は最小限で、話すように歌うのが特徴。ボブ・ディランらが用い、批評性やユーモアを織り交ぜた表現として発展した。
ー最初にセッションで曲を作ったのが、長田進さんプロデュースの2006年作“FLY”でした。今のGRAPEVINEにとって、セッションで曲を作ることにはどんな意味がありますか?
西川:やっぱり偶然性で出てくるものがたくさんあるのは面白い。誰か一人の考えじゃない、いろんな要素が入ってるから不思議な曲ができたりして、そういうのはすごく価値があるなと思います。“天使ちゃん”はある程度ビジョンが先にあったんですけど、それでもかなり変わったものになりました。1からセッションする場合は本当に何にもないところから作るから、それはもう夕方になってみないとわからない(笑)。

ーそういう意味では一昔前のセッションと今回のセッションは違うと。
西川:全然違いますね。
亀井:前はすごい時間をかけてダラダラやってたから、博打的な要素も多かったというか、何ができるかわからない。でも今作は最初からビジョンがあって、それに向かって始めたので、だいぶ時間は短縮できました。
ー曲自体はセッションで作っているけど、録音に関してはまた別のいろんなアイデアが詰まっていて、例えば、亀井さんのドラムはバスドラ、スネア、ハイハットをバラで録音しているそうですね。昔“風待ち”で一度同じようなアプローチをしたことがあるとか。
亀井:普通にやったら人のノリが出ちゃうけど、ちょっとループ的なノリを出したかったんです。人がやってるけど、ちょっと機械的な、変なグルーヴ感にしたくて。録音ではみんなで一緒に演奏していないので、「どういう感じになるのかな?」って、録りながら思ってました。

ー西川さんはバリトンギターを弾いている?
西川:ギター自体は普通のギターなんですけど、低いところの弦ばっかり弾いてます。トーキングブルースっていうのが僕の中にはなくて、昭和のグループサウンズみたいな方向のサイケデリックな感じにしたらいいんかなと思って。なので、多分僕のやってることはフレーズ的には結構サイケだと思いますね。
ーそうやって違う要素が混ざることによって、歪な面白いものが生まれる。
西川:最終的に高野さんには「らしいこと弾いてください」って言われたんですよ。らしいことって、なかなかものは言いようやなと思って、じゃあまあ俺だったらこう弾くかなって。そのときはもうトーキングブルースのことは忘れてました。
ーさらにはストリングスも印象的です。“わすれもの”のストリングスはポップスに乗る上ものというイメージでしたけど、“天使ちゃん”のストリングスの入り方はより立体的で、SE的でもある。アレンジは高野さんですか?
西川:そうです、もうお任せでしたね。自分で譜面を書いて、自分で説明して、録音してました。弾いてるのも高野さんと何度かやったことある人たちで、すごい丁寧に入れてくれましたね。普通ストリングスの人ってそんなに演奏してくれないんですよ。大体1回か2回なんですけど、今回10何テイクくらい録ってて、それはすごく珍しいです。
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「GRAPEVINEでメロコアの話をする日が来るとは思わなかった(笑)」(西川)
ー“天使ちゃん”の後にさらに“どあほう”が配信されて、「次のアルバムは普通じゃないぞ」というのが確信に変わりました。河内弁に関しては“雀の子”での感触が良かったことによって、今回もやってみようと思った?
田中:昔は関西弁を歌詞に取り入れるのって、非常に抵抗があったんです。と言いますのも昔は大阪出身のバンドって、大阪ノリを売りにすると言いますか、大阪イコールお笑いイコールおもろい、「パフォーマンスも笑かしてくれる」みたいなことを期待されるケースが多くて。でも僕らは関西出身ながらそんなにお笑い要素がないので、関西弁なんかもってのほかと。
でも気がついてみれば、そういう先入観の時代は終わってるなと思うんですね。お笑いのおかげなのか、関西弁がこっち(東京)でも一般的になりましたし、別に関西弁だからってすぐに「おもろい」とか「わらかす」とか、そういうことを連想しない時代になってる。なので、もうほとぼりが冷めたと言いますか、むしろそういう上方口調であったり上方文化みたいなのは、もうちょっと創作物に織り込んでも面白く使っていけるんじゃないかなっていう気がしてるんですよ。そういう意味で、今はもう関西弁は全然、せっかくネイティブスピーカーなので、使ってもいいんじゃないかなと近年は思っています。

―ちょっと大きな話になっちゃいますけど、ビヨンセをはじめ、アメリカではR&Bやヒップホップのアーティストがカントリーをやるようになったり、あるいは欧米以外の音楽が世界的に聴かれるようになったり、近年は従来の固定概念を打ち破って、アイデンティティを問い直す音楽が新しい時代の潮流を生み出しているように思います。田中さんが河内弁を使うのも、そういう時代の感覚に繋がる部分があるようにも感じました。
田中:世間がそういう感じなのはわかりますし、繋げて語っていただくのはありがたいですけど、自分自身にそういう意図があるわけでもなくて。逆に今、当たり障りをなくすためにジェンダーや差別を取り上げたりーーたとえばハリウッド映画も白人以外の配役が重要になってくるような状況になっていたり、そういう部分に違和感を感じることもあります。おっしゃられている時代の感覚もよくわかるところではあるんですけどね。
―そうですよね、田中さんの河内弁は「当たり障りをなくす」とは対局の試みだと感じます。アレンジに関しては、西川さんと田中さんで「メロコアとは?」みたいなやり取りがあったそうですね。
西川:GRAPEVINEでメロコアの話をする日が来るとは思わなかったですね(笑)。たまたまね、プリプロをしてたときに亀ちゃんが曲を持ってきて、とりあえず一回演奏して。で、どうしようかなと考えてたら、スタッフが「すごくいい曲ですね」って言うから、「このまま素直に作るんならGreen Dayみたいな感じはどう?」って言ったら、「うーん」みたいになって。それで結局、落とし所がアヴリル・ラヴィーンになったんです(笑)。それなのに関西弁の歌詞を書いてきて、「あれ? 俺のラヴィーンは?」って。まあいいんですけど(笑)。

田中:いや、これは他のインタビューでは話してないんですけど、アヴリル・ラヴィーンの大ヒット曲、“Sk8er Boi”とか“Girlfriend”とか、あの辺の歌詞と“どあほう”の歌詞はちょっと近い部分があるので(笑)、比べてみてもらえると面白いかもしれません。ちゃんと参照元を入れてから書いてます。
―近い部分というのは?
田中:さきほどのハリウッド映画の話もそうですけど、視点の話ですよね。どこからの目線に立っての話なのか。あとはその変換次第という。で“どあほう”は、“浪速恋しぐれ”とアヴリル・ラヴィーンをマッシュアップしたみたいな解釈なんですよ。これ伝わらんと思うけど(笑)。
ー“Sk8er Boi”もミュージシャンとして成功していく男の子と女の子の物語で、“浪速恋しぐれ”と同じ「芸事」の話でもありますもんね……改めて歌詞を読んでみます。
田中:っていうのと、あの時代のメロコアとかポップパンクっていうのは昔のパンクとは違って……しかも日本では「青春パンク」みたいな感じになっちゃったじゃないですか。あれは俺、ものすごく気持ち悪かったです。それはもうパンクではないなという気がして。ああいう変に熱さだけでパンクをやろうとするよりは、アヴリル・ラヴィーンみたいに「ヘイヘイユーユー」ってやる方が、パーティー感あって絶対楽しいやろうなって(笑)。

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「僕らいろんなものを参照するんですけど、真剣にそれに寄せようとしたことはないんですよ。そのズレがオリジナリティになればいいかなって」(田中)
ー“my love, my guys”はひさびさに西川さんの作曲で、高野さんからリクエストがあったそうですね。
西川:「こういう曲を書いてください」って結構明確に指定をされたんです。朝の4時ぐらいに。べろべろに酔っ払ってたんですけど、「わかりました」って言って。でもそれをちゃんと覚えてたので、あそこまで指定されたら書かないとなって。
ーどこまで指定があったんですか?
西川:ニール・ヤングのこの曲みたいなのをイ短調で作ってくれって。なかなか難しかったです。

ー西川さんの曲がアルバムに入るのは2013年作『愚かな者の語ること』に収録されていた“太陽と銃声”以来かと思うのですが、近年は曲を書くよりも演奏の方が楽しい?
西川:演奏は趣味だと思ってるので楽しんでるんですけど、作曲に関してのモチベーションは低いかもしれないです。自分から「こういうのを作りたい」っていうのもあまりないので。まあ、今回みたいに指定されると、いい意味で諦めがつきますよね。それをしたいとかしたくないとかじゃなくて、もうそれを目指してるんだから、そういうものやなって。この言い方もモチベーション低いかもしれないですけど(笑)。
亀井:“どあほう”で結構シンプルにやったけど、“my love, my guys”はさらに超シンプル。ここまでの感じはやったことないので新鮮でした。バンドを初めてやります、みたいな人におすすめです(笑)。

ーその一方では“ドスとF”のような実験的なアレンジの曲もあって、僕は歌詞のディストピアというテーマも含めてSquidを連想しました。“猫行灯”とかもそうですけど、サウスロンドン周りのシーンも影響源になってたりしますか?
田中:あの辺のポストパンクに関してはね、好きで聴いてはいますが、近い年代のものは参照元としてあんまり使わないことが多いですね。“ドスとF”は亀井くんの最初のデモとは180度違ってて、それをどう解釈するんだというところから始まったんですけど、一応リファレンスとしてGallianoが出てきたんです。Gallianoってひさしぶりに聞いたなって思いながら、もちろんそれに似せることもなく、ただイメージとして共有して、みたいな感じで進めて。僕らいろんなものを参照するんですけど、真剣にそれに寄せようとしたことはないんですよ。なんとなくこんな感じのイメージってみんながぼんやり共有して、全然違う解釈をしてても、そのズレがオリジナリティになればいいかなって。