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「GRAPEVINEでメロコアの話をする日が来るとは思わなかった(笑)」(西川)
ー“天使ちゃん”の後にさらに“どあほう”が配信されて、「次のアルバムは普通じゃないぞ」というのが確信に変わりました。河内弁に関しては“雀の子”での感触が良かったことによって、今回もやってみようと思った?
田中:昔は関西弁を歌詞に取り入れるのって、非常に抵抗があったんです。と言いますのも昔は大阪出身のバンドって、大阪ノリを売りにすると言いますか、大阪イコールお笑いイコールおもろい、「パフォーマンスも笑かしてくれる」みたいなことを期待されるケースが多くて。でも僕らは関西出身ながらそんなにお笑い要素がないので、関西弁なんかもってのほかと。
でも気がついてみれば、そういう先入観の時代は終わってるなと思うんですね。お笑いのおかげなのか、関西弁がこっち(東京)でも一般的になりましたし、別に関西弁だからってすぐに「おもろい」とか「わらかす」とか、そういうことを連想しない時代になってる。なので、もうほとぼりが冷めたと言いますか、むしろそういう上方口調であったり上方文化みたいなのは、もうちょっと創作物に織り込んでも面白く使っていけるんじゃないかなっていう気がしてるんですよ。そういう意味で、今はもう関西弁は全然、せっかくネイティブスピーカーなので、使ってもいいんじゃないかなと近年は思っています。

―ちょっと大きな話になっちゃいますけど、ビヨンセをはじめ、アメリカではR&Bやヒップホップのアーティストがカントリーをやるようになったり、あるいは欧米以外の音楽が世界的に聴かれるようになったり、近年は従来の固定概念を打ち破って、アイデンティティを問い直す音楽が新しい時代の潮流を生み出しているように思います。田中さんが河内弁を使うのも、そういう時代の感覚に繋がる部分があるようにも感じました。
田中:世間がそういう感じなのはわかりますし、繋げて語っていただくのはありがたいですけど、自分自身にそういう意図があるわけでもなくて。逆に今、当たり障りをなくすためにジェンダーや差別を取り上げたりーーたとえばハリウッド映画も白人以外の配役が重要になってくるような状況になっていたり、そういう部分に違和感を感じることもあります。おっしゃられている時代の感覚もよくわかるところではあるんですけどね。
―そうですよね、田中さんの河内弁は「当たり障りをなくす」とは対局の試みだと感じます。アレンジに関しては、西川さんと田中さんで「メロコアとは?」みたいなやり取りがあったそうですね。
西川:GRAPEVINEでメロコアの話をする日が来るとは思わなかったですね(笑)。たまたまね、プリプロをしてたときに亀ちゃんが曲を持ってきて、とりあえず一回演奏して。で、どうしようかなと考えてたら、スタッフが「すごくいい曲ですね」って言うから、「このまま素直に作るんならGreen Dayみたいな感じはどう?」って言ったら、「うーん」みたいになって。それで結局、落とし所がアヴリル・ラヴィーンになったんです(笑)。それなのに関西弁の歌詞を書いてきて、「あれ? 俺のラヴィーンは?」って。まあいいんですけど(笑)。

田中:いや、これは他のインタビューでは話してないんですけど、アヴリル・ラヴィーンの大ヒット曲、“Sk8er Boi”とか“Girlfriend”とか、あの辺の歌詞と“どあほう”の歌詞はちょっと近い部分があるので(笑)、比べてみてもらえると面白いかもしれません。ちゃんと参照元を入れてから書いてます。
―近い部分というのは?
田中:さきほどのハリウッド映画の話もそうですけど、視点の話ですよね。どこからの目線に立っての話なのか。あとはその変換次第という。で“どあほう”は、“浪速恋しぐれ”とアヴリル・ラヴィーンをマッシュアップしたみたいな解釈なんですよ。これ伝わらんと思うけど(笑)。
ー“Sk8er Boi”もミュージシャンとして成功していく男の子と女の子の物語で、“浪速恋しぐれ”と同じ「芸事」の話でもありますもんね……改めて歌詞を読んでみます。
田中:っていうのと、あの時代のメロコアとかポップパンクっていうのは昔のパンクとは違って……しかも日本では「青春パンク」みたいな感じになっちゃったじゃないですか。あれは俺、ものすごく気持ち悪かったです。それはもうパンクではないなという気がして。ああいう変に熱さだけでパンクをやろうとするよりは、アヴリル・ラヴィーンみたいに「ヘイヘイユーユー」ってやる方が、パーティー感あって絶対楽しいやろうなって(笑)。
