INDEX
幼少期にドイツで体験したベルリンの壁の崩壊が、「ソ連ファンク」に惹かれたきっかけ
タカノ:山中さんはDJ活動もされていますよね。レコード自体は昔から集めていらしたんですか?
山中:会社に入ってからですが、20数年集めていますね。
Celeina:今は何枚くらい集めているんですか?
山中:業界的には結構少ないと思うんですが、3000〜4000枚くらいですね。
Celeina:その枚数で少ないんですね……! そして現在、「ソ連ファンク」というジャンルに特化してDJをされているということですが、これはどういうジャンルなんでしょうか?
山中:「ソ連ファンク」は、もともと私が作ったジャンルなんです。正式名称は「RED FUNK」なんですが、それだとちょっとキャッチーじゃないので、「ソ連ファンク」という和名のような名前をつけているんです。ソ連という国自体は1991年まであるんですが、ソ連だけに限定したファンキーでグルーヴのある音楽を抽出しています。
Celeina:なぜ「RED FUNK」に注目されたんですか?
山中:きっかけは本当にたくさんあるんですが、1番大きいのが、今私の手元にあるこの石です。これは、昔ドイツにあったベルリンの壁を、当時小学生の私が自分で叩き割って持ち帰った破片なんです。

タカノ:すごいですね!
山中:私は、1980年代中盤から1990年初頭くらいまでドイツに住んでいたんです。その頃はまだ資本主義の西ドイツと、社会主義の東ドイツという形で西と東に分かれていて。西から東は行けたんですけど、東から西へ行くのはすごく厳しかったので行けなかったんです。そういう状況の中で、西から東に行って見た風景や環境に、幼いながらにすごく衝撃を受けてしまって。 後々「どういう国なんだろう」とか「どういった音楽が流れているんだろう」とか興味が自然と湧いてきて、「ソ連ファンク」に繋がりました。かなり端折りましたが、そういう流れですね。
タカノ:そうだったんですね。ベルリンの壁を触ってみてもいいですか?
山中:どうぞどうぞ。
Celeina:リスナーの皆さんにわかるようにお伝えすると、サイズは結構小さいです。本当に横5cmくらいです。
山中:この大きさなのは、壁がめちゃくちゃ硬かったからなんです。小学生の僕には、この大きさに削り出すのが限界でした。
タカノ:色がちょっと灰色でピンクみがかっていますね。
山中:ベルリンの壁が崩壊したのが1989年の暮れで、僕が行ったのがその2ヶ月後くらいだったので、壁の前にたくさん露店が出ていて。壁を勝手に売っている人とか、ハンマーの貸し出しをやっている人がいたんです。僕もそのハンマーを借りて割ったんですよ。