グータッチでつなぐ友達の輪! ラジオ番組『GRAND MARQUEE』のコーナー「FIST BUMP」は、東京で生きる、東京を楽しむ人たちがリレー形式で登場します。
8月19日は、使い古されたスケートボードを彫刻作品にするアーティスト・HAROSHIさんからの紹介で、アパレルブランド「CHALLENGER」のデザイナー・田口悟さんが登場。スケートボードを始めたきっかけやプロになった経緯のほか、カルチャーを独自のスタイルで表現するブランド「CHALLENGER」についても伺いました。
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DIY精神でスケボーアイテムを自作
Celeina(MC):田口さんは、もともとプロスケーターとして活動されていたとのことですが、スケートボードを始めたきっかけを教えていただけますか?
田口:始めたのは小学6年生の頃です。当時スケートボードが流行していて、最初はホームセンターで買ってもらったスケートボードで遊んでいました。ただ、それはおもちゃのような作りで、先輩たちから「それは本物ではない」と教えられたんです。本物のスケートボードは、原宿のムラサキスポーツやSTORMYといったショップで販売されていると聞き、そこで初めてきちんとしたスケートボードを手に入れ、本格的に始めるようになりました。
タカノ(MC):いいですね。ムラサキスポーツやSTORMYは有名で、みんなが訪れる場所ですね。
Celeina:私も少しだけですがスケートボードをしていたことがあって、その時はSTORMYで購入しました。小学生の頃から、あるアイテムを自作していたと伺いましたが、それについて教えていただけますか?
田口:お金がなかったため、近所で工事をしている家から廃材を分けてもらい、ビデオを参考にしながらジャンプランプを作って、それで遊んでいたんです。
タカノ:ジャンプランプは、ジャンプ台のようなものですか?
田口:そうです。僕の家の周りは、サンフランシスコのように坂が多くて、その坂を全力で下り最後にジャンプ台で飛ぶ、といった遊びをしていましたね。当時は現在のようにスケートパークが整備されていなかったので、自分たちで工夫して環境を作るしかありませんでした。
Celeina:なるほど。そうした工夫を重ねて、仲間と楽しい時間を過ごしていたのですね。
タカノ:「なければ自分で作る」という精神が素晴らしいです。
田口:その経験から、DIYが好きになったのかもしれません。
Celeina:スケートボードのカルチャーには、DIYの精神がありますよね。自分でTシャツを刷ったり、新しい物事を切り拓いたり。田口さんは小学生の頃からその精神を体現していたわけですね。
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スケボーが繋いだ幼馴染・長瀬智也との再会
タカノ:なんと、長瀬智也さんとは幼なじみだそうですね。
田口:はい。たまたま家が隣同士で、一緒にスケートボードをしていた仲間です。僕はスケートボードを続けてプロになりましたが、智也は早くから芸能活動を始めて東京で暮らすようになり、会う機会は自然と減っていったんです。ただ、20年ほど前に智也が雑誌の企画でスケートボードをしたいと話していて、その企画のインストラクターとして偶然呼ばれたのが僕だったんです。それをきっかけに再び交流が始まり、仲が深まりましたね。
タカノ:まさに奇跡的な再会ですね。長瀬さんを「智也」と呼べる方は、なかなかいないでしょう。
田口:40年以上の付き合いなので、本当に幼なじみという感じです。
タカノ:プロスケーターになった経緯についても伺いたいのですが、どのようにしてなれるものなのでしょうか?
田口:僕は30年以上前にプロスケーターになりました。「AJSA」というスケートボード協会があるんですが、そこが主催する大会で上位に入れば、翌年プロ資格を得られるという仕組みだったんです。そのランキングで1位を獲得してプロになりました。
ただ、現在の感覚で言うと、やはり自分のシグネチャーデッキを発売して、それで収入を得ることが本当の意味でのプロスケーターだと思いますね。当時の僕は、デッキこそ出しましたが、十分に生活できるほどの収入にはなりませんでしたね。