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スケボーが繋いだ幼馴染・長瀬智也との再会
タカノ:なんと、長瀬智也さんとは幼なじみだそうですね。
田口:はい。たまたま家が隣同士で、一緒にスケートボードをしていた仲間です。僕はスケートボードを続けてプロになりましたが、智也は早くから芸能活動を始めて東京で暮らすようになり、会う機会は自然と減っていったんです。ただ、20年ほど前に智也が雑誌の企画でスケートボードをしたいと話していて、その企画のインストラクターとして偶然呼ばれたのが僕だったんです。それをきっかけに再び交流が始まり、仲が深まりましたね。
タカノ:まさに奇跡的な再会ですね。長瀬さんを「智也」と呼べる方は、なかなかいないでしょう。
田口:40年以上の付き合いなので、本当に幼なじみという感じです。
タカノ:プロスケーターになった経緯についても伺いたいのですが、どのようにしてなれるものなのでしょうか?
田口:僕は30年以上前にプロスケーターになりました。「AJSA」というスケートボード協会があるんですが、そこが主催する大会で上位に入れば、翌年プロ資格を得られるという仕組みだったんです。そのランキングで1位を獲得してプロになりました。
ただ、現在の感覚で言うと、やはり自分のシグネチャーデッキを発売して、それで収入を得ることが本当の意味でのプロスケーターだと思いますね。当時の僕は、デッキこそ出しましたが、十分に生活できるほどの収入にはなりませんでしたね。