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ビクターエンタテインメントの書川政樹は、スワローズが人気になるまでを見守ってきた

2025.9.4

#OTHER

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8月13日は、Vulfpeckのマネージャーの石橋洋平さんからの紹介で、ビクターエンタテインメントの書川政樹さんが登場。ヤクルトスワローズファンになったきっかけのほか、選手の登場曲に対するある思いについても伺いました。

心の中でひっそりとヤクルトスワローズを応援し始めた幼少期

Celeina(MC):書川さんは1998年にビクターエンタテインメントに入社され、スピードスターレコーズ宣伝部に配属されました。その後、TOKYO No.1 SOUL SET、レミオロメン、iri、Cocco、Mr.ふぉるてなどの宣伝を担当され、現在もアーティストの宣伝や新人アーティストの育成に携わっていらっしゃいます。

タカノ(MC):そのようなご経歴をお持ちの書川さんですが、本日は音楽のお話ではなく、大ファンだというヤクルトスワローズについてお伺いします!

Celeina:本日はユニフォームを着ていらっしゃいますね。紺と水色のロゴが爽やかで素敵です。

タカノ:書川さんとスワローズの出会いはいつだったのでしょうか?

書川:僕は野球をしたことがなく、小学校1年生からサッカーをしていたんです。当時、周囲の子どもたちはほとんど野球をしていて、サッカーはまだマイナースポーツでした。そんな中、小学校1年生のときにヤクルトスワローズが優勝して、「スワローズは強いんだ」と思ったことがきっかけで、サッカーをやりつつ、徐々に応援するようになりましたね。その頃は横浜市に住んでおり、周囲は横浜大洋ホエールズのファンが多かったので、心の中でひっそりとスワローズを応援していました。

Celeina:神宮球場に足を運ばれることもあったのですか?

書川:子どもの頃に行っていました。ただ横浜に住んでいたため、頻繁ではありませんでしたね。

タカノ:のめり込むようになったのは、1990年からの野村監督時代ですか?

書川:そうです。1990年に野村監督が就任されてから、ID野球や、他球団で出場機会を失った選手を獲得して復活させる「野村再生工場」と呼ばれる采配など、今までにない手法が出てきてわくわくしました。野村監督はヤクルトスワローズの監督に就任したときに、「1年目には種をまき、2年目には水をやり、3年目には花を咲かせましょう」と言っていたんです。そして実際に、就任3年目にスワローズはリーグ優勝を果たしたんですよ。そういった言葉を始めとした、ファンや選手を楽しませてくれるような言動に心を掴まれて、1990年代は大きな影響を受けましたね。

Celeina:やはり野村監督にはカリスマ性があるんですね。

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