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感情を分けることはナンセンス、言葉にできないものが人を豊かにする
─迷いを肯定したいと話されていましたが、ご自身が今まで持ってきた優柔不断さや迷いやすさをコンプレックスに感じることはありましたか?
テライ:いまだにそうです。でもそんな弱さも豊かさとして肯定できることをしていきたいなと思います。だから、歌詞も断定する言い方があまり好きじゃないんです。
─(編集・柴田)迷うことを肯定したい、なぜなら「自分がそういう人間だから」と言われていたのは、何か自覚したタイミングがあったのでしょうか?
テライ:昔からやっぱり物事を決められない性格でしたね。日常のことは結構多いかもしれない。たとえばメールの返信が全然できないとか。言葉っていろんな解釈ができるから、相手が違う解釈をするかもしれないって思うと、気になってまとめられなくなってくる。
でもそこにある葛藤は真っ当だと思うから、それって悪いことではないと思うんです。すぐに返事を返せる人ってメカニカルというか、システマチックな、合理的な脳で動いてる。それは社会を動かすために大事だと思うけど、メールの返信1つでも、返事の文節とかで迷うことの方が、豊かさがあるなと思います。

ー迷いに悩む理由の1つに、感情をうまく捉えきれないということがあると感じています。嬉しさと悲しさって共存するものだと思いますし、感情には自分自身でもつかみきれない部分があると思っていて。テライさんは、自分の中に起こる矛盾した感情を実感したことはありますか?
テライ:もちろんありますし、そもそも感情を分ける、例えば喜怒哀楽を分けることもナンセンスなんじゃないかなとすごく思うんです。「怒り」っていう言葉がドカンって存在したら、どうしてもその言葉に寄っていってしまうじゃないですか。もちろん、その言葉自体は大事なものだけど、感情はもっと違う捉え方ができるものだと思うんです。言葉では言い切れないものがたくさんあるということを、やっぱり歌として表現したいと思います。だから自然と、作る曲は風景とか描写が多くなってきますね。
ーいろんな感情が1つの曲の中に含まれている感じでしょうか。
テライ:曲で描いた風景や描写に対して、聴く人がどういう感情を抱くかは、多分決まってない。そこで生まれる感情を「怒り」とか「喜び」って、いちいち名付ける必要があるのかも分からない。ぐるぐるしてる感情っていうのは、それはそれで成立してるんじゃないかな。言葉にしたいっていう気持ちはもちろんあるけど、言葉にできないことがあるというだけでも、人間ってすごく豊かになれるんじゃないかと思うんです。
