ORICON NEWSの「2025夏ドラマ-序盤-ランキング」で1位に輝くなど、ドラマ好きの中で評価が高まっているドラマ『舟を編む~私、辞書つくります~』(NHK総合)。
8月2日・3日にはドラマで使用した小道具なども展示された『舟を編むファンフェスティバル in 神保町』も開催され、行列ができるほどの盛況となり、その人気度の高さも伺えた。
原作小説から舞台となる時代も変え、コロナ禍もしっかりと描いた本作の第6話~第9話について、前半を振り返った記事に続き、ドラマ・映画とジャンルを横断して執筆するライター・藤原奈緒がレビューする。
※本記事にはドラマの内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
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「業」を持ち寄って、皆で「その先」に向かう後半戦

『舟を編む~私、辞書つくります~』の登場人物たちは皆、辞書作りに限らず、何か「好き」という思いを原動力に行動する。物語後半の第6話から第9話で、その「好き」はさらに極まって、「業」になる。
辞書によれば「業」とは「人が担っている運命や制約。主に悪運」を言うそうだ。辞書『大渡海』の紙での出版を廃止し、デジタルのみにするという提案をもたらした玄武書房の新社長・五十嵐(堤真一)もまた、「会社を守る」という「業」を背負うからこそ、みどり(池田エライザ)や馬締(野田洋次郎)たちとぶつかる。同じく後半に登場した、『大渡海』の装丁を担当するブックデザイナーのハルガスミツバサ(柄本時生)も、「本が大好き」だからこそ、「白紙でも売れる」と言われる自分がこの仕事を受けることが『大渡海』を貶めることにならないかと葛藤する。その姿を見たみどりは、これもまた「業」なのだと思う。
「もう辞書編集部だけの舟じゃない」という第9話の西岡(向井理)の台詞ではないが、本作後半戦は、五十嵐もハルガスミも含めた大勢の人々が、それぞれの「業」を持ち寄って『大渡海』という舟に乗り、皆で「その先」に向かう話だ。「言葉」も「人」も、誰一人取りこぼさずに前に進もうとする、三浦しをん原作×蛭田直美脚本の力に圧倒される。
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「今」の肯定により、辛かった過去も受け止める

「年とるってさ、いいこといっぱいあるんだけど、そのうちの1つが、その先が見れることだと思うんだよね」
これは、第7話における、みどりの元上司・凛子(伊藤歩)の台詞だ。人間関係の変化のみならず、「挫折が本当の夢のはじまりだったり」するといった、誰かの人生が好転する様子を目の当たりにすることを「ハッピーなその先が見れるのって嬉しい」と表現する凛子。そして、そんな彼女からの言葉を受け止め、その後の第8話で父・慎吾(二階堂智)との会話に活かすみどり。本作の登場人物たちは、例え悲しい過去があったとしても、過去の「その先」であるところの「今」、ともに過ごすことのできる幸運を喜ぶがゆえに、その人にとっては辛かった過去ごと受け止める。
例えば第6話で「よかったね、その日にりょんぴーがみどりちゃんと同じ帽子をかぶって、SNSにあげてくれて」と馬締に話しかける香具矢(美村里江)の台詞。それは、みどりがかつてファッション誌の読者モデルをしていた頃、謂れのない「匂わせ疑惑」によって炎上したことが、回りまわってみどりが辞書作りに情熱を注ぎ、馬締と香具矢と暮らす幸せな今に繋がっていることを示している。
さらには同じく第6話、天童(前田旺志郎)が子どもの頃、松本(柴田恭兵)と出会っていたことをみどりに明かす場面もそうだ。みどりは「すごいね、その時、松本先生が通りかからなかったら。天童くんがその映画見て歌詞が悔しくて泣いてなかったら。その歌詞が悔しいって思える天童くんじゃなかったら、今、天童くんはここにいないんだね」と天童に言う。それは、松本と天童の運命の出会いも、天童の過去も彼自身も、そして、彼とともに辞書を作ることができている今この瞬間をも、肯定する言葉だ。
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用例採集された言葉のように「見つけてもらえた」登場人物たち

第8話でみどりは、100万枚の用例採集カードが眠る資料室を案内され、そこにいる「言葉たち」に向かって、思わず「見つけてもらえてよかったね」と思う。また、離婚後に再婚し、妻(野呂佳代)は出産を控えていることで、みどりに肩身の狭い思いをさせていないか心配する父・慎吾に対し、みどりは、今の楽しそうにしている両親を見ているから大丈夫だと答える。そして、かつて慎吾が褒めてくれた幼少期の光景を回想し、そこに馬締が彼女の整理整頓の能力を「辞書作りの才能」として認めてくれた光景を重ね「見つけてもらえたから」と呟く。みどりは馬締に、辞書編集部に「見つけてもらえた」今の幸せという、自身の「その先」があるからこそ、悲しかった過去ごと受け入れることができているのだろう。
用例採集された言葉たちだけでなく、彼女自身にも当てはまった「見つけてもらえた」という言葉は、これまで本作が描いてきた登場人物すべてに当てはまるのではないだろうか。例えば第4話で、『大渡海』の監修者である松本に辞書の「申し子」のようだと言われる馬締とみどり。第7話で、宣伝部にいることは「辞書の神様の計らいだったかもしれない」と松本に言われる西岡。そして第9話で、「松本先生みたいな日本語学者を目指します」と言われて「私には君を授けてくれましたか」と松本が呟くことで「松本にとっての申し子」となった天童。まるで「辞書の神様」その人のように、朗らかな微笑みで「その人がその場所にいる意味」を教えてくれる松本は、彼が何十年にも渡って担ってきた用例採集そのもののように、言葉たちのみならず、彼らの居場所を作ってきた。
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「恋愛」の語釈の変化に見る、変わり続ける言葉と人

本作は、好きになれる何か / 誰かを見つけ、「見つけてもらえた」人々についての話だ。それと同時に「変わり続ける」言葉と人の物語でもある。前述した第8話のみどりと父・慎吾のやりとりには続きがある。みどりは、「言葉ってどんどん変わってく」のと同様に「変わるでしょ、家だって人だって」と言い、娘として父の生活の変化を受け入れる。さらに、自身も変わり続けることを父に告げる時には、第8話冒頭の馬締とみどりの、資料室でのある会話が重なって響く。
みどりの「見つけてもらえてよかったねえ」に対し、馬締は「少し違います」と返す。いわく「言葉は飛んでいっちゃうから」「見つけて、追いかける」。さらにこの会話は、第9話の宮本(矢本悠馬)からみどりへの愛の告白の場面にも繋がる。宮本の告白を受けて、付き合った「その先」を知らないからと不安になるみどりに、「黙って居なくなったりしない」ことを誓う宮本。一度は告白を断られ、去ろうとした宮本を追いかけて、「言葉」を介してまた繋がって、これからの日々を作っていこうとする2人。そんな2人に幼少期のみどり(宮崎莉里沙)が寄り添う形で「恋」と「愛」が繋がり、彼女の中で第2話からの課題だった「恋愛」の語釈が完成する。よく読むとその語釈には、昇平(鈴木伸之)との別れを通して彼女が編み出した「恋愛」の語釈に「時に不安、時に喜びに心が満ちあふれたりする」という一文が加わっており、彼女自身の「変化」も表現されている。