『ANORA アノーラ』『ブルータリスト』『教皇選挙』『サブスタンス』など、「アカデミー賞」などの賞レースで話題になった作品が数多く劇場公開された2025年の上半期。この半期を長内那由多と木津毅という2名の映画ライターが振り返る。話題となった作品や、日本における映画受容から、映画の現在地を探ってみた。
※本記事には映画の内容に関する記述が含まれます。あらかじめご了承下さい。
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作家性の強い映画の盛況と、A24の功績
―ざっくりとこの半期を振り返ると、いかがでしたか?
木津:2024年下半期の対談では、目立つ作品が多くなかったみたいな話をしていたと思うんですけど、2025年上半期はとにかく観るのに忙しかったです。
賞レースで注目された作品が上半期に集中して公開されるので、毎年忙しい傾向はあるんだけれども、今年は特に豊作でした。

ライター。映画、音楽、ゲイカルチャーを中心に各メディアで執筆。著書に『ニュー・ダッド あたらしい時代のあたらしいおっさん』(筑摩書房)がある。
長内:僕も同じで、観るべき作品が多かったなと思います。さらに6月に入って『罪人たち』(ライアン・クーグラー監督)『F1®/エフワン』(ジョセフ・コシンスキー監督)『28年後…』(ダニー・ボイル監督)などメインストリームの夏休み映画も始まって三者三様のおもしろさでした。ようやく2025年が温まってきたなって思います。

映画 / 海外ドラマライター。東京の小劇場シーンで劇作家、演出家、俳優として活動する「インデペンデント演劇人」。主にアメリカ映画とTVシリーズを中心に見続けている。
―観るべき作品が多かったということですが、上半期は作家性の強い作品が目立っていた印象です。
長内:『米アカデミー賞』で『ANORA アノーラ』(ショーン・ベイカー監督)が「作品賞」を取ったことで、インディペンデント作品の強さが目に見えてわかりましたよね。それは、ハリウッドメジャーが弱くなってきた結果でもあると思います。

長内:近年、ストリーミングプラットフォームが多様化して、配信で幅広くインディペンデント作品に触れられるようになりました。裾野が広がったせいもあるんじゃないかなって思うんですよね。
その結果、観客の側も育ってきている印象があります。『ブルータリスト』(ブラディ・コーベット監督)や『ノスフェラトゥ』(ロバート・エガース監督)みたいな作家の個性が強い映画が北米でヒットしたっていうし、いい兆しだなと思ってますね。

木津:今年、チャーリーXCXの『Coachella』ステージで印象的だった出来事があって。2024年、「Brat Summer」というトレンドを生んだチャーリーXCXが「次は違う夏もいいんじゃない?」みたいなメッセージとともに、他のインディーミュージシャンの名前とサマーを繋げてバックスクリーンに投影していました。その中には、作家や映画作家の名前もネームドロップされていて。ダーレン・アロノフスキーみたいなキャリアのある監督の名前から、最近のアリ・アスター、セリーヌ・ソンの名前もあったり。それを見て「今ってチャーリーXCXのステージを見るような若者に響くようなヒップなものに、インディーの映画作家がなってるんだ!」って驚いたんですよ。
―北米の若者たちにとっては、イケてるカルチャーなんですね。
木津:その点で、A24の存在意義って本当に大きかったのではないかと感じます。最近は一時期より勢いが落ちているとか、ネオンの躍進が強いと言われていますが、A24が「作家の映画」をおもしろいもの、しかもかっこいいものとしてパッケージしたのは戦略としてうまいだけでなく、若い観客を育てたんだと思います。
長内:A24ブランドは、日本でも確立されましたよね。予告や番宣でも「A24の〜」が入るし、A24特集が組まれたりもする。今年の下半期には『愛はステロイド』(ローズ・グラス監督 / 2025年8月29日公開予定)、『テレビの中に入りたい』(ジェーン・シェーンブルン監督 / 2025年9月26日公開予定)も公開が予定されていますが、邦題の付け方も思い切りがよくなってきたのを感じます(笑)。北米の勢いがさらに日本にも波及してくれたらいいですね。
木津:長内さんが挙げてくれた2本とも変な映画であることは間違いないんですよ。単純に「おしゃれなもの」というにはちょっと奇妙すぎる作品をA24はちゃんと届けていて、おしゃれ消費で終わらないクセの強さ、ユニークさがA24作品にはあるなと改めて感じました。
―娯楽作ではあるけれど、同じく作家性が強い『罪人たち』もヒットしましたね。
長内:本来、いろいろなサブテキストが必要な『罪人たち』が日本でも盛り上がるのは意外でした。これほどハイコンテキストな作品がより多くの人に受け入れられていて、良い傾向ですよね。
ブラックスプロイテーション(黒人観客層向けに大量生産された娯楽映画。1970年代に数多く作られた)の形式を用いて、黒人の歴史、文化を背負う作品をつくっている。ジャンルミックスでもあるし、ライアン・クーグラーのシネフィルっぽい娯楽アクションだなと思いました。北米での大ヒットは、そうしたリテラリーの高い観客が育ってきたからかもしれないですね。
木津:「シネフィルっぽい」という感想はおもしろいですね。たしかにブラックヒストリー、ブラックカルチャーが配置されていてハイコンテクストですが、バカっぽいところもあるじゃないですか? 音楽のかかり方も大げさだし。それも映画に対する前提知識が必要とも言えるし、解説動画的なものとも相性がいいから、映画オタクっぽいと言われて「なるほど」と思ったんですけれど、同時に映画オタクだけに閉じていない豪快さが成功のポイントだったのかなと感じます。
長内:そこがライアン・クーグラーの大衆作家としての腕っぷしの強さですよね。『クリード チャンプを継ぐ男』(2015年)、『ブラックパンサー』(2018年)から続いて、人種を超えて観客の心を掴むパワーがオリジナル脚本の『罪人たち』で結実したのかなと。
木津:最初に注目された『フルートベール駅で』(2013年)が2010年代にBLMの文脈で受け止められたけど、その時代を経て、より豪快な娯楽作を作れるようになった。それがこの10年、15年の映画文化の進化だなと感じました。
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文化を継承する場所としてのミニシアター
―作家性の強さといえば、木津さんはフランス映画にも注目されていますね。
木津:クセの強い作品を観る土壌が育っていると、フランス映画などもワールドワイドに受容されていくようになるんでしょうね。実際、作品としても力のあるものが増えてきました。その象徴がなんといっても『サブスタンス』(コラリー・ファルジャ監督)だったなと。

木津:『サブスタンス』はアメリカ、イギリスとの合作ではあるんだけど、僕はやっぱりフランス映画と言っていいと思っています。『TITANE/チタン』(ジュリア・デュクルノー監督 / 2021年)などに代表される、新世代の女性監督の活躍、そしてジャンルミックスすることで変な映画を作るというここ数年のフランス映画の流れの1つの到達点だと感じました。デミ・ムーアみたいなキャリアを重ねたハリウッド俳優が変わったフランス映画に出たがるのが今っぽい流れだなと感じますね。
長内:僕は上半期、『サブスタンス』と『けものがいる』(ベルトラン・ボネロ監督)を観て、両方ともにあてはまるのは、フランス映画ではあるけど、根底にはかつてのアメリカ映画への憧憬や、影響があるということでした。コラリー・ファルジャもばりばりアメリカ映画好きな人ですよね。ハリウッドのジャンル映画を観て育った人たちが、自分の育った地域で自身のアイデンティティにまつわる話を撮っているんだなと感じました。
木津:そうですね。一方でゴダールからの流れもやっぱりあって、『イッツ・ノット・ミー』(レオス・カラックス監督)はすごくゴダールの映画を意識している作品です。カラックス本人の来日もあって、日本でも盛り上がったと聞きます。
あと海外ではすでに高い評価を受けているにも関わらず、日本では限定した形でしか上映される機会のなかったアラン・ギロディ監督作品の特集があったのもうれしい驚きでした。ミニシアター規模ではあるけど、結構、観客も多かったと話題になっているんですよね。
木津:もちろん「東京など主要都市でしか観られないじゃないか」みたいな話はあると思うんですけど、最近、地方のミニシアターの方々もすごくがんばっていて、どんどん小さな映画が全国で順次公開されていく流れもあるんです。海外での受容の話はさきほどしましたけど、日本でも作家の映画、ユニークな映画を観るという土壌ができつつあると思います。その中の1つとして、フランス映画は重要なものとしてあるんじゃないでしょうか。
長内:ミニシアターに勢いのあった時代は、みんな変な映画も見ていたはずなんですよね。だから、ようやく文化がまた1巡して戻ってきたのかな。そういう文化の継承、継続を意識的に行ってる人たちがいるってことですね。
―さきほどのアラン・ギロディもそうですが、文化の継承ということで言うとリバイバル上映も引き続き、勢いを感じました。
木津:特集上映やレトロスペクティブで良いものがあまりに多くて、そっちで忙しくなる傾向が近年ありますが、この上半期もそうでした。テレンス・マリックを劇場で観られるのも幸福でしたし、エドワード・ヤン『カップルズ』(1996年)が20代の映画好きのあいだで盛り上がっている話を聞けたのもよかったです。
木津:少し前まで、過去のクラシック作品が良いのはわかっているから、そればかり観られるのはちょっと寂しいなと思っていたんです。でも『カップルズ』を観て、それが変わりました。エドワード・ヤンが当時の台湾の姿を、リアルタイムに撮ることに賭けていたのだと伝わってくる。だからリアルタイムの作品を観る意義もこの作品を通して改めて感じました。また、今の映画を観る人たちの感性を育てることにもつながるので、クラシック映画を観ることに対して、最近はポジティブに感じられるようになりました。
長内:僕はロベール・ブレッソン『白夜』(1971年)を今回、初めて観たんです。渋谷のユーロスペースに行ったら、若い観客が多かった。あとテレンス・マリック『バッドランズ』(1973年)のときは客層が少し違って、日本で『地獄の逃避行』というタイトルでテレビ放映された当時のファンなのかなという人もいました。どちらも劇場の暗闇で観られるべき作品です。
長内:今、かつての作品を観ると、これが現在の作家に繋がっているんだなと発見もあるし、本当に良い体験だと思います。あと僕の友人で1年に数回しか映画館に行けないというビジネスパーソンと会ったら、「このあいだ大昔に一度劇場で観た『天国の日々』(テレンス・マリック監督 / 1978年)を観てきたんだよ」と言い出して。そういう人たちと劇場の絆を繋ぐものにもなっているんだなと感じました。
木津:ひと口にレトロスペクティブと言っても多様ですもんね。7月以降もインドの巨匠サタジット・レイ特集のようにザ・クラシックなものから、『リンダリンダリンダ』(山下敦弘監督 / 2005年)のように20年前の名作をリバイバルみたいなものまであるので。日本の映画文化、映画受容が良い方向に変化していくのかもしれないと希望を抱いています。