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生活や仕事や家族がある以上、いつもカッコよくいられるわけじゃない(YOKOI)
―YOKOIさんは荻窪〜西荻窪エリアで小学生の頃から20年生活をされていて、今もYOKOIさんとTAKAHASHIさんはお子さんと一緒に西荻窪で暮らしているんですよね。TAKAHASHIさんは今「エアポケット的」とおっしゃいましたが、YOKOIさんは荻窪という街にどのような魅力を感じますか?
YOKOI:荻窪と西荻窪でまた違う街という感じがしますね。西荻窪は、雑誌などで「お洒落な街」として取り上げられることも多くて、「このお店に行こう」と覚悟を持って行く感じですけど、荻窪は、それとはまた違う雑多さがあります。子どもがいると小さいお店には行きづらくて、それでどんどん荻窪に来ることが増えたんですけど、チェーン店もいっぱいあるし、近寄り難さがないんですよね。リアルな生活がある感じで、気楽なんです。

TAKAHASHI:荻窪は、用事がなくても行けるよね。とりあえず歩き出して、自ずと向かっている先にある街、という感じがする。他の中央線の街には観光感が強い街も多いと思うんですけど、荻窪は生活者がたくさんいて。吉田カレー(※)を目指して来る人はたくさんいますけどね(笑)。その観光感のなさが、荻窪の魅力だと思います。
※荻窪の人気カレー店。
―そんな荻窪という街が、ALANの表現に与えている影響はあると思いますか?
YOKOI:私個人は、綺麗なだけの生活はできない人間なんです。お洒落な街をお洒落に歩くことができないし、家も片付けられない(笑)。メンバーそれぞれ、生活や仕事や家族がある以上、いつもカッコよくいられるわけじゃないと思うんです。
そういう意味で、荻窪の、大衆的なものもディープなものも混ざり合っている感じはしっくりくるし、そこには今、自分がバンドをやっている理由に近いものがあると思います。もし自分ひとりで綺麗に突き詰めて作品を作れるタイプだったら、私はバンドはやっていないと思うんです。でも私はいろいろな人の意見が聞きたいし、自分の中に完成形や理想形があるわけでもなくて。だから、こうしてバンドのみんなで一緒に作品を作ることが落ち着くんです。

―目的を持たずに来ることができる荻窪という街と、完成形を持たずに自分たちのペースで進んでいくALANの活動の在り方には、重なるものがありそうですね。楽曲の作詞作曲はYOKOIさんが行っているということですが、歌詞にも中央線沿線の風景は表れていますか?
YOKOI:生活圏内なので必然的に、中央線沿線が舞台になります。中央線に乗っていると高架から街の様子が見えるんですけど、朝の光や、帰りの電車の窓から見る夕日がすごく印象的です。あと、大学生の頃は平日の適当な時間の電車に乗ってみたり、ただ駅のホームに座ってみたり、そんなことをしていて。そうやって日常を踏まえたものを表現することが、自分たちには一番合っているなと思います。
―ALANの曲は、たとえば「こういうジャンルをやろう」というような意志から生まれているものではないと感じるんです。もっと、今という瞬間から周りや人生を見渡した時に感じることが、純粋に音楽という表現に昇華されていて。だから「5人組バンド」という形態自体は素朴だけど、曲は、生きもののように新しさを感じさせる。曲の抑揚や構成も、「こんなふうに動くんだ!」と驚きます。
YOKOI:仕事のことでも、子どものことでも、日常に変化があった時に曲を作りたくなるんです。でも、リアルに書きたいという訳でもなくて。曲を作り出す段階では、リアルな言葉で歌詞を書いてみたりするんですけど、書いているうちに気持ちとズレが出てきて「なんか違うな」と思っちゃう。
それでいつも最後に辿り着く歌詞は、「今を大切にしたい」みたいな、普遍的なこと。自分が「こうしたい」と思っていて、でも、できていないことを歌詞に入れ込むことで、忘れないようにしています。もちろん心境の変化があったり、曲の作り込み方が深くなっていったりすることはあるけど、それでも、自分で後から聴いて「うん、ブレてない」と思って、長く聴くことができる。そういうものを作りたいと思っていますね。
