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一人ひとりが自分自身になれる
ーバンドを描くようなフィクションでは、女性をグルーピーのように扱うものも少なくありません。田口さんが監督し、峯田さんが主人公のバンドマン中島を演じた2003年の『アイデン&ティティ』では、麻生久美子さん演じる主人公の恋人は「中島の彼女」という役名で、なんでも許してくれる女神、もしくは母親のような役割でした。一方で、本作はサチや加世子はもちろん、屋根裏で踊り出す女性のようなワンシーンしか出てこない女性たちも、自らパンクに関わっていくことで変わっていく主体として描かれています。
田口:全員が参加者ということが大事なので。性別や職業関係なく、このムーブメントに共感して、自分の引き金を引く。誰も脇役じゃなくて、一人ひとりが自分自身になれる。それがパンク / ニューウェーブのムーブメントだと思うので、そこをきっちり拾い上げることは意識しました。実際に、舞踏やダンスをやってる人がバンドを組んだりとか、地引さんみたいに自分でレーベルを立ち上げたりするシーンだったので、そこを丸ごと描きたかったんです。
ー登場するバンドは、みんな「海外からの借り物ではない、東京のパンクをいかにしてやるか」という共通の問題意識を持っています。
田口:洋楽パンクにもまだ慣れ親しんでいないような時代だったので、それをどう自分たちのものにしていくかという葛藤が生んだ美しさですよね。海外から来た音が自分の耳にはこう聞こえた、という。

ー峯田さんにも、そういった意識はありますか?
峯田:ずっと考えてはいるんですけど、ちゃんと答えを提示できているかはわからないです。例えばSNSとかがあって、便利になっている分、それに乗っかっていいのか。もし彼らが今の時代にいたら、どんな方法で表現するんだろうなとか、ずっと考えてます。バズった方がいいみたいなことになってるじゃないですか。みんなバズらせようとしますけど、僕はバグった方がいいと思います。いかにバグれるか。どんどんシステム化されていく中で、はみ出るものが面白い。じゃあバグをどうやって起こせるか、そのためにどういう自分じゃないといけないのかを考えてます。
ーバズとバグの対比という意味では、作中でTikTokerと三軒茶屋にあるレコードショップ「FUJIYAMA」が並んでいるシーンが象徴的です。FUJIYAMAは日本でも随一のバグっている場所ですよね。
田口:一つの対比ではありますよね。こういった現代にもFUJIYAMAはある、という(笑)。あのシーンはドキュメントというか。じゃがたらのボーカル・江戸アケミさんの言葉「やっぱ自分の踊りを踊ればいいんだよ」が書かれているFUJIYAMAの看板を、映画の中で残しておきたかったというのもありました。

ーじゃがたらの“もうがまんできない”を登場人物がリレーで歌っていくシーンも印象的です。FUJIYAMAのシーンと、このシーンが一番ファンタジックというか、フィクション性が高いと思いました。
田口:映画的な展開がもう一つほしいと思っていて、大袈裟にいうとミュージカルにしようと。この曲はサビで「心のもちようさ」と歌って社会や世間とのコミットを勧めながら、タイトルは“もうがまんできない”という。このアンビバレントな曲は全然古びていないので、今こそ伝わるんじゃないかと思いました。
峯田:「がまんできる」っていう歌詞ですもんね。で、タイトルだけ“もうがまんできない”。めちゃくちゃかっこいい。まさか自分が大人になって、映画の中であの曲を歌えると思ってなかったんで、高校生の自分に教えてあげたいです(笑)。「お前は間違ってねえんだぞ」って。