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本作は「女性が作る“文芸エロス”映画」である
「文芸エロス」というのは日本特有のジャンル分けで、アメリカなどではこの種の映画はヨーロッパ式アート映画の皮を被ったエクスプロイテーション映画として受容されている。エクスプロイテーション映画というのは、扇情的な題材をとりあげて手っ取り早く興収をあげるために量産される映画のことだ。性的な題材をとりあげたものはセックス+エクスプロイテーションの鞄語でセクスプロイテーションと呼ばれる。アメリカで作るとエクスプロイテーション映画と呼ばれるものがなぜかヨーロッパで作られるとアメリカではアート映画と呼ばれる……という話があるが、アートな映画とエクスプロイテーション映画は「攻めた」描写が特徴なので、かけ離れているようでいて実はけっこう曖昧である。
エメラルド・フェネルの『嵐が丘』は、紛うことなき文芸エロス映画であり、お金のかかったセクスプロイテーション映画だ。原作の『嵐が丘』は大変官能的な作品ではあるが、そのエロティシズムは全て人間関係の微妙なテンションから来るもので、露骨な性描写は無い。読者は想像で補ってくれ、というわけだ。ところがフェネルはこの補った想像を全て映像にしている。微妙さのかけらもない。
この露骨さは本作を非常にセクスプロイテーション映画的にしている。ヨークシャでロケした映像や、完全に時代考証を無視した派手で現代的な衣装など、2026年の『嵐が丘』は視覚的にかなり1970年代頃のセクスプロイテーション映画に似ている。ニュアンスで伝えるような表現はなく、マーゴット・ロビー演じるキャシーとジェイコブ・エロルディ演じるヒースクリフは再会後、不倫のセックスに溺れ続けている。原作にはないBDSM描写まで登場する。
しかしながら注目すべきなのは、この『嵐が丘』の文芸エロス化は完全に女性の視線を通して行われているということだ。『サインフェルド』でエレインが指摘しているように、文芸エロス映画はいくら女性の自由な行動を描いているとは言っても、結局は男性が撮り、男性の視線に奉仕する作品であることが大半だ。かたや本作は女性であるエメラルド・フェネルの視線によりコントロールされており、他のセクスプロイテーション映画には見られない要素がたくさんある。
