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原作の「大改変」と言われるが……
映像化する場合、通常はヒロインのキャシーが亡くなる中盤あたりで終わりにし、その子ども世代の話は省略することが多い。今回の映画も同様だ。しかしながらフェネルの『嵐が丘』は他の点でも原作を大きく変更しており、そこが賛否両論、もっと言えば愛読者からの強い反発を呼んでいる。
私は『嵐が丘』の愛読者で、しかも英文学者で映画批評家だが、本作の映画化にあたって原作が大きく変更されている点についてはとくに気にしない。私がふだん研究しているのはシェイクスピアだが、シェイクスピア劇はとんでもなく魔改造された翻案が大量に存在するので、今回の『嵐が丘』はそれに比べればたいした変更ではないと思えるからだ。変更の方向性は非常に好みが分かれそうだが、これまでの監督のキャリアを見ると一貫性のあるやり方だとは言える。フェネルは広い意味での古典やジャンルの概念を扇情的な方向性であえてめちゃくちゃにすることでキャリアを築いてきた映画監督と言えるからだ。

ところで、『となりのサインフェルド』という、アメリカで1989年から1998年にかけて放送されたシチュエーションコメディがある。このシリーズの中で繰り返しギャグとして出てくる『ロシェル・ロシェル』という架空の映画があるのだが、これは「ミラノからミンスクまで、若い女性の不思議でエロティックな旅」を描いた非英語圏の映画だ。架空の映画なのでどういう話だかはよくわからないが、ドラマの中での描写からすると、つまらないが美女の裸はけっこう出てくるそうだ。どうもフランス産エロティカとして一世を風靡した『エマニエル夫人』(1974年)を新しくしたみたいな映画らしい。『サインフェルド』の主要女性キャラクターであるエレインは『ロシェル・ロシェル』について、「男性客はどんなにくだらなくても女優が脱げば観に来るから……」とこのタイプの作品をけなしている。
これは日本語でいわゆる「文芸エロス」と言われるジャンルである。だいたいはヨーロッパで作られており、原作があることも多く、景色が綺麗な場所や歴史的建造物などを使ってロケをする。ものによるが、どぎつい暴力描写は少ない。美女(主人公であることも多い)の性的体験が官能的に描かれており、一応人生と性愛の意味みたいな哲学的テーマらしいものを扱ってはいる……のだが、観客の目当てはだいたいエロ描写で、それ以上に面白いと言えるところはそんなにないことも多い。有名なものとしてはポール・ボウルズ原作の『シェルタリング・スカイ』(1990年)やマルグリット・デュラス原作の『愛人/ラマン』(1992年)、最近だと『パルテノペ ナポリの宝石』(2024年)などがそれにあたると言えるだろう。
