日本の芸能界には昔ながらの独特な慣習がいくつもあるとされてきた。例えば、前の事務所を辞めてすぐには次の事務所に移って活動できない。レコード会社を移籍すると昔の作品が演奏できなくなる……などなど。そんな芸能界の取引が変わるなにやらすごい指針が出たとうわさに聞いて数ヶ月。出したのは「市場の公正な競争の番人」とも称される公正取引委員会だ。かつては業界内の過当競争やフリーライドを防ぐ意味合いでできたという商慣習の数々。指針ができた背景には、近年市場が海外にまで広がり、国内のやり方がグローバルなコンプライアンス基準に見合わなくなってきたという事情も垣間見える。
「芸能分野の取引適正化指針(実演家等と芸能事務所、放送事業者等及びレコード会社との取引の適正化に関する指針)」で芸能活動をしている人やその周辺で仕事をしている人たちの環境がどう変わっていくのか、公正取引委員会の片岡克俊取引調査室長と文化庁「文化芸術分野の適正な契約関係構築に向けた検討会議」で検討委員をつとめた一般社団法人日本芸能従事者協会の森崎めぐみ代表理事に聞いた。
INDEX
指針は法律の適用の仕方を示すガイドライン
─芸能界の取引が変わる「すごい指針」出たといううわさは聞いています。それがどう芸能界に影響していくのか、今日は噛み砕いて教えていただこうと思ってやってきました。まずお2人の自己紹介からお願いします。
片岡:公正取引委員会(※)の片岡と申します。この指針をまとめるにあたって、「音楽・放送番組等の分野の実演家と芸能事務所との取引等に関する実態調査」を担当し、実際にいろんな関係者の方たちにヒアリングを行った上で、2025年9月30日に「芸能分野の取引適正化指針」を出しました。
※公正取引委員会:独占禁止法や取適法などを運用するために設置された国の行政機関。自由で公正な経済活動が行われるように企業の違反行為を取り締まり、消費者の利益を守る役割を担う。

公正取引委員会取引調査室長。2003年公正取引委員会入局。G7競争当局等会合の担当等を経て、2024年7月から現職。「音楽・放送番組等の分野の実演家と芸能事務所との取引等に関する実態調査」を担当し、それを元にした「芸能分野の取引適正化指針(実演家等と芸能事務所、放送事業者等及びレコード会社との取引の適正化に関する指針)」作成に携わる。
森崎:私は芸能一家に生まれて、ずっと俳優の仕事をしてきたのですが、周囲で怪我をする人がとても多かったです。それで、芸能人に労災の補償がないことに疑問を感じて、事故実態を調べるようになりました。2021年、働き方改革の流れで、芸能実演家やスタッフの作業が労災保険の特別加入制度の対象になり、窓口となる「全国芸能従事者労災保険センター」を立ち上げました。現在、母体法人の日本芸能従事者協会には団体会員も含めて約5万2000名が会員にいらっしゃいます。
今回の芸能分野の取引適正化指針については、調査が始まるにあたって会員に呼びかけ、アンケートにご協力しています。

一般社団法人日本芸能従事者協会代表理事。労災特別加入団体の、全国芸能従事者労災保険センター、フリーランス安心ネット労災保険を設立し東京労働局の承認を得る。文化庁文化芸術分野の適正な契約関係構築に向けた検討会議委員。映画「人間交差点」で主演デビュー後、黒沢清、是枝裕和などの監督作品やディズニー映画「ファインディング・ニモ」日本語吹き替え版等に出演。主な著書に岩波新書『芸能界を変える─たった一人から始まった働き方改革』
─ありがとうございます。そもそもこちら「指針」となっているんですが、法律とは違うんでしょうか?
片岡:法律ではないんです。独占禁止法(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律)といって公正取引委員会が運用している市場における不当な取引制限や、不公正な取引方法を禁止する法律があるのですが、その法律の適用にあたっての考え方を指針という形で出させていただいたものです。
なぜかというと、独占禁止法自体がいろいろな業種に横断的に適用されるもので抽象度が高い面があります。ですから、条文だけを読んでも具体的にどう適用されるのかがわかりにくい。それで、この業界だとこういうふうに独占禁止法が適用されますよというのを示すガイドラインを作ってお示ししています。これまでも色々な業界向けにかなりの数の指針を出しています。
今回の指針の場合、厳密にいうと独占禁止法と取適法(中小受託取引適正化法)、フリーランス法(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律)の3つについての考え方をお示しした指針になります。

─違反するとどうなるんでしょう?
片岡:独占禁止法に関して言うと、―番重たいものとしては、排除措置命令という行政処分が出されます。具体的には、たとえば、問題のある行為の停止、排除に加え、社内でコンプライアンス活動の実施を求めるもので、従わないと刑事罰の対象となる強力な措置です。