たくさんのものが、鮮やかに混ざり合っている音楽である。率直な決意も、やりきれなかった記憶も。幸福な夜も、悲しみの夜も。部屋の窓を開けて見る外の景色も、自分の心を覗き込んで見る内側の景色も。いろんなものが混ざり合って、美しくて、エモーショナルな音楽に結晶化している。この音楽を生み出しているのは、Gen Kakon。28歳のシンガーソングライターだ。
Genは中国で生まれ、14歳から日本で暮らし始めた。そうした彼の人生的なバックグラウンドは、彼の生み出す音楽に色濃く反映されている。2025年には、“愛と哀の共同体”、“Boy, Don’t Cry”、“Why am I doing (what I’m doing)”という3曲の配信シングルを「インディーズ3部作」としてリリースした。詳しくはインタビューを読んでもらえればわかるが、どの曲もとてもリアルな、彼の個人的な記憶がパッケージングされている楽曲たちだ。
しかし、だからといって彼の音楽は「内省的なシンガーソングライター」というステレオタイプな像に収まるものではない。彼の音楽は、とても解放的でポップな質感を持っている。聴けば、それは「彼の音楽」であると同時に「私の音楽」にもなる。そういう音楽を、Gen Kakonは生み出している。
このインタビューは、Gen Kakonにとってほとんど初めてのインタビュー。彼の音楽がどうやって生まれているのか、読み解くヒントになるだろう。彼のフランクな人柄に、インタビュアーである自分も一気に惹き込まれてしまった。そして、個人的に取材をしていて印象的だったのが、彼が何度か「可能性」という言葉を使ったこと。彼は自分のことを「可能性」だと思っているのだ。なんて素晴らしいんだろう。存在とは可能性だ。人が1人生きている。それはこの世界が新しくなる可能性なのだ。そんなことを改めて思い出した取材だった。
INDEX

2025年、インディーズシーンに突如現れ、「特別な歌声」と評される存在感で急速に注目を集める中国生まれ日本育ちのシンガーソングライター・Gen Kakon。“切なさ”と“真っ直ぐさ”が同居する特別な歌声で多くのリスナーを魅了し、2025年10月リリースの「Boy, Don’t Cry」では、ラジオ34局+CS2局の計36局のパワープレイを獲得するなど、大きな注目が集まっている。また、2025年11月26日にインディーズ3部作の締めくくりとなる新曲「Why am I doing (what I’m doing)」をリリース。
ONE OK ROCKとの出会い。歌がアイデンティティになった高校時代
―2025年にインディーズ3部作として“愛と哀の共同体”、“Boy, Don’t Cry”、“Why am I doing (what I’m doing)”という3曲のシングルをリリースされて、シンガーソングライターとして活動が広がってきているかと思います。そもそもGenさんは中国がご出身で、14歳の頃に日本に来られたそうですが、ミュージシャンになりたいと思ったきっかけは、振り返るとどこにあったのだと思いますか?
Gen:初めての音楽活動は高校生のときに組んだバンドなんです。音楽は中国にいた頃から常に聴いていたんですけど、中国にいた頃は、自分がアーティスト活動をするなんて想像もしていなくて。でも、14歳で日本に来たとき、最初は日本語も喋れなかったので、音楽が唯一寄り添ってくれる存在だったんですよね。

Gen:高校に入ったとき、最初は軽音楽部に体験という形で遊びに行くようになって、そこで歌ってみたら「ONE OK ROCKのTakaさんの声に似てる」と言われて。家に帰ってONE OK ROCKを聴いてみたんですけど、めちゃくちゃカッコよくて。その後、文化祭でもONE OK ROCKはカバーしましたね。
―では、音楽を聴くだけでなく「自分でやる」となったのは、バンド活動が最初だったんですね。
Gen:そうなんです。僕は広島の高校に通っていたんですけど、クラスメイトが学校の外で組んでいるバンドにもボーカルで参加するようになって。当時は、ラウド系のバンドで歌っていました。

―最初からボーカルというポジションもしっくりきましたか?
Gen:そうですね。歌うことが好きだったし、当時は日本語が今ほど喋れなかったので、歌が唯一のアイデンティティになっていたと思います。
INDEX
「日本語は第一言語ではないけど、自分が書く日本語の歌詞の響きを大切にしたい」
―ご自分で作詞や作曲をやり始めたのは、どんなきっかけがあったんですか?
Gen:高校を卒業した後に音楽の専門学校に行ったんですけど、そこで初めて自分の曲を作りました。そもそも、僕をバンドに誘ってくれた高校時代のクラスメイトと同じ専門学校に通って、一緒に住んだりもしたんですけど、結局、そのまま音楽活動は一緒にやれずで。そういうのもあって、人に頼っている自分から離れたかったんですよね。で、「曲も自分で作ってやろう」と思って。
学校を卒業する半年前に、オリジナル曲のコンテストがあったんです。それまではずっとシンガーとして、カバー曲で別部門のコンテストに出ていて、そこでは何回か優勝もしていたんですけど、作詞作曲でも優勝できたら、これからも音楽をやっていける自信になるかもしれないと思って。逆に、そのコンテストで優勝できなかったら音楽は辞めよう、くらいの覚悟もありました。結果、優勝できたんです。

―すごい。
Gen:でも、賛否両論だったんですよ(笑)。「なんだ、この音楽?」という声もあって。そのとき作ったのが僕の人生の1曲目なんですけど、その曲は日本語も中国語も英語もぶち込んだ、Queenの“Bohemian Rhapsody”に影響を受けた曲だったんです。ロックもヒップホップも入って、ラップもしている、そんないろんなジャンルが混ざった曲で。
それで、学校の先生の意見が分かれたんですよね。「意味が分からない」と言う人もいれば、「新しい世代の音楽だ」と言う人もいて。でも、その曲で優勝できたからこそ、自分はシンガーソングライターになれました。
―その最初に作った曲は、ご自身の中にある様々なアイデンティティを入れよう、という意識で作った曲だったんですか?
Gen:そうです。あの曲は、聴く側がどう思うか? ということも考えていなくて。とにかく「これが俺だぜ」と言えるものを出さないといけないと思っていましたね。
―では、今、曲を作るときに大切にされていることはどんなことですか?
Gen:「僕が書く日本語の歌詞」であることですね。僕は、生まれは日本ではないし、日本語は第一言語ではないけど、これからも日本で生活していくし、日本で育てられた人間で。そういう人間として、自分が書く日本語の歌詞の響きを大切にしています。あと、自分のカルチャーのバックグラウンドも含めて、「新しさ」を感じさせるものであること。この2つを今は大切にしています。

INDEX
「今、日本と中国は政治の面で大変なところもあるけど、作品で向き合いたい」
―ミュージシャンとしてここまでの道のりを振り返ると、どんなことを感じますか?
Gen:結構、波乱万丈だなと思います(笑)。最初は右も左もわからなかったし、いざシンガーソングライターとして動き出そうと思ったら、コロナ禍になってしまって、動けなくなったりもして。バンドが自然消滅したこともあったし。でも、自分でバイトをしながら、その街の人と知り合ったりして、少しずつ、人間関係を含めいろんなものを開拓しながら活動を続けてきました。

Gen:ある時、お世話になっていた先輩が、僕にちょっと当たりが強い時期がありました。飲みの席で他の人が「なんで最近そんなにGenくんに当たりが強んですか?」と聞いたんですけど、そしたら、その人が「こいつが中国人だから」と答えたことがあって。
今振り返ると、当時の自分にも未熟さがあり、かなり尖っていた時期だったと思います。知らず知らずのうちに、ストレスを与えてしまっていた部分もあったでしょう。冗談のつもりだっただと思うんですけど、聞いた瞬間に長年築いた信頼関係が崩れましたね。
それからは、中途半端な関係だったものは全部さよならしました。今は、出会った仲間たちに助けられながら、「自分でやっていく」という覚悟を決めています。
―波乱万丈な中でも、ずっと、音楽はGenさんにとって大事なものとしてあり続けているんですよね。最初に「拠り所だった」とも言っていましたけど、今のGenさんにとって音楽は何故そこまで大切なものになっているのだと思いますか?
Gen:支えてくれた方々がたくさんいる、というのも大きいなと思います。縁がないと感じる人もいたけど、その裏で、本当に素敵な方々に支えられてきたんですよね。「絶対にいけるよ」と言ってくれる人たちがいたんです。
音楽は大好きだけど、挫折も多かった。僕が知る限り、中華圏出身で日本語の楽曲において、歴史に残るほどの結果を残した男性アーティストは、前例が少ないからこそ難しいですが、その中にチャンスがあると感じています。

Gen:2025年は最後のチャンスの年だと思って、“愛と哀の共同体”は、出会った仲間たちを集めて作りました。思った以上に好評で、「まだ音楽を続けてみよう」という気持ちになれましたね。
―音楽が好きなのはもちろんだけど、周りにいる人たちの存在が、今のGenさんを突き動かしている部分もあるんですね。
Gen:そうですね。僕も、その人たちを巻き込んだわけだし。結果は出したいです。恩返しがしたい。
―先ほどチラッと言っていましたけど、日本に来たことに、宿命は感じますか。
Gen:感じますね。僕はハーフではなく純粋な中国人ですけど、14歳で日本に来ている。そう思うと、日本と中国の、ちょうど半々の価値観を持っているような気もするんです。音楽を作っていると、「自分にしか書けない日本語の歌詞があるんだ」って感じるし、自分には可能性があるなと思います。
今、日本と中国は政治の面で大変なところもあるけど、こういうときに、僕のような人間は必要だと思う。政治的なことを語りたいわけではないんですけど、どうしても巻き込まれる部分はあるし、そこは、作品で向き合おうと思っています。

―14歳という、すごく多感な時期に日本での暮らしが始まったということだと思うんですけど、日本で暮らし始めたときはどんなことを感じられていましたか?
Gen:中国にいたときは人気者だったんです。みんなに囲まれるような存在で。でも、日本に来たら急に周りに誰もいなくなって。いじめまではいかないけど、馬鹿にされることもあったし、よく喧嘩もしていました。カルチャーショックもあったうえに、僕も僕で反抗期だったし、母と姉と暮らすのも幼少期以来だったので家でも馴染めず、居場所がないっていう感じでしたね。なので最初の5年間は辛かったです。
でも、高校に入った頃からは、日本語も喋れるようになってきたし、専門学校に入ってからは、いろんなバイトも経験して、日本の社会や文化のことも理解できるようになっていったなと思います。

INDEX
「どんなことにも両面性があるし、両面以上のものがあるかもしれない」
―さっき“愛と哀の共同体”は仲間たちと作ったと言っていましたけど、実際、どんなふうに制作されたんですか?
Gen:ミュージックビデオの監督さんは、当時バイトをしていたバーで知り合ったカメラマンさんなんです。あとアレンジャーの釣(俊輔)さんも、家の近くにある、みんなでよく集まるお店で出会いました。
僕にはそこまでお金がなかったんですけど、アレンジやミュージックビデオを作る費用は、みんなが集まるお店のオーナーでもある、お世話になっている先輩が「出資してやるよ」と言ってくれて。
―本当に、Genさんの周りにある身近なコミュニティから生まれた曲なんですね。“愛と哀の共同体”は、Genさんにとってどんなことを歌おうとした歌なのだと感じていますか?
Gen:人間についての歌だし、社会についての歌だと思います。歌詞にもあるけど、みんなが<不器用なGood guy>なんだっていう。一見、「愛」はポジティブなように見えるし、「哀」はネガティブなように見えるかもしれないけど、愛は裏返せば恨みにもなるし、哀は時間が経つとラブに見えることもあるかもしれない。どんなことにも両面性があるし、両面以上のものがあるかもしれない。みんな、人間味に溢れているんだって。そういう歌だと思います。
―この曲を作ったときに、そういうことを歌いたいと思ったきっかけがあったんですか?

Gen:ありました。当時、大阪に住んでいたんですけど、毎日、家の前を通る暴走族がいたんですよ。ブンブンブンブン毎日通るんですね。「うるさいなあ」と思ってて。でも、ある日、その暴走族が来なかったんです。
そのとき、自分でも意外だったんですけど、「寂しい」と思ったんです(笑)。「何かあったのかな?」とか、心配しちゃったんですよね。それで歌詞に、<深夜に競争する暴走族から希望を与えられる>ってあるんですけど(笑)。
―なるほど(笑)。この部分は完全に実話だったんですね。
Gen:いつも「うるさいなあ」と思っていたのに、「俺、彼らのことが好きかもしれない」と思って(笑)。そういうところから、何事もすぐにカッとならずに、器を大きくして受け止められればいいなと思って。
―ちなみに、“愛と哀の共同体”はサウンド的にはメロウで、Genさんが最初にやっていたラウドロック的な部分は表面的には感じないですよね。エモーショナルである、という点では深い部分で繋がっている気もするんですけど。シンガーソングライターとしての、Genさんの音楽的な指向性ってどういったものなんだと、ご自分では思っていますか?
Gen:基本、音楽はなんでも好きなんです。中国にいた頃から家に帰ったら絶対に音楽を聴いているような生活だったし。今、曲のストックはたくさんあるんですけど、その中にはロックな曲もあるし、オルタナな曲もあったりして。

Gen:今年出した曲は割とシンプルになっている曲が多いと思うんですけど、今はまだ、自分の一部しか見せていないような感覚もあるんですよね。これからはもっとJ-POP要素も意識していきたいなと思っていて。最近、よくJ-POPを聴くんです。
―ちなみに、最近好きなJ-POPはありますか?
Gen:昨日の夜はずっとKANを聴いてました。Apple Musicで出会ったんですけど、いいなあと思って。
―KANさん、いいですよね。
Gen:はい。音楽を楽しんでいる感じがすごく伝わってきます。