RADWIMPSの歌を聴くとき、私たちはなぜこれほどまでに「息苦しく」、そして救われるのか。
2005年のメジャーデビュー以来、野田洋次郎が紡いできた言葉は、ときに美しく、ときに目を背けたくなるほど醜悪なエゴイズムを孕みながら、常に私たちの「心」の速度を追い越してきた。
本稿では、そんなRADWIMPSの歩みを総括する『野田洋次郎 歌詞集 RADWIMPS論』が12月19日(金)に発売されたことを機に、彼らの音楽が放つ「息苦しさ」の正体に迫る。
代表曲“有心論”がもたらす音と言葉の「追いかけっこ」の快感、「君」を賛美することの醜悪さとエゴイズム、そして最新作『あにゅー』に見る生への切実な渇望——。批評家 / ライターの伏見瞬が、音楽的構造と身体性の両面から、野田洋次郎という表現者が描き続ける「理不尽な生」の肯定とその本質を紐解く。
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2025年12月19日(金)発売。RADWIMPSメジャーデビュー20周年記念歌詞集。野田洋次郎の歌詞が描く「生」「心」「哲」「音」とは。各界の著名人8名による寄稿文も収録。人生・心情・哲学・音楽をテーマにした、バイブルとしての80曲の歌詞を読むことで、「私にとってのRADWIMPS」が開花する一冊。
野田洋次郎の言葉から受ける息苦しさのイメージ
今までの僕が僕を押しつける。なんだろう。なんでなんだろう。なんだか息が詰まる。何も嬉しくない。苦しい。息ができてる気がしない。どうしてこんなことになっているんだろう。すべてが苦しい。
僕は苦しい。僕は重たい。僕は硬くて痛い。僕はずっと耐え続けている。何も悪いことをしていないのに。僕は僕に耐え続けている。
君は僕を溶かしてくれる。僕の重たさを軽くしてくれる。僕の固さを柔らかく溶かしてくれる。溶けるために、僕は君に暴力に似たことをする。でも君を傷つける気持ちはない。ただ柔らかく溶けたいだけ。
僕はなにもしたくない。僕にいいところなんてない。僕に僕の好きなところなんてない。君が泣いている。君が傷ついてるように見える。僕が悪の化身かのように君が見ている。
なんでこんな風にならなきゃいけないんだろう。ただ生まれ落ちただけなのに。望んだわけでもないのに。息なんてしたくないのに。苦しい。息ができてる気がしない。
RADWIMPSメジャーデビュー20周年を迎えた2025年。11月19日(水)には、トリビュートアルバム『Dear Jubilee -RADWIMPS TRIBUTE-』が発売された。このアルバムは、Mrs. GREEN APPLE、米津玄師、Vaundy、YOASOBI、ずっと真夜中でいいのに。、ヨルシカと、今のJ-POPシーンのトップが勢揃いし、それぞれの形でこれまでのRADWIMPSの楽曲をカバーする作品になり、SpotifyやApple Musicの再生数ランキングを独占する事態を作り上げた。
また、12月19日(金)には、RADWIMPS初となる歌詞集『野田洋次郎 歌詞集 RADWIMPS論』が発売された。この文章も、野田洋次郎の歌詞について書こうとしている。そして、僕がRADWIMPSの楽曲から抱くイメージを表すと、冒頭に書き連ねた言葉になる。混濁した、逃げ道のない、息苦しさの連続。そしてそうしたイメージは、2006年に聴いた“有心論”という曲に、ギュッと結びついている。

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“有心論”で気づく、音と意味の追いかけっこ
僕は両極を忙しなく動いている。人類史上最高の幸福と世界史上最悪の絶望を、何度も行き来している。だからRADWIMPSの言葉もひたすら両極へ動いている。
野田洋次郎の歌は情報量が多い。言葉数が多い。メロディは同じでも歌詞はどんどん変わる。サビの歌詞も簡単には繰り返さない。言葉の洪水を、聴き手の脳は受け止める。故に、音に対して言葉の意味を取るのが遅れる。
“有心論”サビの、8分音符で畳みかけるこのフレーズ。
君があまりにも綺麗に泣くから
僕は思わず横で笑ったよすると君もつられて笑うから
僕は嬉しくて泣く 泣く
RADWIMPS “有心論”
君が泣く→僕が笑う→君が笑う→僕が泣くという「僕 / 君」「泣く /笑う」の順列、組み合わせのような行為の連続を、僕たちは素早く流れる音を聴いてからコンマ1秒、あるいはそれ以上遅れて理解する。「泣く」「泣く」と繰り返すときの遅延によって、やっと脳が追いつく。音の把握と言葉の把握とのズレが途中で一致する。その追いかけっこの快感によって、僕らはRADWIMPSから耳を離せなくなる。
明日を呪う人間不信者は
明日を夢見る人間信者に
もう昨日を探してた僕はいない いない
RADWIMPS “有心論”
不信と信が韻律を伴って入れ替わる。2番のサビでは、君の存在と不在が入れ替わる。
誰も端っこで泣かないようにと
君は地球を丸くしたんだろう?
だから君に会えないと僕は
隅っこを探して泣く 泣く
誰も命無駄にしないようにと
君は命に終わり作ったよ
だから君がいないその時は
僕は息を止め 待つ
するとね君は いつでもここに
来てくれたのに もうここにいない
RADWIMPS “有心論”
泣いたと思ったら笑い、笑ったと思ったら泣く。不信から信へ、信から不信へ。君の不在から存在へ、存在から不在へ。2つの極への性急な移動という点で、“有心論”ほどRADWIMPSを表している曲はない。
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ベースが支えるRADWIMPSの楽曲の情報量
情報量の多さは言葉だけじゃない。演奏もそうだ。RADWIMPSの楽曲はどれも、1つの曲に複数の曲が入っているような印象を与える。
たとえば“05410-(ん)”は、シンプルな8ビートのパワーポップとして始まるが、途中で2ビートの倍速リズムに変わり、さらにはヘヴィメタル的なキックの16分連打に変わる。
“セツナレンサ”、“イーディーピー 〜飛んで火にいる夏の君〜”などの楽曲は、Rage Against the MachineとBUMP OF CHICKENとWeezerと松任谷由実が合体したような、ありえない組み合わせの異形感を印象づける。
そうした異形を支えているのが、ベースの武田祐介のプレイだ。高いフレット位置でメロディを弾き、ルート弾きを的確なニュアンスで弾き、隙間の多いフレーズでレゲエ / ダブ的なリズムを形成し、16分の刻みやスラップによってファンクを感じさせる。RADWIMPSのサウンドの多様さは、なによりベースから産まれ落ちる。

“有心論”においては、最初のAメロにおける隙間の多いメロディ、サビのルート弾き、2番で4つ打ちに乗る16分のフレーズ、間奏でのスラップと、パートごとにスタイルを変えている。この豊かさによって、RADWIMPSにおける楽曲変化は、こけおどしを凌駕する。
言葉と音の情報量。それはMrs. GREEN APPLEやYOASOBIに受け継がれている。細かく韻を踏んでいくリリックも様々な音楽家に受け継がれている。しかし、「容赦なきフィクション」と呼ぶべき野田洋次郎の信仰には、誰も追いついていない。