メインコンテンツまでスキップ
NEWS EVENT SPECIAL SERIES

岡田拓郎インタビュー 「日本人が黒人音楽を演奏すること」への逡巡と「アフロ民藝」

2025.12.19

#MUSIC

太平洋戦争と明治維新による伝統との断絶

―1曲目の“Mahidere Birhan”は、エチオピアのジャズや歌謡曲をインスピレーション源にしていると思うんですが、同国の音楽についてよく語られる通り、やはり日本の5音階との類似を想起しました。

岡田:一般的に現代の日本で生活している中では、エチオピアの文化を身近に感じる機会はかなり限られていると思うんですが、エチオピアの音楽を聴くと、両者の不思議な繋がりを感じるんですよね。どうしてこれほどまでに距離の離れている両文化圏の音楽のスケールが似ているのかという話って、昔から色々な俗説が飛び交っていることからも分かる通り、僕らの想像を異様に掻き立てる力があるんですよね。まさしく、さっき言ったアフリカ文化とアジア文化の「有り得た未来」の話にも通じていると思うんですが、そういうことを考えるのは、やっぱり楽しいです。

―例えば、ルンバのリズムがキューバとアフリカを往還した歴史的な経緯であったり、遠隔地間で文化的表象が移動していく様子というのは、すごくロマンを掻き立てられる話題ですよね。エチオピア音楽と日本の流行歌のスケール上の類似にも、多分に偶然の要素が働いていると理解しつつも、そういう文化の移動にまつわる「もしも」の思考を掻き立てられます。

岡田:最近見たYouTube番組かPodcastで、たしか国立科学博物館館長の篠田謙一さんのお話だったと思うんですが、「人は元来移動する生き物である」という趣旨の話題のなかで、人やモノの移動が世界の文化に与えた影響が強調されていましたし、おそらく、色んなポピュラー音楽の形態っていうのも、そういう移動とか伝播の過程で立ち上がってきたものだと思うんですよね。

―なにか、一つの場所に固定された中から立ち現れてきたものじゃなく……。

岡田:そうそう。だから今回のアルバムもそういう交差とか移動の中で立ち現れてきたものというイメージで――とか言いつつ、リリースの当日に、「大風呂敷広げちゃったなあ」っていきなり冷静になってバッド入ったりもしたんですが……(笑)。いずれにせよ、これはどこかで向き合わなくてはいけない事柄ではありました。

―でも、そういう逡巡そのものが、まさに、このアルバムを再帰的なアイデンティティ探求の優れた実例にしているのだろうな、とも思います。

岡田:もしそうなっているとしたら良いのですが。既に色々なところで語られている通り、太平洋戦争後、もっと遡れば明治維新の頃から、日本のポピュラー音楽の発展の中で、それ以前の伝統との接続が遮断されているということへの自覚に改めてたどり着かざるを得ないんですよね。だからこそ、考えながら作る、あるいは作りながら考える、しかないんだと思いますし。

―明治政府の音楽取調掛によって西洋音楽の導入が進められて、そういう音楽観が民間にも広く浸透していった時期、つまり、「脱亜入欧」が様々な分野で実践されていた頃から……。

岡田:そうです。「日本的なもの」への想像可能性がそれ以来スキップされてしまった。

―そういう中で、民族主義とか国家主義であったり、いわゆる右派的な欲望とは離れたところで「日本の音楽」を想像することの難しさがある。

岡田:おっしゃる通りですね。

RECOMMEND

NiEW’S PLAYLIST

編集部がオススメする音楽を随時更新中🆕

時代の機微に反応し、新しい選択肢を提示してくれるアーティストを紹介するプレイリスト「NiEW Best Music」。

有名無名やジャンル、国境を問わず、NiEW編集部がオススメする音楽を随時更新しています。

EVENTS