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アメリカでの体験で気づいた、日本人のルーツ表明の難しさ
―岡田さんは、この数年間に何度か安部勇磨さんのアメリカツアーにベーシストとして帯同していると思うのですが、その経験も、自身の文化的なルーツについて深く考えるきっかけになったんでしょうか?
岡田:明確に一つのきっかけになっていると思います。現地のミュージシャンもスタッフもお客さんも優しい人ばかりだけど、ひとたび単独で行動すると、こんなにも「ちゃんとよそ者」なんだなと感じることもあったりして。外国の風景の中にいる自分という存在は、やはり異質だし、どこまでも日本人なんだな、と。強烈に印象に残っているのは、シカゴで当初予定していた宿が取れなくて、観光客は絶対に近づいちゃいけないと言われているエリアにあるAirbnbに泊まらざるを得なくなったときのことです。部屋の外から銃声が聞こえてきたり、噂通りの物騒さなんですが、車でそのエリアから会場まで移動しているときに、ちょうどその日がプエルトリカンデーのタイミングだったみたいで、プエルトリコ系の人たちが街中で大音量で音楽を流しながらクラクションを鳴らして行き来していて、あたり一帯がお祭り騒ぎになっていて。子供から老人までみんな楽しそうに国旗を車に掲げて、通りをプープーいわせながら走ってるんです。すごく祝祭的で、まさに楽しみながら自分たちのルーツを祝っているという印象をその光景から感じました。あとで調べたら、こうしたお祭り騒ぎに「私たちはここにいる」的な、可視化できる祝福行為としての意味合いもあるそうです。そんな時ふと、じゃあなぜ日本でこういうようなルーツとの向き合い方をすることが難しいんだろうという疑問が湧いてきたんです。
―現在の日本で国旗を掲げて通りを車で流していたら、シカゴで見た光景とはかなり異なる意味合いを持ってしまいますよね。端的に、特定の右派的なイデオロギーを想起させてしまう。
岡田:そうなんです。もちろん、僕自身に無理矢理国旗を振って行進したいという気持ちがあるわけじゃないんですが、仮にそれを戦後日本という空間でやるとしたら、プエルトリコ系の人たちがそうしていたのとは明らかに違う、何かただならぬ雰囲気が醸し出されてしまうと思うんです。
―つまり、自分たちのアイデンティティ表明の困難性、あるいはその空洞性、借り物性に気付かされた?
岡田:そうですね。最初は彼らのそんな姿を見てびっくりしていましたが、次第に何だか羨ましくも思えてきて。海外の人から見れば、同じようにやればいいじゃんと思うかも知れないけど、日本には日本で、そうも言えない文脈や社会的なトラウマみたいなものもある。
―ではこのアルバムは、まさにその問題の自覚を経て、自らの文化的なアイデンティティを探った作品でもあるということですかね?
岡田:うーん……どうだろう。そこに明確な答えを出そうとしたというよりも、実際はまだ考えている過程にあるし、ある種ライフワーク的なものだと思っています。
