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「“民藝”の思想を知ってしまうと、コピー&ペーストなんてできない(笑)」
―確かに、彫琢を極めたサウンドというよりも、ブリコラージュ的な当意即妙の感覚が強く息づいていると感じます。編集を駆使しているにせよ、コピー&ペースト的手法に基づいた整然とした作りとはかけ離れていますよね。
岡田:ある要素を反復させるにしても、一回テープに入れて、若干リズムがよれるようにして、寸分の狂いのない同じパターンが単に繰り返されるのを避けています。そのあたりはまさに「民藝」の発想と繋がっている部分だと思います。手仕事を尊重する「民藝」の思想を知ってしまうと、手間の省略のためのコピー&ペーストなんてできないので……(笑)。1年半位の期間にわたって、ずーっとコネコネとセッションデータをいじっていたと思います。結果的に最初の形からパッと聴きだと全然変わっていない曲もあったりするんですけど、今回はそうやって手仕事的にいじり続けることも、アルバムを作る目的の一つでもあったような気がします。
―「民藝」というキーワードが出たところで伺いますが、今回のアルバムの重要なモチーフの一つである「アフロ民藝」と出会ったのは、どのくらい時期だったんでしょうか?
岡田:去年(2024年)の夏に六本木をブラブラしていたら、たまたま森美術館で『シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝』という題の展示をやっていて。その時点ではシアスター・ゲイツの名前も全然知らなかったんですが、興味本位で覗いてみたんです。そうしたら、あんなに長い時間美術館の中にいたのはあの日が初めてというくらいに、すごくハマってしまって。
アフロ民藝というのは、その名の通りアフロアメリカンの公民権運動のスローガンでもあった「ブラック・イズ・ビューティフル」美学と、柳宗悦が提唱した日本の民藝の考え方を融合させたものなんですが、まさにその頃に抱いていた関心事――アフロアメリカンと日本人が接続できる可能性――がこういった形でもあるのかと。色々な展示物を順路に沿って鑑賞していく体験ももちろん刺激的だったんですが、その中で突然、酒場というか、クラブみたいな空間が現れる構成になっていて。それが、いい意味で拍子抜けしてしまうというか、コンテクストを厳しく問い詰めるというよりも、もっとフレンドリーな楽しさに包まれた空間に感じられたんです。そして、その親しみやすさこそが、自分の中にある民藝的なものへの関心を促してくれているようにも感じられて。
―そういう体験を経て、今度はアフロアメリカンの音楽文化の中に隠された日本的、東洋的なものに意識が向くようになった、と?
岡田:そうですね。元々、ファラオ・サンダースやビリー・ハーパーのようなスピリチュアルジャズ系の音楽家のアルバムに日本的なモチーフが溶け込んでいることに関心を持っていたんですが、あの展示をきっかけに、よりはっきりと両者の文化の交差可能性について考えるようになりました。展示のミュージアムショップでイターシャ・L・ウォマックの著作『アフロフューチャリズム ブラック・カルチャーと未来の想像力』を買って読んだのですが、アフロアメリカンの人たちが、ブラックカルチャーの有り得た未来を想像する実践を重ねてきたことを知る中で、自分としては、そういう想像力が日本の文化と融合し得た可能性を更に探求してみたいと思うようになったんです。そして、その実践の仕方として、ことさらシリアスかつ自己否定的になりすぎるのではなくて、アフロ民藝展で見たあのクラブ空間のように、あくまで親しみやすい形でできないかなと考えるようになっていったんです。
―その言葉通り、今回の『konoma』は前作と比べてだいぶ親しみやすくなった印象を受けます。
岡田:ガチガチに論理立てて厳密に構築していくと、今話したような「あり得た未来」の想像可能性をむしろ減殺させることにもなってしまうんじゃないかと思っていて。翻って、J・ディラも、あの流れるような親密な音楽によって、ある文化とある文化が接続される可能性を音として具現化していたんじゃないか、と考えるようになりました。そうやって、シアスター・ゲイツ展での経験と「アフロ民藝」という概念を軸に、今まで考えていたこと、やろうとしていたことがどんどん繋がっていったんです。
