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岡田拓郎インタビュー 「日本人が黒人音楽を演奏すること」への逡巡と「アフロ民藝」

2025.12.19

#MUSIC

2022年の『Betsu No Jikan』以来約3年ぶりとなる岡田拓郎のオリジナル新録アルバム『konoma』が、米ロサンゼルスを拠点とするレーベル・Temporal DriftとISC Hi-Fi Selectsから共同リリースされた。

前作における即興演奏と編集の高度な融合を更に深化させつつも、その聴き心地の面においてより親しみやすい内容となった本作『konoma』。だが、当然ながら単に「ポップ」になったと評してしまえば話が済むようなものとは異なり、きわめて重層的で、聴く者の探究心を焚き付けてやまない奥深さを備えた内容となっている。

アルバムのタイトルが、岡倉天心の代表的な著作である『茶の本』の中に引かれた言葉=「木の間(このま)」から取られている事実が示唆するように、それはまさに、現代を生きる一人の日本人ミュージシャンである岡田拓郎自身が、自らの音楽的 / 文化的アイデンティティの来し方行く末を様々な事象の間から見つめ、そうしたまなざしの元に立ち現れた多様な音のイメージを、ブリコラージュ的に構築してみせた作品といえるだろう。

エチオピア音楽、日本〜ヨーロッパ〜米国のジャズ、ブルース、アンビエント、ビートミュージック……ここに織り込まれた音楽の片鱗は、ただそれが集められ混ぜ合わされるだけには留まらず、お互いの間に「有り得た」接続の回路を、想像的に浮かび上がらせていく。

岡田は、どのような企図の元に本作を作り上げたのか。ブラックミュージックを「借用」することにまつわる自省的意識や、この間の海外滞在体験、更には現代美術家のシアスター・ゲイツによる「アフロ民藝」なる概念から得たもの等について、じっくりと語ってもらった。

「“So What”の導入部がずっと続いていたらいいのに」

―今作のアイデアはいつ頃から出て来たんでしょうか?

岡田:いつだったかな……前作の『Betsu No Jikan』を出して以降、プロデュースやらサポートでずっと動いていた感じなんですが、その合間にmaya ongakuに声をかけてもらってWWWでライブをやることになったんです(※)。そこで、漠然としたイメージでしたが、ウィリー・ディクソンのベースラインがミニマルに反復する中で、和声的にも旋律的にも自由な状態で、それがギリギリのところでジャムにならない音楽……みたいなアイデアがあって、その脳内イメージをメンバーと共有するために「アンビエントブルース」という言葉を使っていました。それが最初のきっかけの一つになっていると思います。

※筆者注:2023年8月10日に開催されたmaya ongakuと渋谷WWWの共同企画『rhythm echo noise』

―私もそのライブを観させてもらいました。即興的でありながら、かといって12小節ブルースの定型的なものとも違う、文字通りアンビエント風のアメリカーナ音楽というか……とても興味深い演奏でした。岡田さんにとっては、やはりブルースは大きなルーツの一つなんですよね?

岡田:そうです。中学生の頃は本当にブルース漬けで、レコードを聴くのはもちろん、地元のブルースクラブでセッションに参加したり。

岡田拓郎(おかだ たくろう)
1991年生まれ、東京都福生市育ち。ギタリスト / ソングライター / プロデューサー。2012年からバンド「森は生きている」のメンバーとして活動。解散後、ソロ活動を本格的に開始する。ソロアルバムに『ノスタルジア』(2017年)、『MORNING SUN』(2020年)、サム・ゲンデル、カルロス・ニーニョ、細野晴臣らも参加した『Betsu No Jikan』(2022年)がある。また、ギタリストとして、優河、柴田聡子、ROTH BART BARON、never young beachなどのレコーディングやライブに参加している。

―けれど、プロになってからはそういう「これぞブルース」というような作品は作っていないですよね。

岡田:心の奥底ではいつでもブルースを演奏したい気持があるんですけどね。でも、知れば知るほど、当時のアフロアメリカンの人たちの文化や歴史的な背景と密接に結びついていたことが分かってくるので、そこからは全く隔絶した時代・環境にいる自分が、そういう存在であるブルースを形式的になぞって演奏することにどうしても躊躇してしまうんです。これは、今に至るまでずっとそうなんですけど。そうした時、『Betsu No Jikan』で試みたような、ミニマルで即興的な演奏をモードジャズ〜アンビエント的な発想とともに行うというやり方に、ブルースの中にあるムードやミニマリズムを接続することも可能だろうかと考えたんです。

―たしかに、あの日の演奏もミニマルなフレーズの反復によって展開していくような感じでしたね。

岡田:以前からいろんなところで言っていることなんですが、マイルス・デイヴィスの“So What”の導入部がずーっと続いていたらいいのに、とか、マジック・サムのワンコードのブギが永遠に続いているのを聴きたい……みたいな欲求があって。それを自分なりに具現化してみたらああなったんです。そもそも、昔の自分がブルースのレコードに強烈に惹かれていたのも、そういうムードの部分だったような気がするんです。Chess Recordsのレコードのものすごいリバーブ感とか、カントリーブルースの幽玄な音像だとか。ああいったものは、実際の生演奏とは違う録音物ならではの音響でもあるわけで、そういう部分にもとても惹かれましたね。

―今回のアルバムでも、例えば“November Owens Valley”などには、そういう「アンビエントブルース」的な発想を感じます。

岡田:そうですね。今話していて思い出したんですが、ある集いでやけのはらさんに会う機会があって、そこで色々とお話した経験も大きかったですね。やけのはらさんとしても、ビートを作るときには異文化から借りてきている感覚があるんだけれど、不思議とアンビエントを作っているときはそういう感覚から解放されるんだとおっしゃっていて、すごく共感できる話だなと思ったんです。自分がブルースとアンビエントを結びつけて考えていたのも、もしかしたらそういう開放感を感じていたからかもしれないな、と。

―なぜそういう風に感じたんでしょう? アンビエントというのは、現代音楽のスキームとも縁の深いある種の理知的なコンセプトでもあるわけですけど、ひょっとすると、そういう「非民俗性」みたいなものが関係していたんでしょうか?

岡田:もしかしたらそれもあるかもしれないし、色々要因は考えられるでしょうね。その答えの一つとしては、おそらくその音楽的な柔軟さに起因している気がします。アンビエント一般のシンプルな音階と、反復性、ノンビートなゆらぎ、素朴なメロディーやハーモニー、そういう要素は世界中の土着的な音楽の中に様々な形で見出すことができるものだし、だからこそ世界中の音楽ともコネクトできるんだろうな、と。逆に、アンビエントという概念をブライアン・イーノが提出する前から、アンビエント的なムードを纏った音楽というのは現代音楽の畑に限らず沢山あるし、色々な文化の中に自然に溶け込んでいるものでもあると思うので。

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