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生の舞台の素晴らしさが大前提。その周囲を埋めていく「ドーナツ」の考え方
―早稲田大学演劇博物館(通称:エンパク)の館長時代に、「ドーナツ・プロジェクト」という、舞台芸術アーカイブのための人材育成事業を立ち上げられました。この「ドーナツ」という言葉にはどんな思いが込められているのでしょう?
岡室:生の舞台芸術自体は残せないので、舞台芸術アーカイブとは、戯曲や舞台美術や宣材素材や写真・映像等の記録など、その周辺の資料をドーナツ状に集めていくものである、という意味です。後世の人々がその公演を解像度高く想像できるようにするための取り組みですが、ドーナツは資料の集積だけではなく、その背後には、その時代を生きていた人の様々な生活、例えば恋愛観や家族観、社会の在り様までが広がっています。アーカイブは、ただ作品の資料を保存したり、年表的に記録するだけのものではない。その背景にある、大文字の歴史に残りにくい、フィクションでしか残せないような当時の人々の息遣いも含めて残していく、ということなんですよね。

早稲田大学文化構想学部表象・メディア論系教授。早大演劇博物館前館長。専門はベケット、テレビドラマ、現代演劇など。『テレビドラマは時代を映す』(ハヤカワ新書)発売中。翻訳『新訳ベケット戯曲全集1 ゴドーを待ちながら/エンドゲーム』(白水社)など。演劇博物館とEPADはEPAD発足初年度から連携し、2021年にはジャパン・デジタル・シアター・アーカイブズ(JDTA)を立ち上げた。

長田:私が執筆の折に活用しているのは、まさにそういった記録たちなんですよ。
岡室:ちなみに、長田さんは『らんまん』執筆時にも数多くの資料に当たられたと思うのですが、それらはどんな風に整理されたのでしょう?
長田:その質問はとても耳が痛いですね。というのも、『らんまん』はあまりに資料が膨大で……。とにかくそれらを次から次へと読み込んで執筆を進めていくわけですけど、スタッフさんたちもあらゆる分野の資料に手分けして当たっているような状態なので、誰とも共有ができていない資料を読んでいる、なんてことも起きるんです。
岡室:なるほど。それこそ、物語のテーマでもある植物や、舞台となる酒蔵にまつわる専門分野の資料探しなどもあるわけですもんね。
長田:モデルとなった牧野富太郎の評伝的資料はもちろん、植物や標本に関する専門文献、当時の酒造やその歴史のわかる資料、酒蔵をモチーフに書かれた小説にも当たりました。あと、東京大学創設時の学校の様子や暮らしを知るために坪内逍遙の『当世書生気質』を読んで、牛鍋屋の描写を入れることにしたり……本当に多岐に渡るアーカイブに当たって執筆しています。2015年に書いた坪内逍遙評伝劇『当世極楽気質』の戯曲を参照して台詞を考えたり、自作品のアーカイブも活用しました(笑)。
岡室:そんな風に思いがけず、自分のアーカイブが必要になる局面もありますね。こうしてお話しながら改めて思うのは、『らんまん』そのものがまさにアーカイブのお話であるということです。万太郎自身が「後世に植物標本を残すこと」に人生を懸けた人ですし、逍遙をモデルとした人物・丈之助も出てきますが、まさにその逍遙が創立したのが演劇博物館ですよね。
長田:丈之助の「演劇博物館を作りたい」「演劇は消えてなくなるものだからできる限りのものを残しておきたい」という台詞にも夢を込めましたが、アーカイブって1人ではできないもの。その点が個人のコレクションとはまた違うところです。世代を越えて多角的にやっていくことなんですよね。アーカイブの「未来に手渡すのだ」という強い意思のようなものに、私は惹かれているのだと思います。