「総合的芸術祭」と銘打ったアートフェスティバル『すみだ五彩の芸術祭』が、2026年9月から墨田区主催で開催される。「すべての人が真ん中」というキャッチコピーを掲げ、墨田区各所で展開される新たな地域芸術祭だ。
タイトルの「五彩」とは、「墨に五彩あり」という水墨画の言い回しから取られたもの。一見黒に見える墨も、よく見るとさまざまな彩りがある。それにちなんで、「すみだ」という地域や人の魅力を表すものとして名付けられた。コンセプトの「発気揚々」(はっきようよう)は相撲の「はっきよい」というかけ声の元になった言葉で、墨田区の活力や人々のつながりを表現。芸術祭を通して、シビックプライドの醸成や地域資源の活用を目的に据えている。
もちろん、墨田には分厚いアート実践の蓄積がある。墨田区に本社を置くアサヒビールのメセナ活動や、若いアーティストたちによるオルタナティブなスペース運営、2016年から毎年開催されている『隅田川 森羅万象 墨に夢』(通称:『すみゆめ』)など、いくつものレイヤーで文化芸術活動が行われてきた。とくに上記アサヒのプロジェクトや『すみゆめ』を推進してきたのが本芸術祭のディレクターの一人、荻原康子である。
それらを踏まえて実施されるのが、『すみだ五彩の芸術祭〈公募プロジェクト〉』。墨田の地域資源にアプローチする多彩な表現を募集する。対象を幅広く取っているため、実験的なプロジェクトにもチャレンジすることができそうだ。
芸術祭全体のエグゼクティブディレクターは、千葉大学准教授で千葉を拠点に数々のアートプロジェクトを手掛けてきた神野真吾。では、今回のアートと地域の関わり方や、墨田の地域特性はどのようなものなのだろうか。神野と荻原を迎え、『すみだ五彩の芸術祭』を掘り下げた。
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墨田区には元々アートの地盤があった
―墨田区主催の総合的芸術祭として2026年に誕生する『すみだ五彩の芸術祭』ですが、どのような経緯で開催する運びとなったのでしょう?
神野:まず前提の話をすると、法律の点では2001年に施行された「文化芸術振興基本法」で芸術祭の支援が明記されました。ただしこの頃は文化芸術の捉え方がまだ古典的なものに縛られていたように思います。2000年に新潟県で始まった『大地の芸術祭』やその後に続いた『瀬戸内国際芸術祭』の成功などに伴い、文化芸術の捉え方、特に芸術(アート)が社会の中で果たしうる役割についての考え方に変化が起こっていきます。
2017年に施行された「文化芸術基本法」で、文化芸術の範囲及び期待される領域が、単に文化芸術の専門領域においてだけでなく、まちづくりや観光、福祉、教育、産業の分野とも関わることにより、社会に新しい価値を創造することが期待されるようになっています。その流れで日本各地に芸術祭が立ち上がります。それまでアートはよそ行きの高級な趣味のようなポジションでしたが、地域芸術祭によって自分たちの生活の延長線上で作品を観るという経験が広がりました。
また、墨田区では長年アサヒビールがメセナ活動として文化芸術を支えてきました。それが「墨田の核にはアートがある」という空気感をつくってきたし、その流れが『すみゆめ』に引き継がれていくわけです。その成果の一つが、いわゆる文化芸術に携わる人たち以外も巻き込んでいること。区長をはじめ墨田区の職員たちも『すみゆめ』は墨田の財産だという認識がすごく強かった。そこで「墨田区主催で総合的な芸術祭をやりましょう」という話が、いろいろなところから出てきたんですね。
だから、何もないところにいきなり芸術祭を持ってきたわけじゃない。墨田はもともとアートの地盤があるところなんです。それから僕に声をかけてもらいました。

エグゼクティブディレクター。東京藝術大学大学院美術研究科修了(現代芸術論)。山梨県立美術館学芸員を経て2006年より千葉大学教育学部。アートの社会的価値についての理論的および実践的研究に取り組む。千葉市文化芸術振興会議委員長、千葉アートネットワーク・プロジェクト(WiCAN)代表。
―芸術祭は行政がトップダウンで持ってきたのではなく、すでにさまざまなアート実践がある地域から自然発生的に立ち上がったものだと。荻原さんは長年墨田のアートプロジェクトに携わってきたんですよね。
荻原:気づけば25年も関わってます(笑)。もともと私は企業メセナ協議会にいて、当時、ロビーコンサートをやっていたアサヒビールさんに「現代美術も扱ってはどうですか?」と提案させてもらったんです。同社のメセナ担当の方が「せっかくなら墨田でやる意味を持ちたい」とおっしゃるので、墨田の地域資源と結びつくことをやりましょうという話になって。そこで伝統工芸とアートがコラボした福田美蘭の展覧会『たくみなたくらみ』(2000年)を墨田区役所1階のギャラリーで開催しました。
一度の試みのはずが好評で、それから毎年「アサヒ・アート・コラボレーション」と称して継続します。町工場、おみくじ、ビール、森、そして隅田川が度々テーマになって。なので、2009年からは「すみだ川アートプロジェクト」とシリーズ名を変えました。その年に迎えたアートコレクティブ「wah(ワウ)」は、「隅田川でこんなことがあったらおもしろい」という声を地域の人たちから集めて、「川の上でゴルフをする」「湯舟」など5つのアイデアを実現しました。
そのあとアサヒビールさんがメセナの方針を検討することになって、バトンが墨田区に渡ります。同時期「すみだ北斎美術館」の開設を控えていたこともあり、地域の方々に賛同いただけるような活動をしたいとの意向で、「すみだ川アートプロジェクト」の要素を引き継ぎつつ「葛飾北斎」も掘り下げようと。こうして2016年から、「隅田川」と「北斎」という2大地域資源をテーマに『すみゆめ』がスタートします。当初は2020年の東京五輪までを一つの区切りと考えていましたが、継続する方向性の中で「総合的芸術祭」というワードが出てきて『すみだ五彩の芸術祭』構想に至ったんです。

複数のアーティスト・イン・レジデンスに関わった後、INAX文化推進部、キュレーター・オフィスに所属。2001年、企業メセナ協議会入局。顕彰事業と機関誌等を担当し、延べ500件ほどのメセナ(芸術文化支援)活動を取材する。アサヒビールのメセナ活動のコーディネート、「東日本大震災 文化・芸術による復興支援ファンド」の設立等にも携わる。2011年に事務局長就任。2017年、墨田区文化振興財団で常務理事を一期務めた後、2019年よりアートプロジェクト「隅田川 森羅万象 墨に夢」統括ディレクター。2020年、上田市交流文化芸術センター(サントミューゼ)総合プロデューサー、2025年より館長を兼務する。
―なるほど、「アサヒ・アート・コラボレーション」と「すみだ川アートプロジェクト」にはじまり、「すみだ北斎美術館」の開設にあわせた『すみゆめ』を経て、2026年の『すみだ五彩の芸術祭』が準備されているんですね。ちなみに、「総合的芸術祭」というのはあまり聞かない言葉ですが、どんな意味なのでしょう?
神野:明確な定義はありませんが、たとえば先ほど話した文化芸術基本法では、「文化芸術」の範囲が大まかにしか決められていません。美術とか音楽とか。2017年の基本法では、食文化など新たに範囲が広げられたことに加え、先述のように、社会の様々なシステムとも関わりながら文化芸術を「総合的」に推進、発展させていこうという意味だと考えています。
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「隅田川」と「北斎」だけではない。墨田の豊かな文化資源を活用する芸術祭
―既存のジャンルでは取りこぼされるような表現もすくい上げていこうと。また、本芸術祭は「すべての人が真ん中」と掲げていますよね。
荻原:そうですね。「ウチの庭先で何かやってるのよ」みたいな、市民の日常生活と地続きにアートがあるという認識です。アサヒや『すみゆめ』でもその感覚は大事にしてきましたし、やっぱり墨田にすごくフィットする。なのでこの芸術祭、私は墨田のコミュニティに根差してやるものだよなと思っています。
また『すみだ五彩の芸術祭〈公募プロジェクト〉』では、いままでこだわってきた「隅田川」と「北斎」という縛りを取っ払って、より多彩な地域資源にアプローチしてくださいと謳っています。もちろんこれまで上記の2大資源にチャレンジしてきた経緯は重要ですが、墨田の地域資源ってもっと豊富。だいたい地域のおじちゃんおばちゃんが本当にすごい人たちなんですよ。とんでもない技術を持っていたり、歴史を背負っていたりする。「ものづくりのまち」で職人さんも多いし、「私、在原業平(※)の子孫です」とか(笑)。そういう方々が「真ん中」にいらして形づくってきた地域や人、歴史のおもしろさをアーティストと一緒に見つけ出したいんです。
※平安時代前期の歌人で、六歌仙の一人。『伊勢物語』の主人公のモデルで、旅の途中の隅田川で「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしや」と詠んだ。

―いまや多くの地域芸術祭が市民参加や「市民が主役」というテーマを打ち出していると思いますが、そのなかで『すみだ五彩の芸術祭』ならではと言える要素はありますか?
神野:僕らとしては都市型の芸術祭でありながら地域資源に焦点を当てるという二重性を打ち出したい。たとえば地方の農村部で行われる芸術祭であれば、過疎化したエリアに稀人としてアーティストが訪れ、「これっておもしろくないですか?」と資源を発見していくプロセスがアート作品になっていきますよね。墨田はそういう資源に満ち溢れた場でもあるので、都市にありながら地方型の芸術祭を目指したい。でも墨田の場合、そういう類のリサーチはある意味やり尽くされている(笑)。そのうえで、アーティストにはそこからさらに自分なりのスケールや切り口を見出してほしいんです。それがすでに墨田で活動している人たちにも刺激になってほしい。
たとえば本芸術祭のディレクターの一人である青木彬さんは、地域福祉とアートをテーマに墨田区の福祉施設「興望館」で展覧会『共に在るところから』(2022年)を開催しました。すでに分厚い歴史のあるところに、アーティストたちが関わってその資源をより豊かにしていく。それはすごくヘビーなチャレンジかもしれません。でもそういう歴史と地続きな試みこそが、未来につながる真っ当なアプローチだと思います。
神野:墨田区長は「芸術祭は単なるお祭りではなく、これからの墨田区の未来につながるものにしたい」とよく発言されています。墨田区のシンボルマークは「人」という字からできているんですが、実際に関わってみると、本当に「人」が墨田の魅力であり、力だと感じますね。

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野外卓球台から巨大紙相撲まで。「公募プロジェクト」の懐深さを解説
―地域資源にフォーカスするという意味では、『すみゆめ』の流れを引き継いでいる「公募プロジェクト」が今回の目玉の一つと言えそうですね。
荻原:芸術祭をやるとなって、いろんな人から「『すみゆめ』は終わっちゃうの?」と聞かれたんですが、これまで『すみゆめ』で培ったものを活かしながら、しっかりと公募プロジェクトを担っていくつもりです。
2025年のすみゆめでは、たとえばリーマンサット・プロジェクトの「隅田川のほとり、宇宙の旋律を聴く」がユニークでした。宇宙開発に携わりたいサラリーマンのチームが手のひらサイズの人工衛星「ハモるん」を打ち上げて、宇宙で出合った星座をテーマに音楽を作曲するんです。「ハモるん」が宇宙でつくった曲を、地域の掲示板や飲食店などで聴けるという企画。なぜこのプロジェクトが墨田と関係するのかと言うと、葛飾北斎が北極星を信仰する「妙見信仰」に篤い人だったからとの解釈で、そのため北斎ゆかりの場所で聴けるようにしたそうです。
―卓球台を墨田のまちなかに設置する「ピンポンプラッツ 2025」も印象的です。
荻原:PPPコレクティブによる「ピンポンプラッツ」は2025年で3年目。1年目は普通の卓球台をまちのあちこちに持っていってプレイしていましたが、年々ブラッシュアップされて、いまはアーティストのジャコモ・ザガネッリがデザインした卓球台になっています。先日は「商店街リーグ」と銘打って、いろんなお店の方々がピンポンで勝負をしましたよ。

卓球台を屋外空間に設置することで多様な人たちが交差し、様々な現象が起こる仕掛けを創出するアートプロジェクト。すみだのまちに設置された卓球台を中心に、京島界隈で展開される日常の風景を演出とともに映像作品として記録。完成した作品を各所にて上映。
神野:卓球台が京島の「キラキラ橘商店街」の空き地に常設されていて。とにかく『すみゆめ』は多角的なトライをしていますよね。

江戸時代より続いてきた銭湯文化に関わる職人たちの技術を伝承すべく、国内でも減っている「煙突清掃人」を取材し、その手仕事を軸に銭湯文化の日常を描くドキュメンタリー映画製作するプロジェクト。 / ©一般社団法人ハイドロブラスト

子どもたちを対象とした舞台創作プログラム。第一回は15名の「みらいアーティスト」が参加、プロのアーティストと共に北斎の”花鳥画”をテーマにした作品に挑み、森羅万象様々な現象、動物、草花を言葉を用いた身体表現で舞台上に表出させた。

4人の女性作家による個展を開催。絵師としても北斎の作品に関わった葛飾北斎の娘「葛飾応為」の人生と作品を見つめた。
荻原:主催事業もやっていて、KOSUGE1-16の土谷享さんによる毎年恒例のプロジェクトが「どんどこ!巨大紙相撲」。ダンボールで身長180㎝の力士をつくって技と個性を競う大人気企画です。ワークショップを「巡業」と呼んで、相撲部屋に見立てた区内4つのスペースでオリジナルの力士をつくります。32体の力士が集う「本場所」(曳舟文化センター・ホール)で、みんなで土俵を叩きながら最強力士を決めるんです(笑)。

―おもしろそうですね! そんな『すみゆめ』ですが、2026年の『すみだ五彩の芸術祭』では、とくにどんなアートやプロジェクトを募ってるんですか?
荻原:墨田の地域資源に与するものであれば、美術や音楽、演劇、ダンス、文学などジャンルは問いません。新たな視点で墨田の魅力を引き出し、まちや人と関わりながら発想を深めて、公演や展示、アートプロジェクトなどの企画を練っていただきたいです。多彩な表現が集うことで異なる価値観と出合ったり、気づきや発見があったり、さまざまなつながりが生まれるといいなと思っています。
助成金としても比較的使いやすいはずです。金額の上限はありますが、よくある支出の2分の1を助成するタイプではなく、対象経費の範囲であれば助成しますし、プロジェクトに従事するスタッフ経費なども賄えます。もちろん、他の助成金や協賛金などと組み合わせて、事業規模を大きくすることも可能です。
また、事務局による伴走支援も特徴です。それぞれの企画が実現するよう、区の施設はじめ会場手配のサポートや、公園や河川など公共空間を使用する際の許認可手続き、照明 / 音響などテクニカル面での相談にも応じています。広報面でも、区内の文化施設や小中学校にチラシを送るとか、SNSで個々の企画について情報を発信しています。
さらに、月1回「寄合(よりあい)」を行います。これは人的ネットワークをつくってもらうのが目的で、採択企画の団体や地域の方々が集まって、いろんな悩みごとを共有したり相談したり、情報交換できる場を用意しています。

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墨田区ゆかりのディレクター、青木彬 / 清宮陵一 / 三田大介も参加
―徹底した伴走支援が「公募プロジェクト」のベースになっているんですね。芸術祭でも市民参加の機会が多くなると思いますが、今回いわば「外」から来た神野さんは、いまの墨田の地域性をどう感じていますか?
神野:インサイドで活動してきた人たちはよくご存知だと思いますが、僕から見ても墨田はすごくおもしろい場所だなと。ただ、いろんな団体と話をしたりスペースを見に行ったりして感じるのは、実は地域内で横のつながりが意外と広がってないということです。「芸術祭で何か一緒にやりませんか?」と声をかけたところもたくさんあるんですが、自分たちがやってきたことを変えたくない人が少なくない。
もちろんそういったスタンスを否定するつもりは一切ありません。が、せっかく芸術祭をやるからには、新たなトライができたらいいと考えているので、いろんな人たちと対話しながら準備を進めているところです。
僕はある意味でよそ者なので、4名のディレクター陣(※)は墨田と深い関わりを持っている方々に就いてもらいました。ディレクターがそれぞれ立てている企画は、パッチワークみたいに並んでいるわけじゃなくて、意見を出し合うことで相互に混ざり合っていく。インサイドとアウトサイドを有機的にかけ合わせることで、何らかの化学変化を期待したいですね。
※神野がエグゼクティブディレクターを務め、ディレクターは荻原のほか、青木彬、清宮陵一、三田大介の3名が務める。

1989年生まれ。現在は東京、京都を拠点に活動。首都大学東京インダストリアルアートコース卒業。アートを「よりよく生きるための術」と捉え、アーティストや企業、自治体と協働して様々なアートプロジェクトを企画している。主な活動に『SENSE ISLAND/LAND|感覚の島と感覚の地 2024』ゲストキュレーター(横須賀市,2024)、『三島満願芸術祭2024』ゲストキュレーター(三島市,2024)、まちを学びの場に見立てる『ファンタジア!ファンタジア!─生き方がかたちになったまち─』ディレクター(墨田区,2018~)などがある。『幻肢痛日記』(河出書房新社)著。

1974年東東京生まれ。21世紀初日にアナログ専門レーベルvinylsoyuzをスタート。坂本龍一氏のcommmonsに参画後、音楽プロダクション合同会社ヴァイナルソユーズを立ち上げ、様々なアーティストのサポートや特別なヴェニューでのパフォーマンスをプロデュース。『BOYCOTT RHYTHM MACHINE VERSUS』『ELECTRONICOS FANTASTICOS!』を主宰。2014年設立のNPO法人トッピングイーストでは、参加型のアートプログラムを東東京で実践。2021年より『隅田川怒涛』シリーズを展開中。『すみゆめ』の名付け親でもあり「すみゆめ踊行列」の企画制作も担当。

1972年東京都墨田区生まれ。東京工業大学(現東京科学大学)大学院人間環境システム専攻修了。建設コンサルタント会社、都市デザイン事務所勤務を経て独立。2013年に共同で立ち上げた地域のクリエイターのグループ「すみだクリエイターズクラブ」のメンバーと共に、地元墨田区を拠点に福祉・産業・文化などの分野で地域コミュニティをつなぐコーディネーターとして活動している。主な活動に、障害者福祉事業所工賃UPプロジェクト「すみのわ」(2014年〜)、墨田区発の福祉アートプロジェクト「みんな北斎」(2016年〜)、地域の個店の課題解決をサポートする「墨田区商業コーディネーター」(2017年〜)、『すみだ3M運動40周年祭』(2024年)副実行委員長など。
―これまでつながれていなかった人や場所もできる範囲で開いてもらい、芸術祭のネットワークを少しでも拡張できればと。
荻原:墨田の人たちは自分たちの仕事やまちにすごくプライドを持っています。そこは最大限にリスペクトしながら、地域と向き合っているつもりです。むしろ地域の人たちも「芸術祭って何をするんだろう?」と興味を持ってくださってると思うので、いろんな壁をほぐしながらご一緒したいと考えています。いま芸術祭では「地域コーディネーター」というポジションを設けて、地域の人たちと結びつく仕組みをつくっているところです。幅広いテーマのラーニングや、まち歩きツアーなどを絡めていく必要があると考えています。
神野:千葉から来た僕からすれば、長く続く個性的な個人商店が多いし、みんなそういう店を積極的に利用していて、やっぱり墨田区はすごい。同時に区の課題としてあるのは、たくさんマンションが建って増加した新しい住民の方たちが、まだあまり地元の魅力に気づいていないこと。芸術祭がそういった部分をつなぐ機会にもなれば嬉しいですね。

神野:あるいは、僕は地元の千葉と東京都の移動で錦糸町を通りますけど、途中下車して軽く居酒屋で飲んで帰るのは、駅前のわかりやすいチェーン店だったりします。でも墨田のことを知っていくと、その先にもっといろんな面白いお店がたくさんある。京成線も千葉から通っているし、千葉と墨田は実はかなり接点がある。そういう近郊の人たちも芸術祭をきっかけに墨田を訪れ、まちの魅力に気づいてくれて、墨田での途中下車が起きていくよう期待しています。
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墨田区の未来は一層オープンマインドに。芸術祭がそのきっかけになるとよい
―地域住民を尊重したうえで、新住民や他県の人たちも、芸術祭を通じて墨田の魅力を発見できるわけですね。では、芸術祭を一つのきっかけとして、これからの墨田区はどうなっていってほしいと考えますか?
荻原:私はいま、「芸術祭」を手掛かりに新しい種を蒔いていると感じています。地域の方々にもアートならではのチャレンジを受け入れてもらい、アーティストにも墨田の魅力にはまってもらって、双方オープンマインドに、いろんなことを今後も一緒にやっていきたいですね。
神野:そういえばこの前、地域コーディネーターの3人と神輿について話していて。聞けば、街区によって住民の神輿への熱量が違うみたいなんです。あるところにはお神輿を担ぎたい人がいっぱいいるけど、みんながみんなそうではなくて、もう神輿が出てこなくなったところもある。
その温度差を埋めるのは大変かもしれないけど、たとえば芸術祭がその一助になることはできるんじゃないか。神輿に新しく関われる仕組みをつくるとか、横のつながりを広げるとか、自分の推しの神輿を持ったり、もしかするとお祭り好きのアーティストから斬新なアイデアが出てくるかもしれない。そうやってアートは地域を開いて、いろんな物事に気づいたり、おもしろがったり、受け入れたりできる。そういうことが少しずつ広がっていくことで、墨田の未来が拓けていったらいいですよね。
―墨田にとって本質的に大切な部分を残しつつ、新しい風を吹き込んでいくと。
神野:僕はよく「墨田だったらできるんじゃない?」と言うんです。人が活動的で、人間関係が良い意味で濃くて、地域性を頑固に守りながらも、新しい話に耳を傾けてくれる柔軟さも持ちあわせている。墨田だからこそ、今後もいろんな変化が起きていくでしょうし、きっと独自の芸術祭を生み出せると考えています。

すみだ五彩の芸術祭〈公募プロジェクト〉