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なぜ曽我部恵一の言葉は、シンプルなのに情感豊かに響くのか。小説家・桜井鈴茂が語る

2025.11.26

#MUSIC

“ギター”——たった一言で人間の性と業を強烈に浮き上がらせる

―“ギター”についてはいかがでしょうか。

桜井:“ギター”こそパーソナルで私小説的な曲ですよね。しかも赤裸々になってないところがいい。抑制が効いていて、美しさすら感じます。

あと、やっぱり<戦争にはちょっと反対さ>というフレーズですよね。これ以上リアルな言葉ってないんじゃないかなと思う。「戦争には反対さ」と歌うのは当たり前だし、あまりにも陳腐じゃないですか。そんなこと思っていない人はいないんだし。だけど、「ちょっと反対さ」という表現だといきなり、リアルになる。

―「戦争には反対さ」と歌うことの抵抗感がありつつ、でも歌わなくちゃいけない。そうした揺らぎと意志も感じます。

桜井:そうですね。「この一言を歌ってしまっていいんだろうか」という逡巡を感じますよね。ある種の人は「『ちょっと』反対さ」じゃダメだよって言うと思うけど、僕の実感としてこれ以上リアルな言い方はないんじゃないかなと思う。これが2003年の平和な日本で暮らしているうえでの超絶な実感じゃないですか。

―そういえば、シンガーソングライターの折坂悠太さんが“正気”という曲で<戦争しないです>と歌っているんですよ。彼自身はもちろん戦争はいけないと強く意識しているわけだけど、反戦をそのまま歌うということは自分がやるべきことじゃないとも考えている。だからこそ、囁くような声でぼそっと<戦争しないです>と歌っているんですね。僕は初めてその曲を聴いたとき、“ギター”のことを思い出しました。

桜井:なるほどね。反戦ソングはいくらでもあったけど、「ちょっと反対さ」という表現はなかなかないですよね。「ちょっと」という言葉によって、本当にこの世界から戦争をなくすことができるのか? というようなことも問いかけてる気がするんですよ。

そりゃ戦争なんてないほうがいいに決まってるけど、人間はいかんともし難い欲望を持った生きものでもあるじゃないですか。そうである以上、ある種の諍いは避けられないのでは? ということも感じさせちゃうんです。

―戦争をなくすことはできないんじゃないか、というある種の諦念。

桜井:そう、諦念や人間の性。もしここに一個のパンしかなくて、家にお腹減らしてる子どもがいた場合、それを譲れるか、ということですよね。やっぱりこのパンを取り合って喧嘩になっちゃうんじゃないですか。そういうことすら考えちゃいますよね。

―つまり、世界の複雑さをどう歌っていくかということですね。

桜井:そうそう。簡単に言い切れるほど世の中や社会ってシンプルなものじゃない。複雑な要素が絡み合っているわけでね。

東京の空には朝から雨が

降っている ベランダが濡れて光る

今 2001年10月のまんなか

ちょっと肌寒くなってきた季節

夕方ぼくは渋谷の洋書屋で

世界中の本のなかにいた

夢・ただ水色のほのかな絵

ハルコの乗ったバギーを揺らしながら

そして今ギターを弾いている

テレビではニュースが流れてる

戦争にはちょっと反対さ

ギターを弾いている

曽我部恵一“ギター”
曽我部恵一“ギター”を聴く

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